恋と女性の生き方

年齢幻想 ~幸せを諦めないで~

2002年4月22日

七月に入ってから、自分の人生や将来について深く見つめ直す機会が相次いだ。今までも十分、内省し、新しい展望を得てきたつもりだったが、決して考えが刷新されたわけではなく、あくまで苦し紛れの言い訳であり、慰めだったように思う。

そう、たとえるなら、イソップ童話の「キツネとブドウ」みたいなもの。

どうしてもブドウを手に入れることができなかったキツネが、最後には、

「どうせ、あのブドウは酸っぱいんだ」

と吐き捨てて、立ち去るあの心理と同じだ。

自分を正当化するために、あるいは苦しさから逃げるために、私たちはいろんな言い訳を考え、自分の中にある根本的な問題から回避しようとする。

本当の安らぎ、本当の幸せは、その問題を解決した時はじめて得られるものなのだけど。

でも、今は、見えてきたような気がする。

ここに至るまで、本当に長い時間がかかったけれど。

そんな心境の変化もあって、今回は「です・ます調」ではなく、従来の語り口調で書いてみた。

( ちょっと長いので、前半と後半に分けて配信します。)

■□■ 年齢幻想 : 前 ■□■

二十九歳と九ヶ月になった時――つまり三十歳の誕生日があと三ヶ月に迫った頃――
私はもう発狂寸前で、寝ても覚めても「時間よ止まれ」、カレンダーをめくるのも恐ろしく、こんな惨めな思いするくらいなら死んだ方がましだ、と馬鹿みたいに思い詰めていたものだった。

その頃の私は、彼氏も無く、仕事にも行き詰まり、家族には売れ残りの厄介者扱いされて、人に会うのも億劫なほど落ち込んでいた。

何をしても、誰に会っても面白くなくて、「それでも、私の毎日は充実してるわよ」と、力説すればするほど空しくなる悪循環。

そのうち、私ほど醜い人間はいないのではないかと思うようになり、鏡を見るのも恐ろしいほどだった。

今から考えたら、何をそんなに思い詰め、自分を卑下する必要があったのか、本当に不思議なくらいだけれど、その時には、その時の自分にしか分からない苦しさがあり、惨めさがあり、それにがんじがらめになってしまう。

喩えれば、吹き出物など何も無いのに、自分の顔には醜いオデキがあると思い込んで、一人でもがき苦しんでいる状態だ。

それはもう他人に説明できるものではないし、慰めや励ましで解消するものでもない。

自分自身でさえ原因が分からないのだもの。

実体の無い幽霊を手で追い払って、どうしてそれから逃げられるだろう。

そんな真っ暗な時期をちょっと通り過ぎたある夜のこと。

私は、会員制のバーで、エイコさんという一人の女性に会った。

エイコさんは、四十過ぎのシングル・マザーで、愛好家の間ではかなり名の知れたアンティーク・ショップのオーナーだった。

ワインを飲みながら、話が私の誕生日に及んだ時、

「私ね、もう三十歳になってしまったんですよ、もう人生終わったようなもんですよね」

と、つぶやくと、エイコさんは大きく目を見開いて、

「何を言ってるの、あなた。女の人生は三十歳からよ。三十を超えてから、本物の美しさを身に付けることができるのよ」

と、おっしゃった。

私が、下手な慰めね、という顔をすると、

「二十代は、ただ若いだけ。若いという以外に、何も無いでしょう。人を思いやる気持ちも、社会を見通す力も、人間としての本当の魅力が備わるのはこれからよ。どんな女性もね、心が成熟してはじめて、本当に美しいといえるのよ。そして、女性としての輝きが一番増すのが三十代なの。三十代こそ、女の華よ。私は、あなたの年齢が、本当に羨ましいわ。私がもし、人生をやり直すことができるなら、もう一度、三十代に戻って、あの充実感を味わいたいわ」

すると、横に座っておられたママも、

「この子は、何も分かってないでしょう」

と苦笑された。

「女にとって、本当の幸せとは何か、本当の美しさとは何か、何も分か ってない。だから、『三十になった、ああ、もう終わった』って、年だけ数えて落ち込んでるのよ」

その言葉を聞いて、私の頭の中から暗い思い込みが吹っ飛んだ。

「女って、本当に三十代が華なんですか?!」

私が食いつくと、

「今に分かるわよ」

と、エイコさん。

「私が断言してあげる。これから、あなたには、素晴らしい出来事が次々に訪れるわ。だから存分に楽しみなさい。三十代がどんなに面白くて、素晴らしいか、生きてみればきっと分かるはず」

かくして、エイコさんの予言は的中した。

私が人生に誇れるような出来事 ―― 恋も、仕事も、友達も、本当に心から素晴らしいと思えるものは、全部、三十代になってから得た。

二十代の私は、エイコさんの言う通り、『ただ若いだけ』だった。

若いというだけで、全てが許され、全てに甘え、自分から何一つ掴もうとはしなかった。

自分では何もかも分かり切っているつもりだったが、何一つ、分かっていなかった。

ただ若いだけで、中身は何も伴ってなかったような気がする。

例をあげれば、もし私が二十五歳の時に今のboy friendに出会っていたら、とっくの昔に喧嘩別れしていたと思う。

何より、彼が私を好きにならなかっただろう。

支えたり、歩み寄ったり、受け止めたりできるのは、年を重ねた分、心が成熟したからだ。

いくら情熱があっても、心が未熟では、どんな熱い関係も長続きしない。

二十代の恋がことごとく失敗したのは、恋を実らせるにふさわしい心を、私が持っていなかったからだと思う。

『女性は、何かにつけて、人生のピークを急ぎたがる』

というのは、人気エッセイスト斉藤薫さんの言葉。

恋愛も結婚も出産も、とにかく一年でも早く済ませてしまおう、若いと言われるうちにやってしまおう、という思い込みに任せて、人生を急いでしまう。

一年、二年、早く願いが成就したからといって、その分、幸せが長続きするわけではないのに、『齢を取る=
女としての価値を失う』という年齢幻想に憑かれて(疲れて)、落ち込んだり、苦しんだり、意欲を失ったり、自信を無くしたり、時には意にそぐわぬ選択をして人生そのもの
を誤ってしまう。

