You are OK, I’m OK 恋の信頼関係

皆さんは『彩雲』をご存じですか。
太陽の光の加減で、雲の縁あるいは全体が、まるで虹が架かったように七色に輝いて見える現象です。

雨上がりや、陽が大きく傾く早朝や黄昏にしばしば見られ、古代中国では幸運の始まりを告げる吉兆とされてきました。それはまさに光と雲が織りなす自然の芸術であり、大いなる存在を感じさせる一瞬の奇跡です。
光り輝く太陽の側に、虹のような五色の雲を見たら、悲しみに塞ぐあなたの心もきっと光が差したように軽やかになるでしょう。

ところで、私が『彩雲』を知ったのは、ほんの二年前の話です。
それまでは、雲が絶えず変化するものだという事さえ意識せずにきました。
友達から話を聞いて、本当にそんなものが存在するのかと興味深 く空をウォッチングするようになってから、雲の美しさを知ったような気がします。

だけど、考えてみれば、『彩雲』は私が生まれる前から頭の上に あったはずなんですね。
ただ私が知らなかっただけで、あの日も、 あの時も、彩雲は輝いていたのです。
最近になって、あちらこちらに五色の雲を見るようになったのは、 見たいと思って空を探すからでしょう。
ぼんやりと見上げている 目には、たとえそこにあったとしても、何も映らないのかもしれ ません。

人間にとって必要なものも、かくの如しという気がします。
愛も、生き甲斐も、本当はすぐ目の前にあるのかもしれません。
ただ、あなたが見ようとしないだけ、探そうとしないだけで、本気になれば、いつでも手に入るのではないでしょうか。

人間の目は、意識したものしか見えません。
自分は何が見たいのか、 まずそこから始めてみましょう。

■□■ You are OK, I am OK ■□■

世の中には、「一人で生きるなんて怖い」「一人は淋しすぎる」 と思う人の方が圧倒的に多いことでしょう。
が、実際には、一人でいる方が、二人で生きるよりずっと簡単なんですよ。 なぜなら、一人なら、全ての事を自分自身でコントロールできますが、二人になると、自分一人の力ではどうにもできない事の方が多くなるからです。

たとえば、自分がどうしても中華料理を食べたい時、一人なら自分で中華料理店に行って、好きな料理を注文すれば、それで済み ます。

が、二人だと、どちらかが胃痛で全く食欲が無い場合、あるいは相手が中華料理なんて大嫌いという場合、「だって私が食べたいんだからいいじゃない!」と無理に相手の手を引っ張って店に行 くわけにはいきません。
たとえそれで好きな料理をお腹いっぱい 食べたとしても、満足は得られないでしょう。
そればかりか、相手に無理をさせたことで不満が生じ、せっかくの関係にヒビが入 らないとも限りません。

そして、こんな小さな火種が積もり積もって、ある日突然爆発す るのが『We are…』です。
自分一人の怒りなら、自分でコントロ ールできますが、相手の怒りはどうすることもできません。
慌てて消そうとして逆に山火事にしたり、自分も火の粉をかぶっ て大火傷をしたり・・・そうかと思えば、何気ない笑いの一滴で、あ っという間に鎮まってしまう――。

他人の心というのは、本当にはかりしれません。
決して自分の思う通りにはできないし、予測もつかないものです。

だからこそ、人は人に苦しみながらも、人によって磨かれていく のでしょう。
「他人の心」という、自分ではどうすることもできないもの・・・支配することも、取り消すことも、完全に理解することもできないものと常に向き合って活きていくのが『We are…』です。
自分一人だけを相手に生きていて、うんとラクで簡単なのは、自分の心だけが唯一、自分自身でコントロールできるものだからです。

この世における「苦悩」の大半は、人に絡んだものです。
「子供が言うことを聞いてくれない」「恋人が十分に愛してくれない」「姑が気むずかしい」「職場のスタッフと気が合わない」etc..
その理由の多くは「相手が自分の思う通りになってくれない」ことにあるような気がします。

私たちが「苦しみ」と呼んでいるものの多くは、愛にまつわる苦しみです。
そして、その大半が、「愛する過程」ではなく、「愛を求める過程」で生じているのではないでしょうか。

「愛を求める過程」とは、言い換えれば、自分の欲しい愛を求めて相手をコントロールしようとする過程です。

相手がいつでも自分の望みを聞いてくれて、自分の欲しいものを瞬時に与えてくれるなら、こんなに楽なことはありません。
赤ちゃんに人間関係の悩みが無いのは、無条件に与えられるからです。
知能が十分に発達していないからではありません。
赤ちゃんでも、必要な愛が与えられなければ、やはり病気になってしまいます。

食物が無ければ餓えて死ぬように、心もまた愛が無ければ餓えて死にます。
私たちは、生きるために、食物を欲するように愛を欲します。
愛を欲するのは、人間として当たり前のことで、決して罪悪ではありません。

けれど、愛を得るために、相手を思いのままに支配し、必要な愛 を引き出そうと仕掛けた時、その欲求はエゴという魔物に変わり ます。
そして魔物は、相手も自分も、決して幸せにはしません。

