愛されることへの不安

数年前、人気女性タレントがノイローゼから飛び降り自殺した時、彼女と親しかった著名人がこんな事を言っていました。

「君は、君が思っている以上に、みんなから愛されていたのに」

心を病んだ多くの人が、愛の欠如に苦しみ、自分で自分を追いつめていくことを思うと、この言葉こそ、愛し愛されることの難しさ、人間の孤独な一面、そして私たちが陥りがちな愛の過ちを端的に表しているような気がしてなりません。

「君は、君が思っている以上に、みんなから愛されていたのに」

実際、その救いを実感することなく、周囲から孤立して苦しんでいる人 はたくさんいるような気がします。

「周りの人間は薄情で冷酷だ」と恨んでしまえる人の方が、まだ自分を傷つけることは少ないのではないでしょうか。

死ぬほど自分を追いつめてしまうのは、自分を責めるばかりで、愛されないことへの不安や怒りを相手にぶつけることができないからです。

「私はみんなから愛されてる」と絶対的な自信をもって生きている人は少数でしょう。

誰もがある種の不安と孤独を抱えながら、愛のある場所を求めてさまよ っている――そんな気がします。

では、なぜ、そんなにも人間には愛が必要なのか。

パンや衣服や立派な家だけでは満足しないのか。

それは私たちが心で生きる動物であり、心を満たすものは心でしかない からでしょう。

犬や猫にも、「感じる部分」はあるでしょうけど、人間のそれはもっと複雑で奥深いです。餌をもたったり、頭を撫でられたぐらいでは安心できないのが人間の心であり、私たちは永遠に満ち足りることのないズタ袋を抱えて生きているようなものかもしれません。

もしも私たちが「愛されない」不安から、気が狂ったようになったとし たら、吸血鬼ドラキュラと同じですね。

ドラキュラは、人間の生き血を吸っても吸っても、永遠に満たされるこ とはありません。吸えば吸うほど渇きを覚えて、もがき苦しみます。そ して、生き血を吸うことができるなら、何百人、何千人の命が犠牲にな っても構わない、しかも、自分と同じ地獄の仲間が増えると喜んでいる、 本物の悪魔です。

同じ姿が、私たちの中にも潜んでいないでしょうか。

少し優しくされたら、もっともっととせがんでみたり、何かで拒否され たら、しつこく追い回してみたり、その姿はまるで生き血を求めてもが き苦しむドラキュラと同じです。

ドラキュラが救われないのは、永遠に満たされることがないからで、も し彼が強烈な魂の渇きを他の方法で癒すことを知ったら、あるいは、自
分を満たすために人を傷つけてはいけないのだと悟ったら、すぐに天国に行けるはず・・・。

だけど、餓えて狂った怪物には、「求める」ことしか分からない。

心臓に杭を打たれ、首をはねられるまで、魂の飢えから解放されることはありません。

けれど、多くの人間は、そうなる前に理性で考えることができます。

ほんの少し、我慢したり、見方を変えたり、心を鍛えることによって、ドラキュラの苦しみから心を解き放つことができます。

人間と悪魔の違いは、理性に支えられた知恵があるかどうかでしょう。

どんなに感情が荒れ狂っても、理性がそれに勝れば、私たちはドラキュラの苦しみを味あわずに済むようです。

愛されることへの不安は、誰もが多かれ少なかれ、心に抱います。

だけど、あなたが不安なように、あの人も不安なのです。

そう思えば、「愛されない」と嘆く前に、自分が何をすべきか見えてこないでしょうか。

あなたが花束を贈られたら嬉しいように、あの人だって同じ贈り物を心待ちにしています。

もし、あなたが、愛されることへの不安におびえ、「誰も私を愛してく れない」と嘆いているなら、あなたが欲しがっているものを、まずあな たから相手にプレゼントしてはどうでしょう。

自分が愛されていないと不満に思う時は、たいてい、自分が与える以上の愛を相手に期待しているものです。

ならば、その期待から自分を解き放って、与える方に心を注いだ方が、 自分も相手も幸せになれるような気がします。

「そんな事をしたら私が損をする」と思うようなら、いつまでたっても 愛の飢餓地獄から抜け出せません。

ドラキュラが、生き血を吸っても吸っても満たされないのは、求めてばかりいるからでしょう。

それでも不安に思うとき、この言葉を繰り返してみてください。

「君は、君が思っている以上に、みんなから愛されていたのに」

ただ、あなたが気付かないだけで、意外と人はあなたに心を注いでいるものですよ。

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