恋と女性の生き方

じたばたするなよ ~相手にぶつかっていく勇気~

2002年4月30日

恋をすると、いろんな場面で勇気を求められます。

告白する勇気。

相手の気持ちを確かめる勇気。

状況を受け入れる勇気。

etc。。。

中でも、最も勇気を必要とするのは、別れを覚悟して相手にぶつかって いく場面ではないでしょうか。

「もう駄目かもしれない」

「別れた方がいいのかもしれない」

そんな不安でいっぱいの時、自分の中に思いを抱えて苦しんでいても、 事態はいっこうに良くなりません。他人に相談しても、得られるのは助言だけです。誰もあなたに代わって問題を解決してはくれません。

結局、為すべき事は一つ。

相手にどんとぶつかっていく事です。

踏まれても蹴られてもいいから、自分の不安を打ち明けて、相手の気持ちを確かめる事です。

――そんなの、怖いですか?

じゃあ、いつまでも一人で悩んでいますか?

何もかも明日に持ち込んで、解決を先延ばししますか?

もちろん、相手にぶつかっていくにはタイミングが肝心です。

相手が仕事で疲れ切っている時、「本当に愛してるの? 私だけなの?」みたいなヘヴィな話を持ち掛けても、火に油を注ぐだけです。丸く収まるものも砕け散ってしまうでしょう。

相手の状況をよく見て、余裕がある時に、ぶつかってみるといいでしょう。相手が本当にあなたに誠実であれば、きっと真剣に考えてくれるはずです。話を切り出した段階で、逃げたり、茶化したりするようなら、それはもう愛しているとか、いないとかいう以前の問題ですけど。

みんなが恐れているのは、自分の不安を打ち明けることではなく、それによって破局することでしょうね。不安を打ち明けること自体に深い意味はないはずです。友達になら、その不安をワイン片手に何時間でも語ることができるでしょう。

肝心の相手に話せないのは、白か黒かの決着がつくのが怖いからです。グレーの状態でも、完全に失うよりはましだと思っているから、解決をどんどん先延ばしするのです。いろんな理屈を自分に言い聞かせて。

みんな『喪失』を恐れます。

今まで積み上げてきたものが無に帰すこと、あるいは拒絶されること、胸に温めてきた小さな希望さえも打ち砕かれること・・『喪失』の体験ほど心を傷つけるものはないからです。

しかし、本当に恐ろしいのは、「喪失するかもしれない」という不安や焦りの方なんですね。現実にその時が来てしまったら、案外、人というのはたくましく立ち直っていくものなんですよ。

木登りを想像してみてください。

「あー、落ちるー、落ちるー」と、今にも折れそうな小枝に必死にしがみついて、じたばたしている時の方が、どすんと下に落ちてしまった時より、もっと激しい痛みや恐れを感じているはずです。

自分にはこの枝しかない、今、この枝から手を離せば、何もかも無くなってしまう、いやだ、落ちたくない、助けて、死にたくない!!

そう叫んでいる瞬間こそ、地獄の苦しみでしょう。

が、実際には、どすんと落下した方が楽なんですよね。

確かに、落ちた瞬間はお尻が痛むでしょうけど、それも一時のことです。

ダメージも、想像していたよりうんと小さいかもしれません。

傷が癒えれば、また歩くことができます。

落ちたときの痛みを想像してじたばたしているよりは、いっそ落ちてしまった方が、うんと自由で、選択の幅があって、可能性にあふれているのかもしれません。

しかし、じたばたしている最中は、なかなかそうは考えられないものです。まるで、その小枝がこの世で唯一の拠り所のように思い込んで、すがって、すがって、全力を使い果たし、落ちる恐怖の中でぼろぼろになっていく――
落ちてお尻を打つこと自体はたいした問題ではありません。落ちるまでの恐怖が、人間を疲弊させるのです。

いっそ手を離せば、落ちた先は1メートルもない柔らかい地面かもしれない、あるいは別の枝に救われるかもしれない、結果は想像していたものと全然違うかもしれないのに、じたばたしている人間には、落ちた時の痛みしか分からないんですね。

あるいは、落下を激しく恐れる人は、よほど高く木に登りすぎたのでしょう。1メートルの高さから落ちるのと、100メートルの高さから落ちるのでは、確かに衝撃は違います。それまで幸せ過ぎたのか、あるいは傲慢という良からぬプライドが自分を高く高く持ち上げてしまったのか、ともかく高く登りすぎると、その恐怖も凄まじいようです。落ちるのが怖ければ、ほどほどに登ることですね。・・とはいえ、一度、順調に登り始めたら、どこまでも登ってしまうのが人間ですけど。

ともかく、一つだけ言えるのは、今、自分がしがみついている小枝が全てだと思わないことですね。そして必要以上に落下を恐れないこと。

「落ちる=全ての終わり」では決してありません。

かえって地面に叩き付けられたからこそ、見えてくるものがたくさんあります。

地上でただ一つの拠り所だと思っていた小枝が、実は、無数に存在していたり、これこそ世界一と思っていた木が、実は、ちっぽけな枯れ木だったり・・。

肝心なのは、自分が今までしがみついていたものの実像をしっかり見極めることでしょう。もちろん、傷を癒すのも大切ですが、ある程度、落ち着いたら、しっかと目を開けて、確かめることです。どんなに衝撃が大きくても、「なーんだ、あんなものにぶら下がっていたのか」と思えるようになったら、もう新しい幸せは近いですよ。

だから、必要以上に恐れずに、時が来たら、自分をぶつけてみてください。一人でくよくよ思い悩んだり、怖がったりせずに、どん! といきましょう。そして真実をしっかり見極めましょう。

たとえ、それが思う通りにいかなくても、とうとう破局してしまっても、そこで終わりではないのですから。

この世に、登れる木は無数にあります。

意欲さえ失わなければ、また新しい木に登れます。

真実を知ることを恐れて、枝から枝に逃げ回っても、決して幸せにはなれません。いつまでも暗いジャングルをさまよい続けるようなものです。

大丈夫、結果のいかんによらず、大きな勇気を出せた人は、きっときっと今より見晴らしのよい場所に辿り着けます。どんどん木登り上手になって、もう危ない木の上で悩んだり、苦しんだりすることもなくなるでしょう。

「じたばたするなよ」

そう言い聞かせて、その難局を乗り越えてください。

今よりもっと幸せになるために。

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