映画

ピクサー・アニメ『WALL・E(ウォーリー)』 痛烈なる社会風刺と第二の創世記 ~でもロマンティックな傑作~

2008年12月10日

2001年、初めてアメリカを訪れた時のことである。

大手のスーパーマーケットに行くと、買い物カート置き場に、電動式の車椅子が二台置いてあった。

「さすが、アメリカ。身障者も楽しくお買い物できるように、電動式車椅子のカートがちゃんと用意されているのね」──と思いきや。

それは身障者が乗るのではない。

太りすぎて歩けなくなった人が利用する車椅子だったのである。

『太りすぎて歩けない』。

これがどういう意味か分かるだろうか。

ピザ、ケーキ、ハンバーガー、チップスといった高カロリーかつお手軽ファーストフードの大量摂取。

車で受け取り可能なドライブスルー・ファーマシー(薬局)や、ドライブスルー銀行といった、完全な車社会。

便利で、快適で、歩く必要のない社会が生み出した、恐るべき現代病。

以前、エディ・マーフィー主演の映画で『ナッティ・プロフェッサー』という作品があったが、あそこに登場する「太目さん」は決してではない。

実際に、あれよりもっと肥えた人、肥えすぎて自分の足で歩くことすら出来ない人が、アメリカにはたくさんいる。

ナッティ・プロフェッサー

そういう人たちが、電動式の車椅子に乗って、スーパーで買い物をし、ディズニー・ワールドで遊び、なおも快適な生活を追い求めて、『パパ・ジョーンズ』や『マクドナルド』あたりを渡り歩いているのである。

だから、ピクサーの最新作アニメ『WALL・E / ウォーリー』を見た時、これは決して未来社会の空想ではない、既に始まっている現代アメリカの光景だと思った。

肥満だけではない。

広大な敷地にどんと構える大型スーパー・マーケット。

『Buy N Large』(がっぽり買ってね)の名前の通り、スーパーの中はありとあらゆる商品であふれ、消費しきれないものがまだ山積みになってあふれかえっている。

WALL・E / ウォーリー

私はこのショットを見た時、アメリカ全土に市場を展開する大手スーパーマーケット・チェーン『Wal★Mart』を連想せずにいなかった。

WALL・E / ウォーリー

映画の光景と全く同じく、広大な敷地に果てしなく広がる大店舗。

安い物を大量に、必要以上に買わせる商法で、アメリカ人の生活を形作っている。

映画に登場する『We got all you need, and much more(あなたが必要とする全てのもの、それ以上のものを取り揃えております)』の台詞そのままに。

WALL・E / ウォーリー

その結果、地球はどうなった?

成層圏までゴミだらけになり、人類はとうとう『Axiom』なる宇宙船に乗り込み、はるか宇宙の彼方へと旅立ってしまった。「There’s plenty of space in space(宇宙にならもっと空きスペースがある)」と楽天的に笑って。

だが、一人(一個)だけ、地球に取り残されたものがいた。

それがゴミ処理ロボット『WALL・E』である。

お腹の中にゴミを詰め込み、ぎゅっと立方体に圧縮して、きれいに並べていく。

そんなことをもう700年も繰り返し、『WALL・E』の建てたゴミタワーは、さながらマンハッタンの摩天楼のように町中に林立していた。

そんな『WALL・E』にとって唯一の楽しみは、ゴミの中から素敵な記念品を拾ってコレクションにすることと、古いビデオテープに録画されたミュージカル映画『ハロー・ドーリー』を観ること。

中でも『WALL・E』のお気に入りは、恋人たちが互いの愛を感じながら手を取り合う場面。

WALL・E / ウォーリー

いつか自分もこんな風に誰かと手を繋いでみたい──。

ロマンチックに夢見る『WALL・E』の前に現れたのが、特命を帯びて宇宙からやって来た最新鋭ロボットのEVEだった。

頭の先から足の先まで最先端の技術で磨き上げられ、クールに振る舞う姿に一目惚れした『WALL・E』は、何とか彼女の気を引き、『ハロー・ドーリー』の恋人たちのように手を取り合うべく、自分の船に招き、自慢のコレクションを披露する。

