Notes of Life

言葉の倉庫 ~あちこちに書き散らした思考の断片~

2009年2月27日

苦しみも疑いも、相手が自分の思う通りになってくれないところから始まる。

だったら、 苦しみを払うなんて、か~んたんな事。
ただ相手の心を信じればいい。
自分の事より、ずっとずっと相手の気持ちを大切にすればいい。
そうすれば、苦しみなんてウソみたいに消えていく。
「愛してちょーだい」と望むより、 「愛する」方が、うんと悦びに満ちているから。

一方的に愛を捧げるなんて、損だと思う?
ぜ~んぜん。
愛って、あげるほどに、増えていくものよ。
尽きることのない泉みたいに。
それに、愛って、必ず倍になって返ってくるもの。
『愛にふるえぬ魂はない』―― これは本当の話。
愛ほど人を動かすものは無い。
また、心を満たすものも。

相手のことを本当に愛してたら、その人が元気な姿を見るだけで嬉 しいものだし、
100あげて1しか返ってこなくても、
その100 が相手の中で生きているってことだけでシアワセなもの。
そんな様を見たら「いくらでもあげたい」って思うわな。
「力づけたい」って思うわな。

損した――なんて全然思わない。
欲が無いから――傷つくこともない。


ある年令に差しかかった人の事を、
私は『黄昏の陽』と呼んでいる。
それは人生で最も儚い時期であるし、
侘しさを感じる時期でもある。

だが再び美しい夢を見られる時期でもある。

ある意味で純粋、多感。
Pure & True
人間として一番美味しい頃かもしれない。


バスに乗る頃には、時計の針は14時を指していた。
夕べは、明けの3時から眠っていない。
疲れて、気が遠のきそう。
食べてないから、身体も鉛のように重い。

だけど脳裏は冴え冴えとしている。
こんな事になれば、もっと落ち込むかと思っていたけど、 不思議なくらい、力がみなぎっている。

バスを降り、照りつける陽の下を歩きながら、 私はずっと自分に問い掛けてきたことの答えを見つけた。

何の為に戦うのか――
誰を相手に戦うのか――
何をもって勝利というのか――
勝ったとて、得るものなど有るのか――

相談窓口に電話した時には分からなかったけれど、 今ならはっきりと分かる。

自分の正義のために戦うということは、 「正しくないこと」は「正しくない」と 勇気をもって主張することだ。
“勝利する”ということは、 力で相手を屈服させることでも、 法的に勝訴することでも、
金銭的に解決することでも、 条件を改善させることでもない。
最後まで相手の不当な言い分に屈しないことだ。

