女性と恋愛

『私』というブランド 不幸も売れる「病み本」

2011年12月3日

何の記事がキッカケだったか忘れたけど、この本の存在を知った時、「時代も変わったなぁ」とつくづく思った。

私の子供時代(ティーンも含めて)も、家庭内不和、暴力、非行、イジメ、自殺未遂、ノイローゼ、etc、いろんな心の問題があったし、特に中学時代はいわゆる「ヤンキー」の全盛期で、クラスに数人は「金髪(シンナーで脱色)」「剃り込み」「ドボン(だぼだぼのズボン。ボカンとも言ってたような)」「くるぶしまでのロングスカート(今のギャルはミニスカだけど私たちの時代の不良は靴下まですっぽり隠れるぐらいのロング丈が基本)」「喫煙・シンナー」「万引き常習」「ペチャンコに潰したカバンに●●命のロゴ」「仏恥義理(ぶっちぎり)のようなヤンキー系四文字熟語)」みたいなのがおって、そりゃもう近寄るのも怖かったけど、でも話してみたら案外イイコで、「なんか辛いことでもあったんかなー」みたいな。バブル世代もイロイロあったのが思い出される。

でも、イロイロあっても、華やかで軽薄短小の時代背景もあり、みんな隠そうとするのが普通だった。

親が離婚して、家庭が冷え切って、死ぬほど辛い──という気持ちを誰にも言えなくて、でも心の叫びには気付いて欲しくて、だから髪を赤く脱色し、わざと校則に逆らい、似たような境遇の子とつるんで、「普通の幸せそうな子」に遠くから復讐する(直接手を出すのではなく、荒れた自分を演出することでネガティブな主張をする)──。まさに『屈折』という言葉がピッタリだった。

そして、親の目が厳しいとか、根が真面目であるとか、そこまで荒れることができない子は、ひたすら我慢したり、「チョイ派手」や「チョイ遊び」で鬱憤を晴らしたり、勉強や趣味に打ち込むことで昇華しようとしたり、必死でもがいて答えを探そうとしてたな。

それこそ、誰にも言えなかったから。

他の子も同じように悩んでいるなんて、知る術もなかったから。

ところが時代が変わり、みながブログやSNSで赤裸々な告白をさらすようになってから、『悩み』に対する印象もずいぶん変わったような気がする。

いわば「市民権を得た」とでもいうのか。

80年代のイケイケの時代には「ネクラ」と言われて白い目で見られたことも、90年代半ばに「癒し」という言葉が登場してからは、むしろ心の疲れや悩みを堂々と口にすることがお洒落になりはじめて、ブログ全盛期に突入してからは、家庭内不和も自殺未遂も立派なネタ(読み物)。人の受け止め方って、ここまで変わるものかなー、と。つくづく思わずにいない。

昔、ティーンの女の子たちが、机の中に隠していた秘密日記が町の掲示板にぺたぺたと張り出されることは、同じ傷を持つ者にとって心強い励ましであると同時に、ネガティブな感情を拡散する装置にもなる。

「大好きな●●さんも同じように悩んでるんだから、私も頑張る」という一方、「大好きな●●さんと同じでいたい」という仲間意識というのかな。

悩みが「悩み」でなく、友達や好きなアイドルと繋がるための「アイテム」になっちゃうのね。女子会でも、同じような境遇のグループから抜け出せなくなることがある。それと似た感じ。

特に女の子は「同化」「共感」の傾向が強いから、下手すれば、かえって自分を見失う。相手の感情を自分の中にコピー→増幅して、自分のものにしてしまう。

自分を直視するのが辛いから、「自分と似たもの」に目を向け、共感することで、間接的に自分を慰めるという作用もあるから、ますます「自分と似たようなもの」を探す心理も働くだろうね。

それが悪いとは思わないけど、堂々とビジネスにされたら、ちょっと違和感。

「不幸」というアイテムで心を繋ごうとしてるような気がして。

*

私はこの手の本をじっくり読んだわけじゃないので、どうこうコメントする立場にないけど、『私』というブランドの中に『不幸』というアイテムを上手に生かせば、面白いほど人の心が釣れるのは確かだし、「優秀な女の子」より叩かれにくくて、愛されやすいのも確か。10パーセントの幸せでデキる女の子を相手にするより、世の大半の「そうじゃない女の子」を対象にした方が分かりやすいね。

