女性と恋愛

女性の自立について ~真の自立とは~

2002年5月21日

女性にとって実現するのが一番難しく、なおかつ女性の幸福にとって絶対的に欠かせないもの、それは『自立』の一言に尽きる。

『自立』というと、「経済的に独立している」「自分の意見がはっきり言える」「自分で何でも決断できる」・・というようなイメージがあるが、本当の自立は『人に依存しないこと』つまり、お金でも、心の平安でも、幸せでも、自分にとって必要なものは自分で調達する意志があるという事だと思う。

女性は何かにつけ「してもらう」ことを期待する。

「恋人に、幸せにしてもらおう」

「友達に、助けてもらおう」

「夫に、食べさせてもらおう」

「子供に、面倒見てもらおう」

また女性であるというだけで、「してもらえる」あるいは「してもらう権利がある」という風に思い込み、相手に何でもかんでも要求する人は多い。

何か問題が生じた時、まず相手に原因を求め、相手を自分の思う通りに変える(コントロールすること)で、問題を解決しようとするのは、その典型といえるだろう。

では、なぜそういうことを期待し、相手に無言の圧力をかけてしまうのか。

それは 「女は弱い」「女は無力だ」、「だから与えてもらう権利がある」

という事を無意識に振りかざすからだろう。

実際、女性は何か障害にぶつかると、『どうせお嫁さんに行くんだから』と、逃げの体制に入りやすい。

この言葉は、男の人生には絶対に存在しない。

だから喧嘩になる。すれ違う。重たくなる。最終的には捨てられる。

誰と付き合っても上手くいかない人は、たいていこの部分を勘違いしている。

でも、本人はそれに気付かなくて、

「もっと綺麗になれば愛される」

「仕事で実績を積めば認められる」

「何か人に差を付ける事をしなければならない」

という風に、見当違いの努力を重ねてしまいがちだ。

原因は、「相手に幸せにしてもらおう」「相手に自分の問題を全て解決してもらおう」という無意識の依存心にあるのに。

恋人ができると、あるいは夫や子供の世話をしていると、いつの間にか自分の人生がお留守になって、相手中心の生活をしてしまう気持ちはよく分かる。

自分が世話しているつもりが、いつの間にか、「世話している自分」を世話してもらっているのだ。

私も、実際、そういう過ちを犯してきたし、二人の間に深刻な問題が生じるまではまったく気付かなかった。

自分では依存していないつもりだし、ちゃんと自分の足で立っているつもりでも、無意識のどこかにあったのだろう。

「あなたが、私の問題を、全て解決してくれる」

という甘えみたいなものが。

『おじいさんは、芝刈りに。おばあさんは、川に洗濯に』

という時代と違って、今は、生き方の選択の幅が増えた分、迷いも欲も多くなった。

私の母が今の私と同じ年齢だった頃、仕事をしている母親は大変珍しく、仕事で授業参観に来られない時は、先生や友達がいたく同情してくれたものだ。

「私のお母さんは、仕事をしているのよ」と言えば、皆が、「えーっ!」と驚くような時代だった。

ところが、今では、仕事をしている母親など珍しくもなんともない。

かえって、専業主婦の方が肩身の狭い思いをしていたりする。

それに比べたら、私たちは、結婚しようが、しよまいが、何だって好きなことができるし、仕事も堂々と続けることができる。

恋愛だって、婚外恋愛だの、不倫だの、思うに任せて楽しむことができる。昔は、姦通といって、バレたら即、死刑だったけど。

ところが、この自由は、迷いや贅沢という、とんでもない副産物を私たちにもたらす事になった。

一昔前なら、普通の奥さんで幸せに暮らせていただろう人が、

「私も仕事をしなければいけない」

「あの奥さんには負けたくない」

「自己実現したい」

といった、焦りや欲望や見栄の虜になって、今そこにある幸せを投げ打ったりする。

あるいは、早くに結婚して、良き妻、良き母親として生きた方が幸せになっていただろう人が、

「人生経験として仕事はしなければいけない」

「私もキャリアウーマンになりたい」

「もっと遊びたい」

と、周囲の風にあおられて、自分の適性や生き方を見誤ったりする。

結婚だって、親の決めた相手と結婚する方が楽という見方もある。

変に、

「結婚相手は自分で選ぶもの」

「恋愛結婚でなければイヤ」

という思い込みがある為に、縁遠くなる人は多い。

もし、今が、

「娘は、十七歳で、親の決めた相手と結婚するもの」

と定められていたら、今、独りで悶々としている人、あるいは結婚生活に疑問を抱いている女性達の悩み苦しみは、たちどころに消えるだろう。

結婚に夢など見ないから。

人によっては、選択の幅が無い方が、幸せなこともある。

自由に選べる事が誰にとっても素晴らしい事というのは大きな間違いで、自由というのは、それがもたらす危険も重荷もきちんと背負える人にとってのみ有効なものだ。

自由は、ただ選択の幅が増えるというだけであって、結果まで保証されているわけではない。

そこを履き違えると、自由であるが為に、多くのものを失ってしまう。

女性の依存心も、自由でなかった頃に比べたら、ずっと強くなっているような気がする。

なぜなら、自由のリスクを自分で背負えなくなった人が、夫や恋人や子供や周囲の人々に、救いを求めるようになってきているからだ。

言い換えれば、世界に出て自由の翼を思い切り羽ばたかせてきた――それが女性にとって素晴らしく幸せなことだと信じてきた――女性達が、いっせいに疲れだし、叫び声を上げているような感じだ。

