結婚と現実

2017年9月15日恋と女性の生き方

これが配信される頃にはバレンタイン・デーも終わり、年末からのイベント・ラッシュも一段落かと思います。
毎年のことながら、バレンタインにかける意気込みは、ますますヒート・アップしているようですね。
WEBサイトの宣伝なんかも、今を逃したら、もう永遠にチャンスはないかのような扇情的な謳い文句がずらりと並んで、これに影響されない若い女の子はまず無いだろうと思います。

私も、恋人や、好きな人のいない2月は、身の置き所が無かったですから。
片思い、両思いにかかわらず、想いを込めてチョコレートをプレゼントする相手が無いのは、やはり淋しいものです。

ところで、そうした『麗しい春』に水を差すようで悪いですが、今回は、結婚と現実について、ちょっとお話ししたいと思います。

「結婚の現実」ではなく、「結婚と現実」の話です。

私は、自分の結婚が法的に成立した時――ポーランドの市役所の一室で(日本の市役所と違って、市の担当官の個室に呼び出されます)、書類が作成されるのをじっと見ていたのですが――、結婚というのは『決まるまでが楽しい』のだなあと、つくづく思ったものです。

もちろん、結婚してからも、楽しいことはたくさんありますが、結婚前と結婚後では、楽しさの種類が違うわけです。

言うなれば、結婚後の楽しさは、お茶の間で吉本新喜劇を見ながらギャハハと笑うような楽しさで、結婚前の楽しさは、バラ色の雲に包まれたような楽しさなんですね。

もちろん、好きな彼と結婚して悲しいわけがない。
彼と一生暮らすことには何のこだわりもないけれど、結婚することによって、彼に付属する全てのもの――たとえば、彼の家族であったり、友人であったり、仕事であったり、生活の場であったり、経済状態であったり――そういうものが、自分が望む望まないにかかわらず、『全て込みで付いてくる』という点に、鎖で縛れたような重さを感じるわけです。

私の場合、「ポーランド」という国がその一つでした。

結婚が成立した時、「もうこれでポーランドと鎖で繋がれたのだ、日本の便利で、快適で、富と娯楽に満ちあふれた生き生きシングル・ライフとは永久におさらばなのだ」と思うと、どこからともなく、ロシア民謡の『ボルガの舟歌(えいこ~ら~、えいこ~ら~、もうひとつ、えいこ~ら~)という唄』が聞こえてきて、本当に暗澹たる気持ちになったものです。

それこそ、その場で異議を唱えて、逃げ出したい心境でした。

こういう時、「これからずっと君と一緒だね」「ええ、私、とっても幸せよ」なんて、脳天気に悦びを交わせるカップルが本当に羨ましかったです。

それというのも、私たちの場合、いきなり『現実の生活』からスタートしたからかもしれません。
多くは、結婚が成立した後に現実の生活が始まるものですが、私たちは様々な準備の必要性から、とにかく二人の生活をスタートさせなければならなかったので、その過程で様々な結婚の現実を否応なしに見せつけられたのが大きかったかもしれません。

もちろん、良い方に取れば、結婚してから「こんなはずじゃなかった」と慌てふためくよりマシですから、私たちはこれで良かったのかもしれませんが。

ところで、人はよく『結婚の現実』という言葉を口にしますが、私はどちらかというと『結婚』と『現実』は別だと考えるようにしています。
つまり、『結婚』というものが中心にあって、その周りに現実が付随するわけです。

分かりやすくいえば、夫婦の心の絆と、結婚生活にまつわる現実のゴタゴタはまったく別の次元のものだということ。
それとこれは分けて考えないと、現実がゴタゴタした時、それに引きずられるようにして、夫婦の絆までゴタゴタしてしまうということです。

たとえば、夫の失業は、妻にとっては大打撃ですよね。

でも、夫が仕事を失ったという現実と、夫婦の信頼関係は、まったく別次元に存在するものです。
夫が仕事を失ったという現実が、妻の信頼を大きく揺るがすようなら、それは現実と結婚がごっちゃになって、結婚本来の目的から大きく外れているという事ではないでしょうか。

どんな妻も、夫が失業すれば、落胆し、見損ない、自分はこんな能なしと結婚したのかと、何だか騙されたような気持ちになるでしょう。
でも、その気持ちを夫婦関係に持ち込めば、現実に負けたことになります。

もちろん、結婚は、現実生活そのものですが、それ以前に、自分の心を磨くためのものでもあります。
その証拠に、結婚式では、「金持ちになりましょう」「家事は毎日こなしましょう」なんて誓わないでしょう。
ただひたすら『心の問題』について誓うからこそ、『結婚』というのです。
それを現実生活と同じレベル、同じ次元で取り扱えば、あっけなく崩れて行くのは必至です。
人間としての『結婚』の目的は、「……にもかかわらず、いかに伴侶や家族を愛し、信頼してゆくか」という心の練習に他ならないのですから。

