男の人から愛しているといわれたこともなくて『ウェディング・ドレス』池田理代子短編集(3)より

『年頃の独身女性にお薦めの池田理代子作品』といえば、私は一番に『ウェディング・ドレス』を挙げます。
(池田理代子短編集(3)に収録)。

同時収録の、トランス・セクシュアルの愛をテーマにした「クロディーヌ!」や、マンガ家志望の女の子と連続殺人犯の母であるお手伝いさんとの心の触れ合いを描いた「雨あがり」も心に残る作品ですが、『ウェディング・ドレス』のインパクトは、ある年齢に達すると、心に突き刺さるようなものがあります。

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キャリア一筋の冴えない30代シングル徳子さんは、銀座のオートクチュールに勤める一番の腕利き。

しかし、親しくしていた後輩の結婚が決まり、口では「おめでとう」を言いながらも、動揺を隠しきれません。

そんな折り、ほのかに憧れていた彼女のお兄さんに呼び出され、何事かと胸を高鳴らせて行ってみれば、「近々、恋人と結婚するから、その娘の為にウェディング・ドレスを縫って欲しい」と。

プロに徹して仕事に取り掛かるものの、生まれてから一度も「愛している」と言われたこともなく、ミシンだけ踏んで生きている自分自身に傷つき、涙する徳子さん。

そして、その思いが高じて、オーダーされたウェディング・ドレスに、悪意をもって、ある仕掛けをほどこします。

しかし、式の直前、オートクチュールの先生に言われた、「あなたのキャリアはなににもかえがたいわ。あなたの腕は、ただもうだまって信頼できるのよね」の一言に目を覚まし、仕掛けを直して、完璧なドレスを仕上げるのでした――。

たったこれだけのシンプルなストーリーなのですが、後輩の結婚が決まって動揺する場面や、「私はキャリア一筋なんだから!」といきがって見せる場面、「悪気のない無邪気な笑顔をして他人を鋭い刃で傷つける人たち」と毒づく場面など、30代シングルで突っ走って生きていたら、一度や二度は経験する心理描写が胸にしみわたり、平静では読めなくなってきます。

そして何より、臓腑をえぐる一言が、

「ミシンだけふんで……男の人から愛しているといわれたこともなくて……みじめったらしい、つまんない人生……なんで、あたしが、こんなことしなきゃなんないの! ばかばかしい30年! むごいよぉ……」

ウェディングドレス

ウェディングドレス

私が初めてこの作品を読んだのは30代前半、「本当にこのままでいいのかしら……」と揺れ始めた時期だったので、気丈な徳子さんが、こう言って、ミシンに突っ伏して泣く場面は、あまりに痛くて、読めなかったものです。

ただ、この作品の素晴らしいところは、結婚礼讃でもなく、キャリアキャリアと青筋を立てるものでもなく、30代独身女性の焦りや淋しさ、不安といったものを素直に描いている点で、だからこそ、徳子さんの気持ちに共感できるし、読後に決してどよ~んと落ち込んだりしないのです。

いやむしろ、物語の最後に「キャリアか……」とつぶやく徳子さんに、「大丈夫、あなたにもあなたの幸せがきっと訪れるよ」って、応援したくなる。

またそれが信じられる、優しいお話なのです。

結婚か、キャリアか、この先自分はどうしたいのか……という迷いは、ある年齢に達すると、誰の胸の中にもよぎることだと思います。

で、私が「一番よくない」と思うのは、「結婚とはこう、キャリアとはこう」と頭から決めつけ、自分の感情に素直でないことです。

淋しいのに「淋しくない」、空しいのに「空しくない」と言い切ってしまうと、それから後も、言い訳づくめの人生しか待っていません。

自分自身に心を開けないものは、自分以外の何ものにも心を開けず、結局、何をやっても、満ち足りないまま終わってしまうのではないかと思います。

私が徳子さんに優しい希望を感じるのは、彼女が決して「凝り固まった」人間ではないからです。

自分の中の嫌な面とちゃんと向き合いながら、自分なりの幸せや生き甲斐を必死に探しているからなんですね。

現代女性の揺れる心の内を、ウェディング・ドレスという、一つのシンボリックなものに託して綴る本作は、池田先生の数ある作品の中でも、ちょっと別格に位置づけしたい良作です。

この作品をどう読むかで、その人の生き方や価値観がうかがい知れるのではないでしょうか。

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