中でもEVEが心引かれたのはライターの火だった。

WALL・E / ウォーリー

何故、「火」なのか。

アメリカの某州の知人の家々を訪ねると、台所にあるのはたいてい電磁調理器で、火を使う家庭はめったにない。

「火で調理する」という観念さえない子供だっている。

もちろん今もガスコンロはある。それが完全に人々の生活から姿を消すことは恐らく無いと思う。

だが、全てのエネルギーを電気でまかなっている宇宙船においては、「火」というのはもはや原始的な道具であり、扱いの煩わしい、危険なものでしかない。

最先端の人工的な世界からやって来たEVEが、原始のエネルギーであり、自然の一要素である「火」に感動したのは、非常に象徴的なエピソードなのだ。
(ちなみにこの「火」はエンディングで生活の重要なエネルギー源となり、その火を囲んで再び人間らしい集いが始まるプロセスに描かれている)

そうして全身これデジタルなEVEが『WALL・E』に心を開き、微笑みを見せると、すっかり有頂天になった彼は、最近発見した「とっておきの宝物」を彼女に見せる。

が、その瞬間、EVEはその宝物を体内に取り込んでフリーズし、宇宙船に連れ去られてしまうのである。

EVEを失うまいと宇宙船に飛び乗った『WALL・E』は、もう7世紀も銀河の片隅で航行している『Axiom』の中にドックインする。

そして、そこで目にしたものは、すべてをコンピューターに管理された肥大化人間の社会だった。

WALL・E / ウォーリー

彼らは一日中、コンピューターのモニターと向かい合い、相手が隣に居るにも関わらず、モニターに映し出された画面を相手に喋り続けている。

「なんじゃ、こりゃ」と思うかもしれないが、現実に、私たちはSkypeやメッセンジャー、掲示板などを通して、似たようなコミュニケーションを体験をしている。

人間に対する感覚も、外界に対する好奇心も薄れ、モニターに映し出されるものが全てになっている『Axiom』の住人は、決して「空想の産物」ではないはずだ。

彼らはまた重力の少ない所で何世紀にも渡って生活してきた為に骨容量が著しく減少し、今では歩くことさえままならない。
歩かないから脂肪ばかりが増えて、筋肉も発達しない。
コンピューターのコンソールを操作する指先だけが器用に動き、それ以外のものは「完全に」と言っていいほど退化してしまっている。

これも映画の誇張ではなく、先にも述べたように、「太りすぎて歩けない」人々の姿と何ら変わりはない。

もちろん、作中では、「重力が少ないせいでこのような体型になった」という説明しかなされていないが、二十四時間、オートボットに世話してもらい、文字通り「There’s no need to walk」の世界を実現させてしまった人類のなれの果てであることは疑いようがない。
この「There’s no need to walk」は決して未来の物語ではなく、アメリカの車社会で現実に起こっていることなのである。

WALL・E / ウォーリー

彼らはまたファーストフードのミルクシェークのようなもので食事を取り、噛むことも、調理することもない。

WALL・E / ウォーリー

どろどろのシェークをズルズルすする音はジョークというより奇怪である。

これもまた「便利」「手軽」で済まそうとする現代の食生活に対する警告に他ならない。

そして極めつけは、なおも宇宙船を支配する大手スーパーマーケット『Buy N Large(でっかく買おう)』のコマーシャルである。
彼らのプロパガンダのようなコマーシャルは人間社会を完全に支配し、

『Attension, Axiom shoppers, Try Blue. It’s new Red(ブルーを着てみて、これが”新しい青”よ)』というアナウンスが流れると、皆の洋服が一斉に青に変わる。

