女であること  ~漫画『エースをねらえ!』より~

かつて、日本中にテニスブームを巻き起こした『エースをねらえ! 』という漫画をご存じでしょうか。(作:山本鈴美香)

目ダヌキと呼ばれる落ちこぼれの無名選手、岡ひろみが、名コーチ宗方仁に見出され、高校テニス界のスーパーアイドル「お蝶夫人」に薫陶し、素敵な生徒会長、藤堂先輩に支えられながら、ついにはウインブルドンを目指す世界的プレーヤーに成長するというスポ根ドラマです。

この漫画にはいろんな名場面があるのですが、中でも印象的だったのが、岡ひろみがテニスへの情熱に目覚め、一流プレイヤーを目指すべく本格的な特訓に取り組み始めた時、藤堂先輩と恋に落ち、それに気付いた宗方コーチに歯止めをかけられる場面です。

恋心に揺れるひろみに、宗方コーチは諭します。

「岡。一流プレイヤーを目指すなら、お前は女であることを超えなければならない。誰もが、女ゆえの苦しみ哀しみを持っている。道を極めようと挑んだ多くの女が、女であることに甘え、恋に破れ、愛に挫折し、そこで血を流しきる。だがお前はそうあってはならない。道を極めたければ、女であることを超えて、その先に進まなければならないのだ。
忘れるな。テニスに挫折すれば、恋にも破れるぞ」

『女であることを超えろ』

思春期の私にとって、それはそれはインパクトの強い言葉でした。

女であることを「捨てる」のでもなく、「否定」するのでもなく、女ゆえの弱さや苦しさを自分で受け入れた上で、それを乗り越えてゆく・・なんという過酷な道、なんという厳しさかと、身震いするような感動を覚えたものです。

けれど、女というよりは少女、いや、精神的には性の区別さえつかないような、中性的な時代にあって、『女である』ことの重みを実感するには、その頃の私はまだまだ幼すぎました。

実際に、私が『女である』ことの重みを、身をもって体験するようになったのは、やはり三十歳過ぎてからだったような気がします。

仕事がそのまま人生に繋がっていく男性とは違って、女性には、どうしても避けて通れない道がありますね。

『恋愛 → 結婚 → 出産』いわゆる女のフルコースと呼ばれるものです。

どれほど仕事に打ち込んで、社会的にも経済的にも大きな成功を収めたとしても、フルコースを体験できなかった女性にはどうしても負い目や淋しさのようなものが付いて回ります。もちろん個人差はあるでしょうけど、そうしたことに全くなんの負い目も感じない、自分の出した成果に100%満足できる人、あるいは、全くなんの迷いもなく自分の道を100%極められる人、というのは希有でしょうね。

そうした、女ゆえの弱さや迷いや苦しさを知ってなお、「女であることを超えろ」と要求した宗方コーチの哲学は、高校生のひろみには非常に過酷に思えますが、それぐらいの心の強さがなければ、女が道を極めて
何かを成し遂げるというのは非常に難しいのかもしれません。

以前、職場の先輩がこんな事を言っていました。

「女というのは、女に生まれただけで業が深いのよ」

要するに、女に生まれたというだけで、倍の苦しみを負わなければならないという事です。

常に受け身の性であり、「人間である」ことに加えて「女である」ことも要求される『女性』というものは、男性ほど単純に生きていけるものではありません。

男はサッカーボールを夢中で追いかけることができるけれど、女はボールを蹴りながらも、どこかで子宮を意識している――。

女性はいつだって二人分の人生を生きねばならないようにできています。

だからこそ、男の数倍も強いし、頭もいい。

男が子供のまま死んでいくのと違って、女は、「少女
→ 女性 → 母性」と、身も心も変化します。

その過程や役割に付きまとう迷いや苦しみを『業』というなら、それを呼び覚ます業の大元は、男性なのかもしれません。

「女であることを超えろ」

たとえ道を極めようとする女性でなくても、女であるがゆえの迷いや苦しみを突き抜けて前に進んでいかなければならない場面は、人生の過程に数多く存在すると思います。

たとえば、結婚適齢期とか、仕事か結婚の二者択一とか、こんな課題は男の一生にはほとんど存在しませんよね。

そして男性優位のこの社会、女性は「対等になろう」「幸せになろう」としてずいぶん頑張ってきましたが、結局、女であるがゆえの苦しみ哀しみと訣別することはできなかったような気がします。

ただ、権利が保障され、昔の女のように虐げられることがなくなっただけで、女としての苦悩は依然として存在する――むしろ、社会的役割や生き方の選択が増えた分、迷いの数も増えたのではないでしょうか。

本当に女性という性を真剣に考えるなら、権利だ平等だと騒ぐよりも、女であることを積極的に認めて、内面的な超克の努力をしていく方がより幸せに近づけるような気がします。

宗方コーチは、ひろみの努力を認めて、最後には藤堂先輩との恋を許しました。

「忘れるな。テニスに挫折すれば、恋にも破れるぞ」

という言葉は、女性の陥りがちな点を見事に付いていると思います。

苦しみや哀しみに負けて、仕事も放棄、勉強も放棄、日々真剣に生きることさえも止めてしまったら、実る恋も実らなくなるのは当たり前。

女性としての幸せも、人間としての生き甲斐も、必死の努力の先にあるような気がします。

女を捨てるわけではなく、女を否定するわけでもなく、女であるがゆえの弱さや苦しみを認め、受け入れた上で、たくましく前進していく――

それが宗方コーチの求めた『女であることを超えろ』という教えであり、女性としての一つの賢い生き方なのではないでしょうか。

§ エースをねらえ!

今時、スポ根なんて言葉も流行らないけれど、でも、成功して幸せを掴む女性のタイプは普遍だし、愛される女性の賢い振る舞い方も変わらないと思います。これも成功哲学や愛されの法則などなど、いろんな教えが詰まった少女のバイブルですよね。
機会があれば、ぜひご一読下さい。

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