妄想と執着  オドレイ・トトゥのサイコ恋愛映画『愛してる、愛してない……』

転移性恋愛』という言葉がある。

たとえば、幼少期、父親との関係が上手く行かず、愛情に飢えた女の子が歯の治療に通い、そこで年上の、父親みたいなドクターに親切にされるうち恋愛感情を抱いてしまう。
本来なら父親に向けられるべき愛の欲求が「年上の優しい歯科医」に転移し、父親から得られなかった愛や優しさを歯科医から得ようとする心理を「転移性恋愛」と呼ぶのだそうだ。(→ブログ『転移性恋愛について』など参考になります。)

それが本物の愛に発展し、お互い幸せになれるならいいけども、そうでない場合は、恋した方が酷く傷つくことになる。彼女は、歯科医との恋愛ばかりか、またしても「父との愛情関係」に失敗してしまうからだ。

フランスの人気女優オドレイ・トトゥが演じた『愛してる、愛してない……』はまさにそんな映画。

ハンサムで患者の評判もよい心臓外科医のロイックに恋をした美術学校の女生徒アンジェリクは、いつか彼が妊娠中の妻と別れて、自分と結婚してくれることを信じている。
彼が紫のバラをプレゼントしてくれたお返しに、熱い恋文を添えて美しいバラの花束を贈ったり、彼の診療所に肖像画を届けたり、日に日に彼への想いはふくらんでゆく。

だが、バラの花束も、肖像画も、ロイックにはまったく身に覚えのないものだった。やがて夫の浮気を疑う妻との関係にもヒビが入り、彼を告訴した患者が事故死したことから殺人の容疑までかけられ、ロイックは身も心も追い詰められて行くが、ある時、衝撃の事実を知り……。

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この映画は、大きく二つのパートに分かれ、前半がアンジェリクから見たロイックとのラブ・ロマンス、後半がロイックの立場から描かれた「現実」となっている。

途中、フィルムを巻き戻すような演出があるため、人によっては「え、最初のエピソードに戻っちゃった、これ、どういう意味?」と混乱するかもしれないが、前半の出来事をおさらいするような謎解きによって、アンジェリクの可愛い恋の正体を知るだろう。

そして、ある場所に送られたアンジェリクが誰にも分からないようにコッソリ仕掛けた恋のイタズラ(……というよりは、恐怖に近い)。

これを詳しく書いてしまうと、未見の人には面白さが半減してしまうので伏せておくが、ここに描かれた『恋』は、恋などという優しいものではない。

一言で言えば『妄執』。勘違いオンナの、身勝手な空想物語であり、恋をしかけられたロイックはストーカーに人生をめちゃくちゃにされる被害者そのものである。

かといって、アンジェリクが最初からサイコな妄想女子かといえば決してそうではなく、常識もあり、友達もいる、普通の可愛いお嬢さんだ。

ところが、ある一点……『愛』という観点に立つと、彼女は隔離された淋しい少女であり、その心の入り口はいつもポッカリ穴を空けている。愛に飢え、温もりに飢え、ひとかけらの優しさにも心がいっぱい潤ってしまうと、その虚しさを一気に埋めようとして、相手にひた走ってしまうのだ。

そして、たちが悪いのは、その出だしはたいてい「好意」であり、どんな立場の人も少しだけ間口を作ってくれる、という点だ。好意を寄せる人が「可愛いお嬢さん」なら尚のこと、最初からけんもほろろに拒絶する人などない。友人として、あるいは後輩として、たいていの人は有り難く受け取ってくれる。

ところが、これが無間地獄の導火線。少しでも入り口が見えれば、思う方は「もっと、もっと」と期待してしまう。相手が少しでも間口を空ければ、それを「愛」と解釈し、その奥まで一気に上がり込もうとする。「いくらなんでも、それはやめてくれ」と相手が間口を閉めようとすれば、逆ギレするか、なんとか自分を置いてもらうよう説得を始めるか、どちらか。

なんにしても、幸福な結末などない。

妄想女は、自分の気持ちしか見ていないからだ。

いや、現実とか、相手の本当の気持ちは「見たくない」というのが正解。

それを受け入れるだけの勇気があれば、最初から、淋しさに折れたりしないから──。

そんな彼女は、自分に都合の良い物語を作るのも得意だ。

彼が電話してこなかったのは、あの日、私があんなことを言ったから。

彼が今も無視するのは、私の気持ちの伝え方がマズかったから。

もっと上手く説明すれば、もっと優しく声かけすれば、彼も私の誠意を分かってくれて、もっと愛が深まるにちがいない──。

相手の本当の気持ちを確かめもせず(というより、認めようともせず)すべてを都合良く解釈し、「もっと、もっと、もう一度」と期待して、しつこく電話したり、メールを書いたりして、何が何でも繋がりを持とうとする。

