女性と恋愛

好きになりすぎた時は ~『恋愛中毒』より~

2002年4月14日

メルマガを発行していて、いつも思うのは、どんな人が読んでくださってるのかなあ、ということ。

もちろん、部数は多ければ多いほど嬉しいものですけど、読んでくださっている人の姿が分かること、そして、自分の書いたものが何かのお役に立っているということが、一番嬉しいですね。

メルマガを始める時は、だいたい、どのような読者さんを対象に書こうか考えるのですが、今回は、若い女の子に焦点を当てていますので、今後、皆さんが、より良い信頼関係を得て、幸せになって下さったら、ホント、嬉しく思います。

私も、毎回、エラソーな事を書いていますが、決して恋愛上手、人間関係上手ではありません。
はっきり言って、恋愛に関しては超ヘタクソで、失恋大魔王と言われるほど失敗を繰り返してきたからこそ、このような事が書けるわけです。

私が唯一、人に勝る点があるとすれば、その赤恥青恥の数々を真っ向から見つめ、エラソーに人に語れるという事ではないでしょうか。

だけど、自分の傷口に、あえてメスを入れるというのは、本当に大切なことですよ。
悪い膿を出さなければ、病気も治りませんからね。

同じように、恋愛ヘタを嘆いている女の子がいるならば、これだけは覚えておいて欲しい。

自分に焦点を当てて努力し続ける限り

(相手を変えようとしたり、頼まれもしないのにせっせと尽くしたりするのはダメですよ)――

自分の欠点を認め、受け入れ、直そうと努力し続ける限り、

いつかはきっと幸せな恋に巡り会えるということ。

どんなにつらくても、絶望しかけても、決して諦めてはダメですよ。

幸せは、その角を曲がった所にあるんですから。

■□■ 好きになりすぎた時は ■□■

前回も書きましたが、薬師丸ひろ子が主演した『恋愛中毒』の原作は、 若い女性の間でたいへんなベストセラーだったそうですね。

私は作者も知らないし、本を読んだこともないのだけど、『恋愛中毒』というタイトルは、非常に心に迫るものがありました。

「それ、私のことかもしれない」って。

このタイトルに反応する女の子、多いかもしれませんね。

私の周りを見渡しても、恋愛に限らず、一つの物事に中毒みたいに心を入れ込む人、多いです。

一見、情熱や集中力に見えるので、本人も周囲も健全な心の働きと思って、その思いを野放しにしておくでしょう。

が、よくよく見てみると、それは決して情熱や愛情や優しさなんかではなく、執着であり、依存であり、逃避だったりする。

「心を与える」という行為は、一見美しいから、その奥底に隠れている醜さが、外からは見えにくいんですね。

それが顕著に現れるのが、「恋愛」。

「好き」という気持ちは、一見、美しいけれど、ひとつ間違えれば、醜悪な自己愛や執着や依存になりかねません。

そして、一番こわいのは、見かけの美しさに騙されて、自分も周囲もなかなかその醜さに気付かないということ。なお最悪なのは、見かけの美しさに酔いしれて、どんどん中毒みたいに好きになってしまう事ではないでしょうか。