事実上、負けたとしても、私は決して後悔しない。
ルビコン川を渡ったシーザーも同じだろう。

禁断のルビコン川の前で、 恐れをなして引き返すより、 よほど価値ある前進ができる。

たとえ元老ポンペイウスに討ち滅ぼされても、 ルビコン川の前で生き長らえるよりは、
自分に誇りがもてるはずだから。


いろんな出来事があって
いろんな人の心の器を見る

「暑い」というから ウチワであおいであげたら
それだけで たまらん嬉しそうにしてた君

ウチワであおぐぐらい 一日中でもやってあげるのに……

今日もまた 君の悪口を聞いた
そう言われても仕方の無いことだった

いいものをイッパイもってるのに
どうして生かしきれないんだろう 君は……

見当違いの井戸をしゃにむに掘ってるうちに
いつか君の心が死んでしまうよ……

笑って 笑って あの頃は――
あんなに楽しそうにしてたのに――
また しかめっ面してるのかと思うとたまらない

それでも それでも Marieの唯一の救いは
どんな状況になろうと
君が『沈黙』の中に誠実を貫いてくれると
心から信じられることだ

腹黒いタヌキと 口の巧いキツネに突つかれながら
Marieは今日も頑張っている

今となっては
君の純情がたまらなく懐かしい


Clair de Luneは、一つの心の宇宙。
心が変われば、姿形もまた変わる。

同じ「三ヶ月」の時間も、
生き方によって、粗にも密にもなるように、
心が活発に生きてれば、人間そのものも猫の目のように変わる。

変化が多いのは、それだけ得るものが多いってこと。
何にでも反応しちゃうってこと。

Clair de Luneは、そういう心の持ち主が作ってる。
毎回、形が変わるのは、人間も週ごとに変わってるから。


恋を形而上に結びたかったのは、むしろ私の方かもしれない。

恋が実れば、ロマンスも消える。
創造の火も消える。

恋する者同志がカフェで向かい合い、
その想いの全てを語り尽くした瞬間、
恋の甘い苦しみも消えていくように。

触れるか、触れないかの、張り詰めた距離感が、
互いの存在をいっそう特別にした。
越えたいけれど越えられない禁忌が、
互いの希求をいっそうかきたてた。

「もっと一緒にいたい、だけど一緒にいられない」――

その餓えるような想いこそが、私とあの人の「恋」だった。

だからこそ言葉も生まれた。
満たされぬ現実を必死に埋めようとして。

伝えきれなかった想いは、これから別のものに向かうだろう。
それが一つの何かに結晶した時、私の恋も報われるのだ。

物語は未完の現実から始まる。
創造が無から何かを打ち立てていくように。


結婚してても、淋しい奴は淋しいさ。
人間なんて、みんな淋しいんだよ。
いつだって愛が欲しい、自分のことを分かって欲しいと願ってる。
だけどそれを埋める為に、他人を犠牲にしちゃいけない。


ピーターパンの物語。

「妖精なんか、いやしない」と言った瞬間、妖精が一人ずつ死んでいくそうです。

人間の夢もそれと同じで、「私なんかダメだわ」と思った瞬間、 可能性が一つずつ死んでいくのです。


だから男は、自分の苦労を解ってくれる女が好きだ。
心からくつろがせてくれる女が大好きだ。

誰かに頼りたい、もたれかかりたいのは、むしろ男の方で、 ただ言葉や態度に出せないだけなのだ。

男の心をつかみたければ、男が疲れている時に、優しく微笑んでやればいい。

一生懸命、仕事をしたら、「あなたはなんて素敵なの」と褒め称えればいい。
そして王様気分にも、子供気分にもさせてやればいい。

「あれしてちょうだい」「これしてちょうだい」で迫ったら、 男はいずれ疲れて飽きてくる。
自分の仕事で精一杯だからだ。

十を与えて、一だけ求める―― すると男はその「一」を命懸けで叶えてくれるのだ。

【 恋が安っぽくならないために、あの女は黙っていた。
僕は恋が安っぽくならないために、今日もまた困難に立ち向かおう 】


死ぬからこそ人生が美しいように、別れるからこそ恋は美しいのです。
いつでも一緒にいたいのが恋心かもしれない。
しかし、いつでも一緒にいたいのに、いつでも一緒にいられないからこそ、 なおのこと純粋に燃えるのです。

滅びることのない恋、それは悲恋なのだ。

そして、永遠の恋は、別離の悲恋なのである


今、ちっとも仕事する気ないの。
なんでって、頭ン中、恋一色だからよ。

夕べ、私が眠れなかったように、 アンタもなかなか寝付けなかったんじゃないですか
―― 幸せすぎて。

アンタ、本当に笑顔が多くなった。
本当に優しくなった。
ほっとしたんだね。
自信が湧いてきたんだね。
目がキラッキラしてるもの (笑)

