恋と女性の生き方

一人と二人 -結婚の醍醐味-

2004年11月22日

2003年11月5日。

世界中のMATRIXファンにとって、この日は極めて重要な一日だった。「この日の為に、2003年があった」といっても過言ではない。

そう、11月5日は、MATRIX三部作・最終章、『レボリューション』の世界同時公開日。
情報の薄いポーランドでさえ、封切りの模様をゴールデンタイムのニュースで流していた。
そして私も公開前からあらゆるMATRIX関連サイトをチェックし、この日に備えてきたのである。

が、残念なことに、5日は水曜日。
当然、私の相棒であるハム太郎さんも朝から仕事。

彼を無視して、一人で出掛ける訳にもゆかず(これが三年前なら、一人でもすっ飛んで行ってましたけど)、記念すべき初日に『レボリューション』を見るのは諦めていた。
せいぜい、ファンサイトの掲示板で、熱気のおこぼれに預かるのが精一杯と思っていた。

そんな時、サイトの管理で、思わぬアクシデント発覚。
それが足を引っ張って、テキストが書けない。

「ちくしょう」と窓の外を見れば、高緯度に特有の鬱々とした曇り空。おまけに気の滅入るような夜長(この頃は15時過ぎれば真っ暗になる)も手伝って、夕方、彼から電話が掛かってきた時には、すっかり意味不明のdepressionnに陥っていたのだった。

「どうしたの、なんか悲しそうだね」
と彼。

実は、サイトの管理で不都合な事があって、そのせいでテキストが書けなくて、落ち込んでいるのだと言いたかったが、

「だって、今日は初日なのに、『レボリューション』を見られないんだもの」
と私。

「レボリューション、レボリューションって、今日見なかったら、永遠に見られない訳じゃないだろう」
「だって、今日は世界中の人が行くんだよ。皆が行くのに、私だけ行けないのは良くない」
「そんなにレボリューションが大事なの?」
「だって、半年前から楽しみにしてたんだよ」
「You are so crazy, 週末に行けばいいじゃないか」
「だめ、今日じゃなきゃ、絶対にダメ」
「でも今日は無理だよ。僕も仕事があるんだし」
「分かってるよ」
「とにかく、今からディナーに帰るから」
「うん」

……というわけで、ハム太郎さんは、いったんディナーを食べに帰ってきたのだが、それで私の気が晴れる訳がない。

かといって、鬱々の原因が、サイトの管理上の問題にあると打ち明ける気にもならず、ひたすら『レボリューション』のせいにし続けた私。彼にMATRIX&キアヌ狂いと笑われようと、サイトのことを話す気にはなれなかった。

というのも、サイトの活動は、私の領分だからだ。
こればっかりは、いかに大事な人といえど、代わりにやってもらうわけにはいかない。
サイトを管理するのも、テキストを書くのも、諸処の問題を解決するのも、すべて自分の責任だ。
人からどうアドバイスされようと、最終的には、自分で決めて、乗り切って行くしかない。
もちろん、彼は応援してくれるが、彼が力になれるのは「そこまで」で、そこから先は、やはり私だけの領分なのだ。

そうして、元気のない原因を全て『レボリューション』のせいにして、ディナーの後片づけをしていたら、テーブルの上に、5日付の『レボリューション』のチケットがちょんと載っているのが目に入った。

「……これ、もしかして、今日のチケット?」と聞くと、
「君をキアヌに会わせる為に出費させられた」と彼。

よくあるドラマなら、
「まあ、嬉しい! 私の為に買っておいてくれたのね!」
と飛びつくんだろうけど、うちはそうじゃない。

「別に、キアヌが目的じゃないよ。MATRIXの結末が気になるから、見たいだけで」
「僕だって、そうさ。MATRIXの結末が気になるから、見るんだよ」
「心配しなくても、キアヌの○○○○は大したことないと思うよ」
「僕もそう思う」
「やっぱり、○○○○は、あなたのが一番って」
「……(笑)」

と、彼を悦ばせ、持ち上げるのが、うちのやり方です。

かくして、公開初日の『レボリューション』鑑賞は叶い、私の鬱々もすっかり晴れたのだけど、これが独りの時だったらどうだったろう。
今頃、悶々としながら、TV映画でも見ていただろうか。

『一人でも生きられる』と、ずいぶん長いこと思ってきた。
自分の気性や行動範囲を考えると、連れを持つよりは、一人の方が身軽で、責任も取らずに済む、と考えてきた。

実際、今でも自己完結型だし、一人になれば、なったで、俄然、強くなる部分も大きい。
もしかしたら、私は、本当のところ、誰をも必要としていない冷淡な人間なのではないか……と、思うことすらある。

それが『二人』になった。
今までのように、一日二十四時間、自分の好きなように使うことは出来ないし、自分の分だけ、自分の食べたい物を作って済ますことも出来ない。
「何でも自分で出来るから」と言って、相方を無視する訳にはいかないし、かといって、自分の不運や不満を相方のせいにする訳にもいかない。

二人になりたがる人は多いけど、実際には、『二人で幸せになる』方が難しく、人が孤独を感じるのは、一人で居る時よりも、むしろ二人で居る時の方なのである。

そうしたデメリットも心得た上で、今は「二人でいる」のだけれど、どこで「一人主義」から「二人三脚」に人生の筋書きが変わったかというと、やはり、三十代の売れ残りが居並ぶ職場で、『結婚なんて女を不幸にするだけ。私は独身主義よ』とヒステリックに叫ぶ女のみっともなさを目の当たりにした事が大きかったと思う。

本物の独身主義は、「一人」と「二人」、「独身」と「結婚」なんてカテゴライズはせず、淡々と一人を楽しむものなのだが。

どんな出会いも、必要な時に、必要な物や人が与えられるという。

「一人でも大丈夫だった私」に彼という人が与えられたのも、これから先、一人ではやって行けない事情が出来たからに違いない。

自分では意識しないけれど、今は、何も言わなくても、『リローデッド』のチケットを買っておいてくれる人が必要なのだろう。

「出会いがない」「彼氏が欲しい」と落ち込む女性も多いけど、それはまだ、その人にとって必要ではないからかもしれない。

一人の時には、一人でいる意味がある。

その意味を自分で探して、一人の時間を大切にしていれば、良い出会いもそう遠い先の話ではないと思うのだが、いかがだろうか。

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