私の周囲を見渡しても、一昔前なら、もっと幸せに生きられただろう人がたくさんいる。

あるいは、昔の価値観というのは、女性に厳しいようで、女性の本質を知り尽くし、それに応じていたのではないだろうか。

とはいえ、もはや昔のことを云々しても仕方がない。

今という時代の中で、どうすれば女性が自立できるかということを私たちは考えなければならない。

どうすれば、「相手に幸せにしてもらう」ことを期待せず、自分の手で人生に必要なものをつかみ取っていく姿勢を持ち続けられるかを。

・・・ 後編は、そのあたりのことを書いていきますね。


自分で自分の面倒を見るのは難しい。

辛さ、悲しさ、苦しさ、人間として誰もが感じる孤独を一人で埋めるのは、本当に難しい。

だからこそ、何かが、魔法のように、それらを一瞬にして解消してくれればと無意識に願う。

やがて、それが願いを通り越して依存心に発展しても、私たちはなかなか気付かないものだ。

恋人ができると、

「この人こそ、私を泥沼から救い出してくれる王子様に違いない」

と、勘違いする人は多い。

とりわけ、今の生活に不満たらたらで、自分を変えたいとか、刺激が欲しいとか思っている人は要注意だ。

相手に必要以上にしなだれかかって、嫌われる可能性大である。

男性が女性を鬱陶しいと思う最大の理由は、鼻ペチャでも肥満でも色黒でもない。人生の全てに救いを求める「王子様、助けて」願望だ。

『重い美女』より『軽やかなデブ』の方がよっぽど愛される所以である。

では、なぜ『重く』なるのか。

それは、自分で自分の体重を支えられないからに他ならない。

自分の全てを相手に預けてしまったら、どうなるか。

小錦でも、朝から晩まで体重50㎏の人間を背負って歩くことはできないだろう。

普通の男性なら、なおさらである。
人間関係の最大の基本は、相手の重荷にならないことである。

どんなに愛そうが、愛されようが、相手の重荷になることは極力避けなければならない。

それは「相談事をしない」とか「つらい気持ちを打ち明けない」とか、一方的に我慢する事とまた違う。

相談したければ、すればいいし、つらい気持ちを打ち明けたければ、素直に言えばいい。

要は、そこに、「自分の面倒は自分で見る」という姿勢が有るか無いかである。

どんな深刻な内容でも、「私を幸せにするのは私自身」という心構えがあれば、相手に負担をかけることはない。

逆に、どんな些細な事でも、「あなたは私を幸せにするべきよ」というメッセージが含まれていれば、重く感じさせてしまう。

どんなに言葉を取り繕っても、絶対に誤魔化せないのが、その人の心の姿勢であり、無意識のメッセージだ。

そして相手との関係が深ければ深いほど、心に秘めた欲求や依存心というのは、たちどころに分かってしまうものである。

そこに『王子様』がいるのに、王子様に頼らず生きていくのは、なかなか難しいかもしれない。

誰だって、助けが欲しい。

人に、甘えてもみたい。

ほんの一瞬でも、誰かに自分の全てを預けたいと思うだろう。

しかし、相手が本物の王子様なら、

「あら、12時の鐘が鳴ったわ、帰らなくっちゃ。じゃあね、バイバイ」

と、毅然と去っていくあなたの姿――たとえ舞踏会が終わって、再び悲惨な日常に帰らなければならないとしても――に、むしろ魅力を感じて、追いかけてくるはずだ。

もし、12時の鐘が鳴っているのに、

「家に帰ったら、また意地悪な継母や義姉たちにいじめられるわ。お願い、私を助けて」

なんて泣きつこうものなら、どんなに美しいドレスを着ていても、12時の鐘が鳴り終わった途端に、ボロボロの姿をさらけ出す羽目になる。

それこそ100年の恋も醒めるだろう。

相手がどんなに権力を持った素敵な王子様でも、自分の生活、自分の人生は、きちんと自分で落とし前をつける。どんなに救いが欲しくても、むやみやたらと人にすがったりしない。

その姿勢が、シンデレラを幸せにした。

もし「王子様、助けて」願望の女性だったら、どんな魔法も彼女を幸せにしなかっただろう。

自分を幸せにするのは自分でしかないし、自分の人生を生きてくれるのも自分でしかない。

人間はどこに在ろうと、究極、一人なのである。

それを認識するのは淋しいかもしれないが、その姿勢を持つか否かで、
全ての物事が大きく変わってくる。

何より、相手との関係が劇的に変化するだろう。

ここに書いたことは、ほんの数ヶ月前の私自身に他ならないし、私もまた多くの失敗や過ちを重ねてきたから言うのである。

相手の負担になってはならない。

そして、自分の事は自分で面倒を見る、という強い姿勢を持てと。

そうすると、相手との距離ができてしまうと勘違いしがちだが、実はそうではない。

相手との距離ができることが、かえって、相手を自分に近付けさせるのである。

もし、いろんな物事に行き詰まっていたら、騙されたと思って、自分の心の持ち方を変えてみてください。

そうすれば、全てが劇的に良くなっていくはずです。

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