誰だって、結婚が決まれば、結婚前の楽しさが永遠に続くかのような錯覚を覚えます。そう信じていたいのです。

私も、ようやく遠距離恋愛から解放されて、彼と一緒に暮らすことが決まった時、仕事を辞めて、一時期、訪問入浴介助のアルバイトをしていました。
ある日の昼休み、とても気持ちの良い10月の青空の下、移動入浴車の助手席でうたた寝しながら、遠くに小鳥のさえずりを聞き、頬を撫でる清々しい風に安らかな幸せを感じた、あの日の悦びはいまだに忘れられません。

もし、『純然たる幸せ』――現実の翳りも、哀しみも、ネガティブなものは何一つ忍び寄る余地のない、ただ幸せがあるだけの天国のような気持ち――というものがあるとしたら、あの時の安らかな気持ちがそうではないかと思います。

もちろん、結婚してからも楽しいことや嬉しいことはたくさんありますが、やはりそこには『現実の臭い』があって、結婚前の羽根が生えたような悦びとは質が異なるんですね。

そして、それが永遠に続くと錯覚すれば、それは上手く行かないだろうと思います。

だって、『結婚』したのだから。

恋人同志は、相手の事が嫌になれば、さっさと別れればいいけれど、ひとたび結婚して、相手の現実を引き受けたからには、ある程度、自分のことは諦めないといけません。
「諦める」というと、すごく響きが悪いかもしれませんが、でも、現実には、そうなんですよ。

子育ても然りです。
子供のために、自分の楽しみや生き甲斐は多少なりと犠牲にする覚悟がなければ、とても母親は務まりません。
夫婦と名の付く大人が二人揃っても、子供の事では四苦八苦するのですから、あれもこれも追いかけながら片手間に務まるわけがないのです。

だけど、今は何でも個人の楽しみだ、生き甲斐だって、多くを求め過ぎでしょう。
主婦が、自分の時間や楽しみを持てなくて欲求不満になるのは当たり前のことだし、それを『ことさら強調』して、周りの者に「何とかしろ」と要求するのも、伴侶の考えが時代遅れだ、非協力だと責め立てるのもおかしな話です。

だって、『結婚』したのだから。

私は、決して、「主婦(母親)は犠牲になるべき」とは言いませんし、主婦(母親)でも、大いに楽しみや生き甲斐を追い求めればいいと思います。

ただ、覚悟はしなければならないし、「諦める」ということも覚えなければならない。
「自分自身と現実生活をどう折り合いつけていくか」というのが、結婚生活における、女性の大きな学びではないかと私は思います。

ともあれ、結婚しても、夫婦の関係は刻一刻と変わっていくものですし、二人にまつわる現実もめまぐるしく変わっていくものです。
恋人時代が精神的な問題を重視するのと違い、結婚は、実際であり、事業ですから、「嬉しい」「悲しい」といった感情から離れて、家計のやりくりや親戚付き合いなど、クールに、時には事務的に、切り盛りして行かねばなりません。
言うなれば、恋人時代は、「クリスマスのディナーは何処で食べようか」レベルですが、結婚すれば、ディナーの元手となる家計の管理から始めなければならないのです。

そうなれば当然、甘い夢ばかり見ていられません。
恋人時代には目にも入らなかった、相手の思いがけない短所や弱点に、愕然とすることもあるでしょう。
これで喧嘩にならない方が奇跡で、結婚して現実問題に直面すれば、どんな仲の良いカップルも、怒り、苛立ち、不満を露わにするもの。
そこで現実に呑まれるか、克服するかの違いがあるだけで、誰の結婚も基本的には似たり寄ったりなのではないでしょうか。

こんな事を言ってしまうと、若いお嬢さん方はガッカリされるかもしれませんが、「結婚なんかしんどいばかりで、誰と一緒になっても同じだよ」という意味ではなく、そういう現実と戦うだけの価値のある相手を選びなさいね、という風に考えて頂いたらいいと思います。

究極、結婚生活の幸福の99%は、「どんな結婚をするか」ではなく、「誰と結婚するか」で決まります。(ほぼ100%かな)

あなたがどんな完璧な女性でも、高い志を持っていても、相手を間違えれば、幸せを築くのは容易ではありません。

たとえば、社会的にも経済的にも恵まれた条件で生活することが叶っても、相手と合わなければ生き地獄ですし、多少、物不足でも、夫と愛し合えれば、その他のことは補って余りあるからです。

こんなこと、当たり前すぎるほど当たり前と思うかもしれません。
でも、実際には、合わない相手と結婚して、愛情のかけらも無くて、苦しんでいる人がいっぱいいるんですよ。
どうして結婚前によくよく相手を選ばないのか――と、不思議でならないくらいに。

だから、若いお嬢さん方は、やれクリスマスだ、バレンタインだと、世間の風潮に惑わされることなく、じっくり相手選びをなさればいいと思います。

焦って、つまらない男と結婚して、その後の50年間を苦しむより、良い相手と出会うまで10年でも辛抱して、その後の40年間を幸せに暮らした方がうんと利口でしょう。

年末からバレンタインにかけてのイベント月、淋しい想いをしたといっても、その後何十年の人生からみれば、束の間の空白に過ぎません。

何十年と続く幸せのために、ぜひぜひ、一時の淋しさや、世間の風潮に押し流されないような強い心を磨きつつ、愛し愛される幸せな結婚を目指して歩き続けて欲しいなあと思います。