でも、一度「不幸」の看板を掲げてしまうと、意図的に「心を釣ってるつもり」がいつしか自分のキャラクターに固定して、本当に幸せになりたくてもなれないんじゃないか、と心配したりもする。

もちろん、こういう本に登場するアイドル達は、そこまで計算してやってるわけじゃないだろうし、きっと「いい子」で、「同じ悩みを持つファンの支えになるなら」という愛情から、自分の辛い過去を曝し、励ましてるんだろう。

要はそれをアイテムとして売り出す大人がどこまで理解してるか、ってこと。

おだてるだけおだてて、思い出したくないことまで曝して、「あとは知らん」で終わってないことを願ってる。

*

ところで、この本のレビューはないかな、とちょっと検索していたところ、「アンジャンさん」という方のブログに興味深い一文を見つけた。
http://jan630.blog60.fc2.com/blog-entry-1380.html

私の感想。
初めにこの本を手に取ったときの印象よりも軽く読めましたが、やっぱり痛い本でした。
誰も悪くないんだよね、周りに影響されて辛い思いをしている。

それから本当にわかるときって来るの? 
あとがきにもありました。 『やまない雨はない』 『明けない夜はない』
わかってみないと、雨がやんでみないと、夜が明けてみないとわからないよ。
いつか私もこの言葉を使うときが来るかもしれない。
でも今の私は上記のような言葉はあまり好きじゃない。
だって、先が見えないもの。 いつやむかわからない雨の中でいるのは辛い。
いつかやむから…というのはあまり力にならない。
でも!でも! 雨がやむのを信じたい気だけはある。

この方の気持ち、分かるな。

抜け出した人にとっては「抜けたトンネル」でも、その渦中に居る人には「永遠に続くトンネル」だもの。見てる風景も立ち位置も違う。励ましてるつもりが、一方で、無力感を与えもする。

それにね。

こういう「心の問題」って、一度は状況が変わって解決しても、また似たようなシチューエーションでぶり返すことが多いのよ。

たとえば、失恋して、拒食症になって、親との関係性を見つめ直して、心理的に立ち直って、「ああ、もう私は大丈夫だ」と目の醒めるような気持ちになって、素敵な人と出会って、結婚して、子供も産まれて、「今はすごくハッピーです」というような人でも、育児や仕事、外の人間関係で似たようなシチューエーションに遭遇すると、ふと「以前の心の機序」が蘇って、「あの時と同じような気持ち」をフラッシュバックしてしまうのね。程度の差こそあれ、そんな簡単に「心の傷」なんて無くなるものじゃない。何度も何度も大波小波を繰り返しながら、次第に『扱い方』を学ぶもの。

だから、多くの「立ち直った人」というのは、「心の傷が完全に無くなった状態」ではなく、「コントロールできるようになった状態」で言ってると思う。

そこを勘違いして、度々、ぶり返す「イヤな気持ち」に焦ったり、責めたりすると、かえって落ち込んでしまう。

「あの人は完全に立ち直ったのに」みたいに思うと、余計で辛くなるんじゃないかな。

ともあれ。

悩みや辛い気持ちをいろいろ書き綴って、友達やファンとシェアするのはいいけれど。

書くことによって感情が増幅する部分にも気を付けて欲しい。

「言葉は人間が作るけど、いつしか人間が言葉が作られるようになる」というは99パーセント真実。

辛口コラムばかり書いてる人は「いかに物事を辛辣に見るか」というクセがつくようになるし、癒しや励ましばかり書いてる人は「いい人」を演じ続けなければならない。

それを商売と割り切れる人はいいけれど、自分が綴った言葉に振り回されて、のっぴきならない状態に陥る人もいるからね。

ホントはもうこんなネクラ・キャラから抜け出したいのにファンがそれを許さないとか、嬉しいことがあっても公に書くのは遠慮しちゃうとか。そうなると「私」というキャラの奴隷でしょ。売り物にできる人や、確信犯的に「私キャラ」を創作できる人はいいけど、そうじゃない人──何でも正直に書いてしまう人は──自分の言葉に呑み込まれないように気を付けて。

書いて、書いて、書きまくって、自分の気持ちを整理するのはいいけれど、「それを読ませて友達やファンを作る」となれば、心に作用するものが違うからね。

若い子に分かりやすい形で支援の手を差し伸べるのはいいけれど、それも場合によっては諸刃の剣になる、ということをちょっぴり危惧せずにいません。。

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