もう二度と、自分から不幸になったらいけないよ。
アンタは本当は気持ちの優しい、純粋な人なんだから。

自然に人に心を注げば、ちゃんと同じだけ返ってくる。

あの姿を見れば、誰もアンタを嫌ったりしないから、 自分から素直に人の中に飛び込んでいきなさい。
あの溢れるような、優しい気持ちをもって。

【 恋とは、あらゆるものより強いのだ。道徳よりも、何よりも強いものなのだ】


恋できないのは、恋するにふさわしい相手がいないからではなく、恋するにふさわしい感性と情熱が欠如しているからだ。


心の結びつきは、現実のあらゆる拘束を超える。

今、私とこの人が、一緒に居る時に感じている深い精神的充足―― 得も言われぬ一体感は、もう誰にも破れないし、他の何も代わることはできない。

求めても、求めても得られなかったものを、 互いの存在で充たしてしまったのだから。

もし、どちらか一方が消え去ったとしたら、私たちが今、 感じ合っているのと同じものを、他の何かから見出すことが出来るだろうか――

“餓えていた”のは、私もあの人も、同じだった。 私は『情』に、あの人は『人』に――

だから、私はあの人の『情』にひかれ、 あの人は、無条件で側に居てくれる私という『人間』に心開いた。

どっちも満ちていたなら、心を引かれたりしない。
異性だけがもつ情や、優しさや、温もりに、深い悦びを感じたりしないだろう。

≪ 人間は孤独な生き物だ。 だから“特別な友”を求める ≫ 映画「アナザー・カントリー」より

保障された現実の中にあってさえ、心は『何か』を求めて止まない。
精神は物質に意味を与えることができるが、 物質は精神を完全に満たすことはできないからだ。

人間は『心』一つで生きている。
心が満たされなければ、肉体もまた生きることはできない。
存在することはできても、生はつかめない。
何ひとつ不自由ない生活をし、先の先まで見える一生の保障を手にしていても、 まだ『何か』が足りないような、漠然とした空しさにとらわれる―― それがあまたの人間の実体だ。

そしてその心の空白を埋めてくれるのは、『愛』以外に無いのである。


私は変わった。

この人に出会って、初めて『安心』というものを得た。
自分という人間を好きになれた。
計り知れないものを、いっぱい心に勝ち得た。

ならば、私がこの人にしてあげられる事は、たった一つしかない。
それは私の『心』をそっくりあげることだ。
取り引きでも、所有欲でもない、掛け値なしの『想い』を伝えることだ。
ありのままのあの人に、心からの『YES』を贈ることだ。

果たして、この気持ちが『愛』なのかどうか自信はないけれど、 あの人を想う気持ちだけは誰にも負けない。

本当に『愛』が全ての謎を解く鍵なら、 私の想いは決して無駄にはならないはずだ。

たとえ形として結ばれなくても、かけがえのないものを二人にもたらすはずだ。

肝心なのは、あの人が私の事をどう思っているかではない。
私が真実、あの人を愛しているかどうかなのだ……。


この人も満たされない人間だった。

「自己」という人間の根幹に、すこーんと大きな穴が空いていて、 一時も安らぐことがない。
常に自己を誇示し、周囲に認めさせねば落ち着かず、 まるで強迫観念にかられたように、「…ねばならない」「…であらねばならない」
というイメージに向かって突き進む。

そして、「ありのままの自分」――孤独で、淋しくて、不安で、甘えたい 本当の気持ちは抑圧される一方で、それがつのりつのって、爆発するのだ。
この人も心底、人に甘えた事など無いのだろう。
周囲が求め、自分で作り上げたイメージにがんじがらめになって、窒息してる。

なのに、プライドばっかり高いから、人に素直に寄りかかれない。

『嫌われる』『バカにされる』――そういう恐れが絶えずあるのだろう。

だから人にも懐疑的になる。
いつでも人が自分を見下し、悪口言ってるような、孤立感と不信感に固まる。
そして自分という人間を愛しみ、自分に『YES』と言えないから、 他人にも『YES』と言えないのだ。

――不幸な人!

私はしみじみそう思い、この人のスカスカの心に涙したくなった。
一度でいいから、この人の心からの笑顔を見たいと思った。
そうでなければ、あまりにも、“この人自身”が可哀相すぎる。 本当はその心に、あふれるようなものをいっぱい持っているのに……。


私は何度も思ったさ。
『他には何も要らないから、生涯最後の恋心をちょうだい』って。
死ぬ前に振りかえった時、人生最高の悦びは『私』だったと思えるような、 至純の恋心をちょうだいよ……って。

