心の「小休止」

このメルマガが届く頃、私は日本におりません。

大好きなヨーロッパの石畳を、何かを思いつつ歩いていることでしょう。

その時、横に誰がいるとか、これから先どうなるとか、そんな事は関係ありません。

要は、ふと空を見上げた時、自分に誇らしい気持ちが持てるかどうかです。

この半年、いえ、この一年間余――

私とboy friendを結びつけた、あの旅の後からずっと、私はただ一つの事だけを考えてきました。

そして、いろんな事に無我夢中で打ち込んでいるうちに、肝心な私の人生が、私自身が、すっかりお留守になっていたんですね。

その為に失ったのは、出会った頃のときめきや幸福感などではなく、あのきらきらした自尊心や、たくまし過ぎるほどの自立心、夢にかける情熱だったような気がします。

そして、それこそ、彼を惹きつけた私の最大の魅力だったはずなのに、恋に夢中になりすぎて、それら全ての魅力を根こそぎ台無しにしてしまったのですワ。

――それに気付くのに、私、半年かかりました。

最初は、何が起ったのか、さっぱり分からなくて、ただ慌て、うろたえ、嘆くばかりで、自分自身としっかり向き合う余裕さえなくて、彼にいろんな事を問いつめたり、説教したり、今から思えばアホな事ばかりしていたような気がします。

そうこうするうち、「このままではいけない・・・」と思って始めたのが、この『We are…』。

書くことで、自分と向き合い、心を整理し、自分の間違いを改めていくしか、私には方法がありませんでした。

創刊号から読んでくださっている方は、すでにお気づきかもしれませんが、最初の頃の文章ってすごくピリピリして、きつかったでしょう。

やたら「二人の関係」について言及してましたしね。

それが途中から、依存や自立の話に変わってきたのは、私の心が、関係の矯正ではなく、自分自身に向かっていったからです。

この世には、認めたくない現実(あるいは意見)がごまんとあって、傷つくのを恐れるあまり、自分に都合の良い解釈をしたり、見て見ない振りをしたり、人や状況を思うようにコントロールしようとしたり、ほんと、悪あがきにしか思えないようなことを必死でやってしまうものです。

そして、その渦中にいる時は、自分が過ちを犯しているとは思いもしなくて、よけい過ちに過ちを重ねてしまうんですね。

だけど、答を求める限り、いつかは必ずどこかから得られるものだと思います。本や映画、ニュースにスポーツ、私たちにメッセージを放っているものはこの世にごまんとあるからです。

たとえば、今回、私の発想の転機になったのは、ジョナサン・ケイナーの星占いに載っていたこんな言葉。

『少し前まで、一つの物語に対して、二つの異なった意見が存在すると考えられていました。今やインターネットが普及し、この世のありとあらゆることについて、多種多様の見解が存在することが明らかになりました。人の意見は十人十色です。でも、自分の意見こそ正論だと皆が思い込んでいます。

このような混乱から身を守るため、人はわざと自分の感情を鈍感にします。まるで人の言うことを理解しているかのようにふるまうのです。一応耳を傾けるものの、それを真に受けることはありません。こうして、偏見は無傷のままでいられるという寸法です。でも今週、ある件について、自分の意見を変える必要に迫られることでしょう。そろそろ潮時です』

自分でも、自分の考えを改めなければいけない、と思っていたからでしょうね。

この言葉は、けっこうグサリときました。

私も、この半年、いろんな人からいろんな事を言われて、そのたびに心のどこかで、「そうじゃない、ちがう」と、突っぱねてきたような気がします。

本当は、第三者の他人の方が、冷静に状況を見ているのに。

それから、図書館に行って、一冊の本を手に取りました。

それまで、その書架で、本屋で、何度となく目にしてきた本です。

今まで、それを手に取る機会は数限りなくあったのに、私は一度も手に取ろうとしませんでした。「自分には必要ない」「これは正しいやり方とは思えない」と決めつけてきたからです。

だけど、今回、その本を目にした時、目からウロコが落ちました。

そこに、私の求めていた答が、的確に書かれていたからです。

それは、私にとって非常に厳しい内容でしたが、私の間違いを指摘し、今後のあり方を示唆するものとして十分すぎる話でした。

どうして、この本を、もっと早く手に取らなかったのか、今も悔やまれてなりません。

しかし、考えてみると、その本はずっと以前から私の視界にあったわけですね。

ただ、私が一方的に「これは必要ない」と決めつけ、手に取らなかっただけで、そのメッセージはいつでも目の前にあったのです。

結局、自分に都合の良いメッセージだけを受け取り、間違いから目をそらし続けたツケが、今やって来たということでしょう。

自分にとって辛い現実を受け入れたり、間違いを認めたりするのは、本当に心が痛む作業ですが、苦しみを覚悟でやってみると、不思議なほど目の前が開けて見えるものです。

今すぐに状況は変わらないかもしれませんが、少なくとも、嫌な事から目をそらして、のたうちまわっていた頃よりは、心が落ち着いているし、自分に自信も持てるものです。

こうした過程を経て、今、私は、大好きなヨーロッパの石畳の上にいるわけですが、初めてこの地を踏んでから、本当に長いこと、心の旅をしてきたなあという思いでいっぱいです。

それこそ地球を何十周もして、やっとスタート地点に戻ってきたという感じ。

また、これからですね。

私も、気分的にずいぶん楽になったので、これからはもう少し、味のある文章を書けたらなあと思っています。

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