アンジェリクは、それを極限まで煮詰めた女の典型であり、思われた側はまさにホラーだ。まるで覚えのない恋文に、気味の悪い贈り物──。最愛の妻までもが浮気を疑い、ロイックは次第に追い詰められてゆく。こうなると「胸の痛み」や「息苦しさ」を訴える女性患者のすべてがストーカーに見えて、ついにはその一人に手を挙げたことで告訴される始末。

女性の側から見れば切ない恋物語も、現実に生きる男にはひたすら重荷でしかない部分を巧みに描いている。

それにしても、たまたま通りすがりにもらった「一本のバラ」のせいで、なぜここまで妄想恋愛に走れるのか──?

分からない人にはとことん分からない心理だが、一度でもイヤがる男を追いかけた経験のある人なら、己への戒めと出来るに違いない。

どうしても彼のことが忘れられない──別れが受け入れられない──頭で薄々分かっていても、しつこく繋がりをもとうとしてしまう──そういう人は一度、この映画を見たらいいと思う。

自分では「真実」「誠実」と信じている気持ちが、傍から見れば、これほど気持ち悪く、滑稽なものもない──ということがよく分かるから。

§ 妄執もここまでくれば・・

この映画の見所を、いくつか箇条書きにしてみます。かなりネタバレなっちゃうけど、最後の衝撃シーンは見てのお楽しみということで。

● 心の乱れを表す部屋

アンジェリクの部屋、ものすごく散らかってます。正確に言えば「散らかっていきます」。ピザやら食べ散らかしたものがそのへんに放ったらかしで、最後はものすごく汚いです。アンジェリクの心のすさみ具合をそのまま表しているようです。
落ち込んで何もしたくない時、大きいことからいきなり始めようとするより、まず、床に落ちているゴミを拾って、ゴミ箱に捨てる──そういう小さなことから始めるのが肝心ですね。

● 豚の心臓??

「私の真心からの贈り物よ」とロイックに送りつけたもの。自分の中では「最高に素敵なアイデア」でも、相手にしてみたら「醜悪」以外の何ものでもありません。ここまで自分の世界に酔われると、もう相手は逃げるしかないです。

● 拒絶された時の反応が尋常でない

好きよ、好きよと言いながら、相手がチラリとでも拒否の気持ちを見せたらブチぎれ。いかに自分の気持ちしか見ていないか、ということの現れですね。

● 美しく練り上げられた「自分語り」

友人の子供を相手に、アンジェリクはうっとりと自分の子供時代の思い出語りをします。本当は淋しい過去を美しく作りかえるのも妄想女の得意とするところです。

● とことんつきまとう

妄執に狂った女は自制するということを知りません。また現実を見ようとしません。だから、自分の思い通りの結末になるまで、しつこく、しつこく、相手につきまといます。そこに愛とか恋とかいう気持ちはありません。自分自身に執着しているのです。

● 現実を指摘する人は「敵」

自分の世界で生きている人にとって、現実を指摘する人は「敵」です。たとえそれが友人の思いやりであっても、自分に都合の悪い現実に目を見開かせようとする人は「自分を傷つける人」なのです。アンジェリクも本当の敵と味方の区別がつかず、友人を失います。

● 淋しい女は電話の着信音が嫌い

着信音にいちいち反応し、聞き耳まで立てるようになったら重症です。一刻も早いケアが必要です。

§ 予告編

『あなたがバラをくれたから、私は心にケガをした』──これがこの映画のキャッチコピーです。

原題は「A la folie… pas du tout」。

フランス語は愛を語るための言葉によると、

à la folie (ア ラ フォリ) 気も狂わんばかりに
pas du tout (パ デュ トゥー) ぜんぜん(好きじゃない)

à la folieはアンジェリクで、pas du toutはロイック。あるいは、アンジェリクの心の中の一人占い。

こちらは予告編ではありませんが、映画の内容をよく表しているビデオクリップです。


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この作品のオドレイは本当にコワイです。顔が可愛いだけに、余計でその思い込みが不気味。

エンディングはショックというより、ぞーっとしますね。すごいオチです。ぜひ見てください。

心臓外科と不倫関係にある内気な女の子の一途な恋(というより妄想)をサスペンスフルに描く。二重の時系列をよどみなく演出しているのがポイント。