誰にも心を開かんかったような男から『恋心』を奪ったことが私の勲章だったから。

この人の心の中で、『永遠の秘密』『永遠に醒めない夢』でいることが、 私の願いだったから。


それにしても、なんやね。
年取ると、小さな事にも感動せんようになるから、ダメやね。
「世の中、こんなもん」って開き直って、疑問も気付きも無くなってしまう。
子供の頃は、アサガオの芽が出ただけでも、胸がイッパイになったのに。
今や、私の一番の宝物は、小学生の時につけていた日記帳だ。
あんなオモロイ読み物はもう二度と書けない。ほんとに。


思い出が美しいのは 一生懸命、恋した証拠。
また「人を愛したい」と思うのは、 本当に愛した証


人は渡り鳥みたいに「愛が欲しい」となきさけぶ。
他人が自分の思う通りの心を示してくれないと、 「愛なんて何処にも無い」と恨みにこもる。

だけど、愛なんて、他人の中に探しても永久に見つかりっこない。
愛は自分の中に見つけるもの。
人を愛することでしか、得られないもの。
皆、人が愛してくれるのを待ってるから、いつまでも愛に巡り合えずに彷徨する。

「だれもオレを解ってくれない」 「世の中の人間は、みんなアホだ」と、 自分の心の飢えを他人のせいにしながら――。

「愛する」って、楽しいことより、苦しいことの方が多い。
そりゃそうだ。 自我との闘いなんだもン。

それが解らず、「愛さえ得れば、シアワセになれる」って思い込んでるから、他人の反応に、怒ったり、悲しんだり、苦しんだりするの。

愛するより先に、愛されることを望んでるから。
相手を満たすことより先に、自分が満たされることを望んでるから。

愛って、ナニ? 自分と違う価値観を理解し、受け入れること。
いつでも相手の気持ちを考えること。
イヤなとこを見ても、ずっと大切に思いつづけること。 その心を信じつづけること……etc。

愛の究極は『信頼』と思う、今日このごろ。


Marieは時々、人に言われる。
「実りの無い恋なんて、人生の無駄遣い」だと。

だけど、「実り」って、形だけか――?

Marieは、すごく大きな心の勉強をしてる。
今も必死に神様のくれた課題を解いている。

人ひとり――愛することの難しさ、信じぬくことの難しさを、 いつもいつもかみ締めながら。

“愛する”ってことが、我欲との闘いだということも。

それに、ボスがいたから、Clair de Luneも生まれた。
Clair de Luneを通じて、たくさんの人が知り合いになった。
今、こうしてClair de Luneがあるのも、 Clair de Luneを通じて人の輪が出来たのも、 あの冬の日、ボスがMarieにこう言ったからだ。

「何かあったら、いつでも相談してな」
「おはよう。忙しかった? 困ってる事ない? 身体、大丈夫?」

そんなささやかな優しさから、なんと多くのものが生まれたことか。

だからMarieはいつも言う。
「アタシは“人生の無駄”なんて少しも思ってない。だって、人が 一生かかっても知り得ないような事をいっぱい学んでるから。これ
だけ愛せる人に出会えて、アタシは幸せヨ」ってネ。

心の絆って『形』じゃない。リクツでもない。 なんとも形容しがたい、不思議な一体感。

なーんも言葉にしなくても、まるで音叉が共鳴するように、 お互いの心を感じ合える。

行き違っても、やっぱり大事と思える。


苦しみも疑いも、相手が自分の思う通りになってくれないところから始まる。

だったら、 苦しみを払うなんて、か~んたんな事。
ただ相手の心を信じればいい。
自分の事より、ずっとずっと相手の気持ちを大切にすればいい。

そうすれば、苦しみなんてウソみたいに消えていく。

「愛してちょーだい」と望むより、 「愛する」方が、うんと悦びに満ちているから。

一方的に愛を捧げるなんて、損だと思う?
ぜ~んぜん。

愛って、あげるほどに、増えていくものよ。 尽きることのない泉みたいに。

それに、愛って、必ず倍になって返ってくるもの。

『愛にふるえぬ魂はない』―― これは本当の話。
愛ほど人を動かすものは無い。 また、心を満たすものも。

相手のことを本当に愛してたら、その人が元気な姿を見るだけで嬉 しいものだし、100あげて1しか返ってこなくても、その100 が相手の中で生きているってことだけでシアワセなもの。

