白雪姫はなぜ幸せになったのか

今日は、ポーランドで一番親しくしている身内の方と、その子供さんたち、総勢五名でケーキを作りました。(息子さんと娘さんはキッチンの隅で鑑賞)
ポーランドは何でも手作りが尊ばれるお国柄。
ケーキはもちろん、ピクルス、ジュース、ハーブ入りウォッカ、ヌードル、ドレッシングetc、「こんなものまで手作りなの?」というぐらい、ホームメードが愛されています。
(日本のようにインスタントやレトルトが充実していないという事情もあるのですが)。
本日のレシピは、チーズケーキと、アップルパイ。

私も、中学校の家庭科実習でスポンジケーキを作ったり、ホテルニューオータニのパウダーを使ってホットケーキを焼くぐらいの事は経験しましたが、小麦粉からケーキを作るのは生まれて初めてで、それはもう皆さんの手際の良さにいたく感動したものでした。

そして、皆さんいわく、

「彼(オット)が帰ってきたら、美味しいチーズケーキを焼いて、びっくりさせてあげるといいわ」

……この私が、夫のためにチーズケーキを焼くのですか?
想像しただけで、ムンクの『叫び』の世界です。ああ、むず痒い。。。

ところで、アップルパイを焼きながら思い出したのですが、かの有名なディズニー映画の『白雪姫』に、一箇所、不適切な発言があるのをご存じですか。

七人の小人が仕事に出掛けた後、一人でイチゴパイを作りながらお留守場している白雪姫の所へ、魔法使いのおばあさんが現れて言います。

「おや、まあ、この子は何にも知らないんだね。男の人がヨダレを垂らすのはアップルパイなのに

全編メルヘンな「白雪姫」の中で、そこだけが妙に生々しく聞こえてしょうがない私。

『男の人がヨダレを垂らす』って、もっと上品な言い方はなかったんかいな。。。

いや、別に、ヨダレを垂らしてもいいんですけどね。

その『ヨダレを垂らす男の人』って、「七人の小人」な訳でしょ。

あれって、「男」なの?

確かに、男には違いないでしょうけど、何だかねえ。。。

しかも、その後がスゴイ。

日本語版の白雪姫の吹き替えは、かの有名な小鳩クルミ先生(『アタックNo.1』の鮎原こずえ役)なんですが、毒リンゴを食べて苦しむシーンで、

「あ……何だか私、どうしたのかしら……あっ、ああ~ん、あ~っ」

すごい熱演なんですけど──声だけ聞いていたら、何だかあぶない映画みたいなんですよね(^_^;

まあ、そんなことは、子供に分かるわけないでしょうが。



ところで、白雪姫を最後まできっちり見れば分かると思いますが、白雪姫は、継母である魔法使いに騙されたとも、毒リンゴを食べさせられたとも思っていない。

ただ、おばあさんの言う通り、「どんな願いも叶う魔法のリンゴを食べたら」本当に王子様が迎えに来てくれた――そういうオチになっています。

なぜなら、白雪姫はリンゴを一口、口にした途端、深い眠りに落ちたので、魔法使いの正体が意地悪な継母であることも、魔法のリンゴが毒リンゴだったことも知るよしもないからです。
(後で王子様が告げ口したかどうかは知りませんが)

白雪姫は魔法使いのおばあさんに対して一貫して親切でした。

魔法使いが毒リンゴ持って現れた時、察しの良い森の小鳥たちは、魔法使いを追い払おうと一斉に襲いかかります。

だけど、「痛い、痛い」と暴れ回る魔法使いを見て気の毒に思った白雪姫は、「乱暴してはだめよ」と逆に小鳥たちを窘め、親切にも家に入れてあげるのです。

すると、魔法使いは「親切にしてくれたお礼に、何でも願いの叶う魔法のリンゴをあげよう」と、毒リンゴを差し出します。
白雪姫にとってそれはあくまで「幸せを呼ぶ魔法のリンゴ」であって、毒リンゴなどと疑いもしないんですね。

ここに一つの教訓があります。

それは、「夢を信じて、素直な優しい心を持ち続ければ、毒リンゴも幸せのリンゴになる」ということです。

言い換えれば、物事は受け取り方次第で幸にも不幸にもなるということです。

もし、この時、白雪姫が、

「『何でも願いの叶う魔法のリンゴ』ですって? そんなもの、この世にあるわけないじゃないの、バカにしないでヨ」

と怒り出すような娘だったら?