「好きになりすぎる」んですね、失敗している、たいていの人は。

最初は本当に純粋な恋心だったのが、どんどんのめり込むうちに、依存や執着になってしまう・・・
それこそ、自分で気付かないうちに、中毒になっちゃってるんです。

だけど、相手にははっきり分かります。

だから、壊れたとき、パニックになって、もっと重症になってしまうんですね。

自分では「好きになることは美しいこと=正しいことをしている」と思い込んでいますから。

だけど、どうして「好きになりすぎる」んでしょう。

それは自分の心の拠り所を、自分から相手に置き換えてしまうからです。

捨てられる怖さ、一人になる惨めさ、過去に経験した傷が深ければ深いほど、心の拠り所を失って、相手にもたれかかる確立が高くなります。

自分では決してそうしているつもりはなくても、相手がそのように感じているとしたら、やっぱり「好きになりすぎ」ているんですよ。

真実の愛が、楽しい恋が、相手の負担になっているという事は、やっぱり、どこかで、自分の愛し方が間違っている証拠なんです。

ところが、パニックに陥ると、そんな所に頭は回りません。

自分では正しいことをしていると思っているから、上手くいかなくなった原因は全て相手の中に探そうとする。

自分の愛し方が間違っているとは夢にも思わないものです。

そして、「私が言い過ぎたから彼を怒らせた」とか、「彼はこのように感じているにちがいない」と自分に都合の良い解釈ばかりつのらせて、相手に何が気に入らないのかとしつこく問いつめる。

これでは、ますます相手の信頼を失うばかりでしょう。

もし、相手に拒絶されたり、何かが上手くいかないと感じたら、まず最初に、「好きになりすぎていないか」チェックする事をお奨めします。

誰だって、自分が間違っているとは思いたくないし、自分の欠点を認めたくはないもの。

まして、幸せが砕け散ろうとしている時に、自分自身にメスを入れて、痛い治療をするのは、耐え難い苦痛にちがいありません。

だけど、それを避けて、相手にだけ是非を問うても、事態はますます悪化するばかり。

もしかしたら治癒に向かう傷も、治療の機会を逸してしまうかもしれません。

私は、この世に、愛される価値のない人などいないと思っています。

誰もが、愛され、幸せになれる資質を持っているのに、それを生かしきれないのは、愛されるのがヘタなのではなく、愛し方が間違っているからではないかと思います。

言い換えれば、相手からより大きな愛を引き出そうとして、取引的に愛を与えすぎてしまう――
そんなものは最初から愛でもなんでもないのだけれど、自分が愛しさえすれば、相手も同じように愛してくれると思って、先回りして与えるうちに、鬱陶しく思われてしまう――
それが、多くの女性の不幸な点ではないでしょうか。

これまで、あまりにも多く、「愛すること」「与えること」が賛美され過ぎて、「正しい与え方」というところまでは言及されなかったと思います。

たとえば、被災地に生活物資を送るのは、確かに美しい行為には違いないでしょうけれど、何でもかんでも送れば喜んでもらえる、いや、喜ぶべきである、という発想は、自己満足でしかないでしょう。

アフガンの子供達に野球グローブとサッカーボールを5000個ずつプレゼントしたからといって、果たして、それが本当にその子達の望むものだと思いますか?

だけど、私たちは、気付かぬうちに、似たようなことを相手にしているように思います。

ソマリアの難民にハム太郎のぬいぐるみ、砂漠の民に赤穂の天然塩をプレゼントするような事を、「与えることは美しい」「私はこの人達を愛
しているのだ」という思い込みの元に、行っているのです。

そうならない為にも、自分の目は、常に自分自身に向けておいてください。

何か問題が生じても、やみくもに相手を責めたり、変えようとしたり試みないこと。

原因は、必ずあなたの中にあるはずなのですから、まず自分自身に焦点を絞って、改める努力をしてください。

「愛されるにはどうしたらいいか」を考えるより、「正しい愛し方」を実践するよう心掛けて。

相手を失うまいとするあまり、幸せを求めるあまり、好きになりすぎる気持ち、本当によく分かります。

だけど、好きになりすぎたら、決して上手くはいきません。

たとえ、それが、美しく見えても、正しいことに思えても、過剰な愛はすべてを台無しにすることを忘れずに・・・。

大丈夫。

あなたが心を入れ替えて、好きになりすぎることをやめても、相手の気持ちは変わりません。むしろ、あなたに対する意識が軽くなって、今まで以上に感謝や幸せを感じてくれるでしょう。

誰もが、愛され、幸せになれる資質を持っています。

上手くいかないのは、ただ、あなたの愛し方が間違っているだけの話なんですよ。

You Might Also Like