WALL・E / ウォーリー

マーケットが『赤』と言えば、「青いもの」でも「赤」になる。そして、その通りにする。

自分たちは支配されていないつもりでも、市場に踊らされている部分はたくさんあるはずだ。

これら一連の光景はユーモアを通り越して痛烈な批判であり、この作品の核ともなっている。

『WALL・E』という作品は、登場人物の大半がロボットだけに、台詞らしい台詞がほとんど無い。

なまじ「主張」がないからこそ、一つ一つの象徴的な場面が観る者の心に鋭く突き刺さる。

コンピューターやオートボットに完全管理され、デスクの上のコーヒーを取るにもシートリクライニング機能を使わなければ自分で上半身を起こすこともできない人々より、一途にEVEを追いかけて、騒動を巻き起こす『WALL・E』たちの方がどんどん人間らしく見えてくるのだから不思議だ。

そんな奇妙な『Axiom』の命運を変えることになったのが、EVEの持ち帰った『WALL・Eの宝物』だ。

『宝物』は地球復活の予兆を告げる重要なアイテムであり、希望の『芽』である。

だが、人類の地球帰還を喜ばないオートパイロットは、事の重大さに気付いた船長をキャビンに閉じ込め、艦橋を乗っ取ってしまう。

そこで『WALL・E』たちの活躍が始まるわけだが、完全に機械に飼い慣らされたような人々が本当に母なる大地に帰還することが出来るのか。

その答えとして、一組の男女が登場する。

WALL・E / ウォーリー

彼らはたまたま『WALL・E』の騒動に巻き込まれ、コンピューターのモニターから解放された為に、自分の目で世界を見ることが叶った人達である。

生まれた時からずっとモニターと向かい合って生きてきたジョンとメアリは、目の前に広がる「本物の世界」と、『WALL・E』&EVEのダンスに陶然とし、「素敵ね」と微笑み合う。

そんな二人の手が偶然触れ合ったことから、彼らは今まで経験したことのない感情を覚え、その後、プールに連れ立って、子供のように水しぶきを掛け合いながらはしゃぐ。

モニター越しのお喋りよりもずっと素敵な触れ合いに気付いたジョンとメアリは、もう二度とモニターと向かい合うことはなく、Axiomが危機に陥った際は二人で協力して床に投げ出された赤ん坊たちを救う。

長年Axiomの内部に住みながら、そこに大きなプールがあることさえ知らなかったメアリ。

「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、自分の世界に固執して、自分以外のものには関心さえ向けない人々には確かに似たような一面がある。

しかしながら、自分の目で外の世界見つめ、人との本当の触れ合いを知ったジョンとメアリが、もう二度とモニターの世界に戻ろうとしなかったことは、これから地球に帰還しようとする人類の可能性を示唆するものであり、それはそのまま、現代を生きる私たちへのメッセージでもある。

「モニターから離れて、隣の人と手を取ろうよ。そして自分の目で世界を見つめよう」

ジョンとメアリのエピソードは、この作品に込められた作者の意図をもっとも分かりやすく伝えているのではないだろうか。

すったもんだの末、地球に帰り着いた人々は、恐る恐る大地に降り立ち、まずは緑を育てることから始める。

そんな彼らがどんな未来を辿ったか。

それはエンディングで如実に描かれている。

このエンディングの素晴らしい点は、第二の創世記を絵画の歴史になぞらえて表現しているところだ。

まずは原始人が描いたラスコー洞窟の壁画のようなAxiomの帰還。

WALL・E / ウォーリー

そして古代マヤ文明のような壁画。

WALL・E / ウォーリー

ここで原始のエネルギーである『火』が導入されている。

次に、ルネッサンス時代のような素描。

WALL・E / ウォーリー

17世紀から18世紀にかけてのクラシックな絵画。

WALL・E / ウォーリー

最後は19世紀後半に登場した印象派のような油絵。

WALL・E / ウォーリー

『WALL・E』のすごいところは、これだけ痛烈なメッセージを人間の口から主張させず、ロボットたちの無声映画のようなやり取りの中に深く静かに描いたところだ。
彼らは「愛している」とも言わないし、「自然が一番」とも言わない。
ただ、見つめ合い、触れ合い、人類の希望の芽を命がけで守り抜いて、「誰かと手を取り合う」という夢を果たす。
ロボットよりもロボット的な生き方をしている人々の合間を縫って、ドタバタと恋を成就させる『WALL・E』の活躍は、コメディ・タッチでありながらどこか尊いものを感じさせ、本当に大切なものを思い起こさせてくれる。