そんな様を見たら「いくらでもあげたい」って思うわな。
「力づけたい」って思うわな。
損した――なんて全然思わない。
欲が無いから――傷つくこともない。


人って、ありのままを見、ありのままを受け入れないと、自分の中 にいろんな解釈=誤解を生じるものだな、と思った。

本当の気持ちを確かめるまでは、相手の心なんか解りっこないのに、 ただ自分の期待通りの反応が返ってこないというだけで、疑ったり、
突っかかったりする。
それもこれも、自分大事――自分を安心させて欲しいがために。


・・・そうして、ふっと気がついた。

前はボスのことがとてもとても大事だった。
ただ元気な姿を見るだけで嬉しかった。
生き生きと仕事してる姿を見るだけでシアワセだった。
自分の痛みや苦しみよりも、ずっとずっと愛しかった。

なのに、いつ頃からか、「愛してちょーだい」に変わってたのだ。
心のバロメーターが、 【 自分への愛 > 相手への愛 】 に傾くと、 相手の言動、行動、態度、表情……すべてが不可解なものになる。

「なんで、そんなこと言うの?」
「どうして、そんなことするの?」
「私の気持ちなんて全然わかってない」

根底に、 「こう言って欲しい」「こうして欲しい」 というのがあるからだ。

で、相手が思う通りの言葉や態度を示さなかったら、
「私の気持ちなんて全然わかってない」
「私のことなんて、どーでもいいんだ」となる。

そして、あれこれ理由を思い巡らして、一人で悩む。

恋して、疲れる。

自分とまったく異なる人間が、自分の思う通りになるわけないのに。


人ひとり
一つの真心を 信じぬくことの難しさ。
自分とはまったく異なる心と身体をもった誰かを 愛しぬくことの難しさ。
好きになるのは、簡単。
心に棲ませるのも、簡単。
だけど愛しぬくのは難しい。
なぜなら、人ひとり愛しぬくというのは、
自分との闘いだから。

苦しみの正体――それは自分に対する愛情。エゴから派生するもの。
相手が自分の思う通りに行動してくれない。
期待どおりの気持ちを返してくれない。
すると人は、こう思う。
「この人は、私の事なんか愛してない」
「この人は、どこか間違っている」
相手が、自分の思う通りの反応を返してくれないと、 人は相手の心を疑うもの。

相手を理解するより先に、 満たされない自分の不幸を相手のせいにしたがるもの。

「愛してる」という心の影に、 「愛してちょうだい」という欲求が強く強くひそんでいることに気付かずに、
望む愛を与えてくれない相手を非難するのが人間。

愛するより先に、理解と慰めを求めるのが人間。

自分への愛に凝り固まった人間。


「世間、世間」という言うけれど、世間が代わりに生きてくれるわ けじゃなし。
道端で人が倒れていても見て見ぬフリするような世間に迎合して、 何の得になるのやら……。


生き抜くより
死ぬ方が簡単だからね  この世では


人間が前に進むには、忘却と変化が必要だし、その為には、
破壊と創造を何度でも繰り返さねばならない、これ必定。
そういう意味で、私は既成のものに縛られるのがイヤだし、
たとえ自分が手間ヒマかけて創ったものでも、もはや必要ないと思えば簡単に壊すことができる。


右を向いても、左を向いても、『自分』にこだわる人が多い。
ところで、あなたの『自分』って、そんなに大層なものなの?
みな、よほど立派な自我をお持ちと見える。
他人よりもまず自分。この世界観が社会を滅ぼす?!
『自分探し』=ナルシスな妄想  と思うのは、私だけだろうか。


