詩想

『海は誰のもの? 海を汚すのは誰?』 #質問の答え

2017年9月16日
オランダ 海
https://flyingquestions.tumblr.com/post/163594769950/海は誰のもの-海を汚すのは誰

人は海に甘え過ぎ。

ビニール袋一つ捨てたって、世界は何も変わらないと思ってる。

海は広いから。

だけども、そういう考えの人が、十万、百万、千万……と集まって、ぽいぽい捨て始めたら、いくら巨大なシステムでもいつかは疲弊する。

大地を潤す雨。

食卓を彩る魚。

真夏の水遊び。

自分専用に切り取られたバケツの水じゃあるまいし、一つの海に繋がれているということが分からないのだろうか。

人間の健康に害がないからといって、何をしても許されるわけじゃなし、海に放たれたものは、いつか何らかの形で自分たちの元にかえってくる。それが一滴の水としても、自分とは無関係などとは言えないのです。だって、自分の肉体を構成しているものは何かといえば、突き詰めれば、海と大地の賜だからね。

これぐらい、いいだろう。

そんな甘えで人は道を誤る。(深海は人間社会のゴミ箱ではない)

人間だけで生命圏が成り立っているわけでもあるまいし。

*

N57号線の締切堤防の海を見た時、水の美しさに感動した。油汚れもなく、ゴミもなく、まるで蒸留水みたい。

オランダ 海

すぐ傍に可動式防潮堤防。

オランダ 海

河口を完全に締め切って、自動車道も走っているにもかかわらず。

N57 オランダ

一口に『海を守る』というけれど、「ゴミを捨てなければいい」というレベルのものではない。

河口を締め切れば水も淀むし、人工施設を稼働すれば廃棄物も出る。

自然環境も本来とは違ったものになるし、気象も百年単位で変化する。

「こんな水害、向こう数百年、起きるわけがない」という、数百年に一度の大事を想定して堤防も道路も設計する。

その結果が、この美しい水なんだ。

ところで、この浜辺、満潮時と干潮時では、水際の位置が百メートル以上、異なるのですよ。

それだけ土地が平坦で、潮位が上がれば、物理の法則のままに水が流れ込んでくる、ということです。

私も南部一帯を水没させる高潮って、想像がつかなかったけど、この満ち引きを見て理解しました。

潮位が1メートル上がっただけで、物凄い勢いで河口や沿岸に海水が流れ込んで、それに豪雨が加われば、もうどこにも逃げ場がないでしょう。

オランダ 砂浜

そこでオランダ人は考えた。『水の流れを変えよう』。

数百年前は運河と風車で。現代は堤防と排水施設で。

しかも自然にやさしく、大地は新鮮な作物を実らせ、牛や羊を育む。

そのスピリットを一言で表したのが、ゼーラントの州章、Luctor et Emergo(私は闘い、水の中から姿を現す)。

『世界は神が創りたもうたが、オランダはオランダ人が造った』と言われる所以です。

オランダの堤防を見れば、「人間は技術と共存できる」というのがよく分かる。

そして、技術は、作り手の意思を反映するものだということが。

美しい水は、その結果。

人の心を写す鏡。

詩の投稿(50年遅れ)

海が好き──
というよりは、海に込められた思い出がいとおしいのだ。

姉と私と、父と従兄と、みなではしゃぎまわったあの夏。

遠くにイカ釣り漁船が浮かぶ田舎の海は、はじけるように青く、楽しかった。

『海は生きとし生けるものすべての故郷よ』

母は言った。
『あらゆる命は海から生まれ、遠く巣立っていったの。陸に上がった人間が今もこうして海を懐かしむのは、 海に暮らした何億年もの記憶を留めているからかもしれないわね』

ーMorgenrootー

たった一言を書くために、何千枚もの原稿を綴ることがある。

思い起こしてみると、本当に書きたいことは、いつも『たった一言』なのだ。

何万、何十万というその他の言葉は、その一言に至るまでの壮大な助走に過ぎない。
時に迷い、時に躓きながら、その一言に突き進んでゆく。

いつか出遭う、最高の瞬間を追い求めて。

思えば、海はいつでもそこにあった。

何億年と変わらぬ姿で。

曲がりくねった夜の道を走り抜けると、透き通るような曙光の中に、いつでもその輝きを見ることができる。

遠くに感じるのは、夜の深さのせいだ。

海はひとりでに遠ざかったりしない。

今年も、あの夏の海を思い、波の響きを懐かしむ。

貝殻のように耳を澄まして。

*

師匠によろしく。

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