『年齢』そのものにはほとんど意味は無く、心も体の若さも、相対的なものなのだけど。

もし今、

「結婚するなら二十代のうちに」

「もう三十だから、人生終わったも同じ」

「四十なんて、女じゃない」

などと思い込み、年の数で、心を、人生を、縛り付けている人があるならば、こう言いたい。

「二十代が女の華の時期だなんて思っていたら大間違い」

「三十代は、世間一般が考えているより、ずっと有意義で面白い」

「四十代になってはじめて、女としての実力が評価される」

そして五十になっても、六十になっても美しい人が、本物の女性なのだと。

とはいえ、迫り来る誕生日の恐怖におののく人には、どんな言葉も励ましにはならないだろう。

次回は『年齢幻想』の克服の仕方について書いてみたいと思う。

ちなみに、女優の黒木瞳さんは、もう四十過ぎです。

同じ年を取るなら、あんな風に成熟したいものですね。


<「年齢幻想」後半>

野菜も魚も果物も、種類によって旬の時期はまったく違う。

夏が食べ頃の野菜もあれば、秋に実る野菜もあり、それぞれが、それぞれに適した時期に、最高の味覚を味わえるよう定められている。

人間もそれと同じで、早咲きの花もあれば、遅咲きの花もある。

二十五になれば、三十になれば、どれもこれも皆いっせいに咲いたり散ったりするのではなく、その人にはその人に応じた「熟れ頃」「食べ頃」というものがあり、遅いか早いかは関係ない。

要は、人生の最後に大きな実りを得れば、それで万事OKなのだ。

私はこの夏で35歳と6ヶ月になる。

ここに至るまで、本当にたくさんの節目があり、分岐路があり、苦しいながらも無我夢中でやってきた。

「あの時、あの人と結婚していれば・・」

「あの時、あの人の求めに“うん”と言っていれば・・」

そう思う事も多々あったけれど、今となっては、これで全て良かったのだと心から思える。

なぜなら、私は自分の旬の時期を見失わずにこれたからだ。

世間一般の見方からすれば、勉強も恋愛も結婚も出産も、私のタイムスケールはかなり遅い部類に入るだろう。

実際、燃えるような恋を体験したのは32歳が初めてだし、真面目に結婚を考えるようになったのも34歳になってからだ。

それまでは、自分に夢中だった。

正直、他人(男)なんて、必要なかった。

それくらい私は強かったし、孤独でも自由であることを好んだ。

世の中には、見たいものや学びたい事、やりたい事が数え切れないほどあって、恋愛や結婚に自分を注ぎ込んでいる場合ではなかったのである。

今、いろんな事を振り返ってみると、私には私の旬の時期があったのだとつくづく思う。

心が熟していない、まだ青い時期に、世間と足並み揃えて人生を急いでいたら、私は、今頃、ヒステリックな女房になり、子供を支配する神経質な母親になっていただろう。旦那は年中、不満たらたらで、子供はノイローゼという、見るも無惨な家庭が出来上がっていたかもしれない。

そして、神様は先回りして、そういう不幸から私を救ってくれたのだと思う。

私が本当に幸せな結婚をするにふさわしい心を持つようになるまで、いろんな苦労を味あわせて、鍛えられたのだ、と。

仕事でも、結婚でも、人間には、それをするにふさわしい時期というものがある。

技術が未熟なうちから大きな仕事を手がけても決して上手くいかないように、恋愛も結婚も、焦っては台無しにしてしまう。

何事も、準備あっての成功だ。

穴だらけのバケツでがむしゃらに水を汲んでも、瓶の水はいっぱいにはならない。

かくいう私も、決して準備万端というわけではなく、毎日が自分との戦いだ。やらなければいけない事、学ぶべき事、あれもこれも山のようにあって、いつになったら望む幸せに辿り着けるのだろうと溜息つくことしきりである。

それでも、一つだけ言えるのは、ちょっと遅くなったかもしれないけど、『これで良かった』ということだ。

孤独や誤解、嘲笑、責めといった、たくさんの試練があったけれど、自分の旬の時期を見失わずにこれたということが、今は何よりも嬉しい。

そして、私が皆さんに言いたい事は、決して焦ったり、諦めたりせずに、自分の花開く時期に向かって、着実に歩みを進めて欲しいということ。

そして、自分はどんな花を咲かせたいのか、どんな実を付けたいのか、しっかり考えて、旬の時期が来たら思い切り花開けるように、力を蓄えておいて欲しいということだ。

「・・歳なのに、彼氏がいないのは恥ずかしい」

「・・歳までに、結婚しなければいけない」

「・・歳にもなって、今更、こんなことできない」

そんな年齢幻想に囚われて、自分を追い込んだり、萎縮したり、脅えたりしている人があるならば、今すぐ自分の可能性を思い出して、二度と戻らない「現在」という時間をしっかり生きて欲しい。

人にはそれぞれ旬の時期があって、夢はいつどんな形で叶うか、わからないのだから。

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