私の可愛い姪っ子が、肖像画を描いてくれました。

姪は感性豊かで、ボキャブラリー豊富な子です。

夜空に輝く満月を見て、「月が追いかけてくる~!」と走り出したその驚き。

道端に転がった丸い石を見つけて、「わあ、可愛い石」と拾い上げたそのときめき。

雑草を摘みながら、
「お花を摘んでいると、ふわふわした、いい気持ちになるの」と語ったその悦び。

人間の唯一無二の才能にして、最高の財産は、
『感性』だということをいつまでも忘れないようにね。


人の心の不思議さを、リクツで解き明かせないから芸術が生まれた。 存在そのものが不可解だから、哲学が生まれた。 生きていくには指針が必要だから、宗教が生まれた。
万人が納得する正答など永久に見出せない。
だから人生は神秘だし、生きる価値があるということを、何故、教えられる人間が無いのだろう。


良い文章が読みたいのではない。
良い言葉を語ってくれる人間に出会いたいのだ。

それが本屋や図書館に足を運ぶ最大の動機と思う。

もし、現在、寺山修司氏が生きていたら、この社会をどんな言葉で語ってくれるだろう。


愛されるだけなら赤ん坊にもできるけど、人を愛するには能力が要る。
ところが、この世には、愛されることばかり望む人間が多い。
愛する能力は一向に磨かず、愛されるために取り繕ってばかりいる。
人の世の不幸も孤独も悲しみも、元をたどれば、「くれくれ坊主」の嘆きなのだ。
与えられることばかり望んでいるから、人が自分に与えてくれないと怒り、怨み、ひねくれる。
望むことを止めれば、人はいくらでも満ち足りるものなのだが。


メールなんてのは、一見ダイアローグ(対話)のように見えて、本当は勘違いモノローグ(独白)なのかもしれない。
相手に話し掛けているように見えて、その実、自分自身に語っているのかもしれない。


私は今、生まれて初めて聾唖の気分を味わっている。
相手の言葉が「分からない」、自分の気持ちが「話せない」──
それがどんなに酷く淋しいことか、ようやく思い知った。
手話を生みだしたのは聾唖の恋人らしいが、実際、伝えたい、理解したい気持ちがあれば、
人間はどんな方法でも思いつくものだ。


人は、自分に理解できるものしか理解できない。
先の、小学生惨殺の動機も、私たちには理解できないが、
ある種の人間には理解できるはずだ。
『Common Sence』 などというものは、実際はどこにも存在しないのかもしれない。
在るのはただ『自分に理解できるもの』と『そうでないもの』だけで、私たちは自分の感覚によってそれをふるい分けているに過ぎないのではないだろうか。

だとすれば、私たちが日常的な裁きに使う物差しは、一見、正義のように見えて、
実際は主観に凝り固まったファシズムかもしれない。
それが「排他」であるということに気付きもしいないほど、私たちは自身の価値観に固執し、
自身の尺度によって全てを都合良く裁き、ふるい分け、
自身の世界を保守することに躍起になっている。

違いを受容する──
それだけが自分と他との境界線を無くする。

ところで、私たちがそれほどまでに固執する「自分」というやつに、
いったいどれほどの価値があるというのか。
みな、あまりに「自分」にこだわりすぎていないか。


人間の道など、どこに繋がっているか分からない。
もうここで行き止まりだろうと思っていたら、意外な所から開けていったりする。
そうして思いがけない出来事の連続が自分の人生かと思っていたら、
すべて「予測された出来事」であったりする。

その場その場では、「ままならない」ように思うことも多々あったが、
なんてことはない、私は私の望んだ通りに生きている。

思いがけない出来事など何一つない。


ぐるっと一周、心の旅を終えたら、同じゼロ地点に還ってきた。
そうして心の旅を終えたら、何倍も大きくなった私がいた。
幸せに満たされた私がいた。
もう二度と、夜に心を閉ざしたりしないだろう。

全ての出来事には意味が有る。
その意味を見出すのが、私たちの仕事であり、人生だと思う、
今日この頃。


「人生の、思わぬ出来事をもっと楽しみなさい」。
大好きな池田理代子女史の言葉。

人生は日に日に変化する。
変化を求めれば、いっそう思いがけなく、変わってゆく。
ところが、人間は変化に憧れるほど、変化に強くない。
変化を望みながら、いざ変化に直面すると、それを受け入れられずに戸惑う。
私たちは、結局のところ、安定を求めているのか……。


人間は、ほんの少しの勇気さえあれば、どこへでも飛んで行けるもの。
怖いのは未知の世界ではない。失敗を恐れる臆病と見栄が、あなたの足をすくませる。
転けたからって何だろう。
あなたは、それほど偉大な人間なのか?