あるいは、

「タダで物をくれるなんて、これにはきっと裏があるにちがいない」

と疑うようなひねた娘だったら?

あとの奇跡は起こりようもないでしょう。

白雪姫は、「いつかきっと夢が叶う」と信じて、魔法使いの差し出した毒リンゴを口にした。

だからこそ、本当に夢が叶ったのです。

本来なら禍々しい毒リンゴが白雪姫にとっては幸せのリンゴとなり得たのは、やはりその心映えによるのですよ。

白雪姫が何度も口ずさむ、「Someday my prince will come, Someday we’ll meet again  いつか必ず王子様が私を迎えに来る、私たちは再び出会って、愛し合い、お城にウェディングベルが鳴り響くのよ」――で有名な『いつか王子様が』。
歌詞の中では、王子様と再会して結婚することが白雪姫の夢の全てになってますが、ウォルト・ディズニーの言葉を借りれば、「あなたは、どんな夢も叶うと信じていいんだ」という事になります。

白雪姫を「単なる脳天気のバカ」と見るか、「ご都合主義の夢物語」と見るかはその人次第ですが、魔法使いを見た瞬間、「そのリンゴには毒が入ってるんじゃないですか」と疑ってしまうような人には、こうした奇跡は決して訪れないし、時にはバカバカしいほどの盲信(信念)が、毒リンゴを幸せのリンゴに変えるということを改めて考えさせられた次第です。

§ 白雪姫は本当にラッキーガール?

大人になってからディズニーのDVDで見直すまでは、白雪姫にこのような教訓があるとは思いも寄らなかったものでした。

それまで、白雪姫は「悪い魔法使いに騙された少女」とばかり思っていたのですが、実は、白雪姫は、騙されたわけでも、脅されたわけでもない。

ただ、おばあさんの言うことを信じて魔法のリンゴをかじったら、本当に夢が叶っちゃった……という、バカバカしいほど純真で、素直な女の子の幸せ物語なんですね。

それに気が付いてから、私は白雪姫を単なる「ラッキーガール」とは思わなくなったし、他力本願のヒロインとも思わなくなりました。

なぜなら白雪姫には、小鳥に突かれる醜いおばあさんに同情し、家に入れてあげる優しさも、「何でも願いの叶う魔法のリンゴ」の存在を信じる気持ちもあったからです。

王子様に見初められ、お城に迎えられたのは、やはりその心映えによるのですよ。

近年になって、『リトルマーメイド』や、『美女と野獣』のベルのように、自分の意志で積極的に幸せを掴みにゆくヒロインが登場してから、白雪姫やシンデレラのように、王子様に出会って幸せにしてもらうお姫様タイプのヒロインは、「受け身」だとか、「棚ぼた式」とか言われがちですが、シンデレラは王子様に出会うまで、毎日、掃除、洗濯、家畜の世話と、汚れ仕事に明け暮れていましたし、白雪姫も継母にこき使われて、つぎはぎだらけの服を着て、お城の階段を掃除していました。

彼女等は決して棚ぼた式に幸運を引き当てた、受け身のラッキーガールではない。

それなりの積み重ねがあって、ここまできたのです。



そう考えれば、専業主婦もシンデレラみたいなもんですよね。(よく言えば・・)

朝から晩まで、掃除、洗濯、炊事、育児と、息つく間もなく動き回って、「いつかこんな私でも王宮の舞踏会に出席できるかしら」と夢見ている。

誰が評価してくれなくても、魔法使いのおばあさんが必死で働く姿をどこかから見つめていて、いつか、きっと、願いを叶えてくれるのではないか……と。

そう信じて頑張るのも、決して無意味なことではないと思います。

ちなみに私は『シンデレラ』が大好きですよー。

娘のためにプラチナ・エディションを買いましたがなー。

”]

娘が見るんじゃなくて、私が見るんだったりして(笑)

だけど、真剣な話ね。

シンデレラの映画を見るとね。

毎日の、掃除、洗濯、炊事、諸々のこと、決して無駄ではないと思えるんですよ。

本当に。

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