「靴」──すなわち人が大地に生きたことを物語る(オートボットで移動するAxiomの住人は靴すら履かない)古びたグッズの中に小さく芽生えた『WALL・E』の宝物は、世界を支えるトネリコの樹のように大きく育ち、いつまでも二人の恋と人類を見守ってくれることだろう。

まだ手遅れではない。

大切なことに気付きさえすれば、地球はいつでも私たちを受けとめ、共に生きてくれるのだということを、『WALL・E』のつぶらな瞳(?)は教えてくれるのである。

*

この作品を理解する上で欠かせないのが『WALL・E』の大好きなミュージカル映画「ハロー・ドーリー!」

私はこの映画を観たことがないので、どんな内容なのかは以下のサイトから引用しておきます。

http://cinemassimo.livedoor.biz/archives/51403449.html

秀作アニメ「WALL・E/ウォーリー」の主人公が宝物にしているのが、この古いアメリカ映画「ハロー・ドーリー!」のビデオ・テープだ。ブロードウェイの大ヒット作品の映画化で、監督はダンスの名手で俳優のジーン・ケリーが務めている。

美人で世話好きの未亡人ドーリーは、他人の縁結びが大好きな女性。町の名士だが金儲けばかりに夢中の中年男ホレスにもお相手を見つけるが、すったもんだのあげく、結局は自分が彼と結ばれる。

ウォーリーが繰り返し見ているその場面は、ホレスが営む飼料店の従業員の、コーネリアスとバーナビーの二人が町の人々と歌い踊る楽しげなシークエンス。二人の青年が、ロクに休みもくれない雇い主に嫌気がさし、すてきな恋がしたい!と小さな町を飛び出して大都会NYへと向かう場面だ。弾むようなメロディの曲「日曜日には晴着で」にのって、美しい娘に出会って彼女にキスするまで帰らないと高らかに歌う。優雅なロングドレスと背広姿の男女の装いはクラシックだが、次々に変化するメンバーの踊りで町と駅を埋め尽くす様は圧巻だ。主演のバーブラ・ストライサンドも一緒に歌うが、彼女がクローズアップされる場面ではなく、多くの着飾った男女が歌い踊る群舞の迫力が魅力。恋をすると決めて町を飛び出す青年たちの姿と、大好きなイヴを追って未知の宇宙に飛び出すウォーリーの姿が符合する。ただ、ウォーリーがこだわる“手をつなぐ”行為は特に強調されるわけではなく、単にダンスの振付の一部という印象だ。

劇中では、ジャズ界の巨人サッチモことルイ・アームストロングも登場し、独特のダミ声で歌を披露している。ちなみに、このサッチモの十八番のひとつに「バラ色の人生」があるが、「ウォーリー」の中でも効果的に使われていた。製作時はミュージカルの黄金期を過ぎてはいるが、バーブラ・ストライサンドという素晴らしい歌手・女優を得て華麗なミュージカル映画となった。

(出演:バーブラ・ストライサンド、ウォルター・マッソー、マイケル・クロフォード、他)
(1969年/アメリカ/ジーン・ケリー監督/原題「Hello Dolly!」)

『WALL・E』がうっとりと見入る踊りの場面で歌われているのは「Put on your Sunday clothes(日曜日には晴れ着を着て)」
なぜこの曲が使われたかについては、こちらに詳しい解説がありますので、ぜひご参照下さい。

「WALL・E」を観る前に観るべき映画その1-「ハロー・ドーリー!」

Put on your Sunday clothes,
There’s lots of world out there
Get out the brillantine and dime cigars
We’re gonna find adventure in the evening air
Girls in white in a perfumed night
Where the lights are bright as the stars!
Put on your Sunday clothes, we’re gonna ride through town
In one of those new horsedrawn open cars

日曜日には晴れ着を着よう
外の世界にはたくさんのものがある
安物のタバコやポマード(?)brillantine=An oily, perfumed hairdressing.
から おさらばして
黄昏の中に冒険を見つけに行くんだ
星のように光り輝く 薫り高い夜の中に
白いドレスに身を包んだ美しい娘達を見つけにね
日曜日には晴れ着を着て
町の外にくりだそう
新しいオープンカーの一つに乗って(?)