どれほど時を重ねても、語り尽くせぬ思い出がある。


復讐心など捨てておしまいなさい!
怨みや憎しみに取り憑かれた瞬間から、あなたの気持ちも時間もそこで止まってしまいます。
ネガティブな感情は、いつだってあなたを蝕むばかり。相手に何のダメージも与えません。
相手を落とすために、自分の心の平安を犠牲にして満足ですか。
相手の凋落は、本当にあなたを幸せにするのでしょうか。
復讐心から一歩引けば、新しい道が見えてきます。


恋をするには資格が要る。愛するには能力が要る。
自分本位な恋は相手を苦しめるだけだし、愛されるだけなら、赤ん坊にもできる。


サラリーマンの寿命を確実に十年は縮めている通勤電車。
男性の平均寿命が女性より短いのは、これらの労役から早く解き放たれたいからかもしれない。
男は、本当は、この世から早く逃れたいのだ。


大切な事は、多くの言葉を必要としない。語り過ぎると恋の悦びも色褪せてしまうように、私たちは行間にこそ、魂を感じるものではないだろうか。


人間のDNAの99.9%は全人類共通という。
個人の差違など全体の0.1%に過ぎない。
わずか0.1%の特異的価値にこだわる人間って何だろう。
私たちはそれほどまでに「特別」で在らねばならないのだろうか。


凡人は言う。「才能が欲しい」と。だが天才は嘆くのだ。「こんな力など要らない」。
才能に憧れるのは凡人の証。才能に苦しめられるのは、天才の宿命。


初めから無かったのではない。私が盲目で見えなかったのだ。
愛も光もすぐ側にあった。心の眼が開いて、やっと見えるようになったのだ。


「出会い」を生かすのも、人間の一つの能力だ。
同じ出会っても、何も感じず、何も学べなかったら、それは出会わなかったと同じ事。
人との出会いは、物体と物体の衝突ではない。
『1+1=3』の、心と心の融合だ。
人生はどんな人と出会い、何を得たかで決まる。
「出会い」から何も掴めず終わってしまうのは、答案用紙を白紙で返すのと同じこと。


人間、涙を流す理由は腐るほどある。
その一つ一つを他人に説明していたら、せっかくの涙も色褪せてしまう。
内なる涙は宝物。内に秘めてこそ、価値がある。


月の詩 1

私に加えられたものは
優しさより痛みの方が
はるかに多かったので
今も夜にしか 輝くことができない

私もあの陽のように 健やかでありたかった
自ら輝ける 力強い星でありたかった

冷え切った私の心には 自らを照らす光さえ無い
夜の向こうから 眩いばかりの陽が
光を投げかけてくれるのを 待つばかりで


月の詩 2

月が  輝くのは 夜にしか心を現せないからです

光をもらわねば 生きて行けないからです


月の詩 3

月は遠くに在るから美しいのだ
近づいてみれば 荒涼たる石の砂漠であることに 気づくだろう


月の詩 4

時間が私に 優しく語りかける
人生の酷さも悲しさも 束の間の痛みに過ぎないと
私はそっと身体を横たえ
時間が静かに それらを 運び去ってくれるのを感じる

私は
ただ 訪れる瞬間を 精一杯  生きればいい

人生は 一瞬一瞬の
緩やかな連なりなのだから


月の詩 5

私は  スレた ずた袋 誰も気にかけてなどくれない
私は いつも世界に尽くすけれど
世界は私のことなど 少しも構ってはくれない
私はいつも淋しく そこに居るだけ

時には  幸福になりたいと 人並みに願ってもみるけれど
私の願いは とても叶えられそうにない

私はいつも淋しく そこに居るだけ
なぜ生きねばならないのかも
誰も教えてはくれない

初稿:2003年冬

改訂:2009/02/27

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