二人で生きることは、四輪駆動の車で走ることではありません。
一、二の三で呼吸を合わせ、二人三脚で走ることです。
互いの足 が一つの紐で括られている以上、どちらかが自分のペースを押し付けたり、相手のペースを無視して好き勝手に走ることはできません。

私のように、100メートルを9.8秒で駆け抜けるカール・ルイス気質の人間が、亀の生まれ変わりかと思うゆっくりペースの彼と一緒に走ろうとすると、それはそれは大変です。
彼の一歩が私の百歩なのですから、彼が最初の一歩を踏み出すまでの間、私はスタートラインで昼寝をし、お菓子を食べ、レンタルビデオを百本ぐらい見て、彼がスタートを切るのを待たなければなりません。

長すぎる間をどうやって一人で持ち堪えるか、つい横から口を出しそうになるのをどうやって抑えるか、それが私の課題です。
私にとって「待つ」という事は苦行以外の何ものでもなく、だからこそ亀の生まれ変わりのような相手が与えられたのではないか、と思うこともしばしばです。

そんな私が彼のペースなど完全に無視して走り出したらどうなるでしょう。
二人を括る紐はぷっつり切れて、二度と元には戻りません。
二人で一緒に走りたければ、二人なりの走り方を見つける 事が必要です。
もちろん、カール・ルイス気質の私が、亀の生まれ変わりである彼のペースにいつもいつも忍耐強く歩調を合わせられるわけでは ありません。
時には、ゴール・テープが切れるよりも早く私自身 が切れてしまい、カール・ルイス対亀の、何とも形容しがたい闘 いが始まることもしばしばです。

かといって、私が亀の生まれ変わりである彼の本質を卑下することができるでしょうか。
また彼が私のカール・ルイス気質を非難し、改造することができるでしょうか。

人間の性質は実に様々で、暴力や裏切りといった根本的な悪と違 い、どれが良いとか悪いとかは一概に言えません。

同じ鉄棒の逆上がりでも、一度でマスターできる子もいれば、百 回やっても二百回やっても出来ない子もいます。
だからといって、 出来ない子が人間的に駄目なのではなく、得意もあれば不得意もある、鉄棒ができないという事実は、一人の人間が持つ様々な特性の、ほんの一部に過ぎません。

人間の性格もそれと同じで、一人でどんどん行動する人もいれば、 新しい事を一つ始めるにも大変な勇気を要する人もいます。誰か に嫌なことを言われても、翌朝にはケロっとしている人もいれば、 端から見れば針の先ほどの出来事に死ぬほど思い悩む人もいます。
その違いについて、どちらが偉い、どちらが劣る、というような ジャッジを始めれば、世の中の人の大半は「駄目」の烙印を押さ れて惨めな思いを味わうのではないでしょうか。

そして、相手を自分の思う通りにコントロールするという事は、自分とは違う相手の特性を自分に無理矢理合わせようとする事、 すなわち、気に入らない相手の性質を自分好みに変えて、自分の欲求を満たそうとするエゴイスティックな試みに他なりません。

もしも、あなたが、「臆病」「のんき」「短気」といった性質に ついて他人から批判され、別のものに改造することを強要された ら、どのように感じますか。自分の人格を否定されたような気がしないでしょうか。まして「愛されている」など感じるはずもな いでしょう。

しかし、同じ事を、あなた自身が知らず知らず相手に仕掛けている事がままあるのです。 相手と気まずくなる原因の多くは、自分の気に入るように相手を変えようと試みた時に生じているのではないでしょうか。

愛とは、支配しないこと。
愛とは、要求しないこと。
愛とは、束縛しないこと。
愛とは、批判しないこと。

口で言うのは簡単ですが、実行するのは至難です。
カール・ルイス気質の私も、亀の生まれ変わりのような彼が、も う少し早いペースで、せめて100メートルを20秒台で走ってくれたら、どんなに楽だろうと思うことしきりです。

しかし、それを彼に強要するのは、私のエゴですね。
彼に「世界最速アスリート養成ギプス」でも履かせて走らせよう ものなら、たちまち亀の甲羅がひっくり返って、息絶えてしまうでしょう。

私にできること、つまり彼に対する私の誠実とは、長すぎる間をどうやって一人で持ち堪えるか、私なりに考えて工夫することで す。 彼が心の整理をつけている間、それがどんなに辛気くさく感じられても、じっと待つ事です。普段と変わらぬ愛情を持って接する ことです。そして決して責めないことです。

以前の私にはそれが分かりませんでした。
だから大げんかになりました。

今は、私が待てる事を、彼は知っています。
知っているから、安心しています。
安心しているから、落ち着いて心を整理することができます。
そして心が整理できたら、いずれ私にとってもベストな結果が得られるでしょう。

相手を自分の思う通りに変えようと試みるよりは、そのままそっくり受け入れる努力をした方が、長い目で見れば、お互いにとってずっと良い結果を得られるようです。

それにつけても、生きた人間を愛することの難しさ――。
相手をあるがままに受け入れ、理解し、愛することの難しさ――。
それを学ぶために、私たちは、愛の対象――恋人であれ、肉親であれ――を与えられるのかもしれません。

愛する人を思う通りにコントロールし、欲しい愛を手に入れようともがく限り、自分にも相手にも、心の平安が訪れることはありません。 どんな人間関係においても、相手の人格を尊重し受け入れることが第一のようです。

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