『WALL・E』がEVEと出会った時に流れる『La vie en Rose』も素敵な曲でした。
歌っているのはルイ・アームストロング。
オリジナルは偉大なフランスの歌手エディット・ピアフの歌うシャンソンです。

Hold me close and hold me fast
The magic spell you cast
This is la vie en rose

When you kiss me heaven sighs
And tho I close my eyes
I see la vie en rose

When you press me to your heart
Im in a world apart
A world where roses bloom

And when you speak…angels sing from above
Everyday words seem…to turn into love songs

Give your heart and soul to me
And life will always be
La vie en rose

近く 今すぐ 私を抱きしめて
あなたが綴る魔法の言葉
それはバラ色の人生

あなたが口づける時 天国がため息をつく
目を閉じると私には見えるの
バラ色の人生が

あなたがあなたの心に私を焼き付ける時
私はあなたの心の一部になる
バラの咲き誇る世界の一つに

そしてあなたが 天使がささやくように 
何かを話す時
毎日 すべての言葉が 愛の歌のように思えるの

あなたの心と魂を どうぞ私に捧げて下さい
そうすれば この人生は
いつもバラ色に輝き続けることでしょう


子供が見ても楽しいし、大人でも感動する。

まあ、いつものピクサーらしいクオリティの高さだと思います。

映画のレビューとしては、ブログ『セガール気分で逢いましょう』の本職ライターさんがとても素敵な文章を書いて下さっているので、ぜひご覧になって下さいね。


牛津 厚信氏の映画レビュー『WALL・E ウォーリー』

たとえばこんな描写がある。

一日の作業が終わると、ウォーリーはたったひとりで自宅に帰り、自らのメンテナンスに余念がない。そして一息つくと、作業中に見つけたビデオデッキにVTRを入れテレビを付ける。あふれ出す音楽、広がり行く映像。そこではもう何千回と映し出されたであろうミュージカル映画「ハロー・ドリー」が色彩豊かに映し出されている。この世のものとは思えないくらいに楽しげな音楽に身も心も奪われながら、ウォーリーはそっと自分の身体に備わったスイッチを押す。ガチャリ。録音機能だ。そして彼は、翌日の作業中もこの音楽を再生しながら、いつしか誰かの手をそっと握りしめる日を夢見ている。あのミュージカル・スターみたいに・・・。

人生で心奪われる場面に出逢うと、人は誰でも「この瞬間を忘れたくない」と切に願う。それは人間にとって生まれながらに備え付けられた反射運動で、僕らは日々の生活の中でついつい慣れっこになってしまいその大切な思考過程ついて意識することを忘れがちだ。ウォーリーは自身に組み込まれた思考回路を使って、この「感動のメカニズム」について非常に端的に教えてくれる。つまり、ミュージカルに感動し、そっとスイッチを押す、のだ。ああ、そうか。僕らはいつもこんなふうに心を振るわせ、そっと記憶のスイッチを押していたのだ。

そうか、あれは「記憶のスイッチ」だったのか。

私は、『WALL・E』はコレクターだから、この素敵なミュージカルも俺様コレクションに加えよう、ってんで録音してるのかと思ってました。

それはEVEの「研究資料として持ち帰る録画」とはまた違い、心を込めたインプットなのですね。

だからアナログのカセットテープなのかなぁ。

それにしても『WALL・E』の「最初の持ち主」はどんな人間だったんだろう。

そして、Axiomに乗り損なった何十億という他の人々は……?

もしかしたらそれ以外の人は本当に全部滅んでしまったのかもしれない。

最後の一人が息を引き取って、誰も答えてくれる人がなくなった時から、『WALL・E』は一人でずっと、手を取り合える誰かを待ち続けていたんだろうね。

§ ウォーリーに関するCD・DVD

 

お茶目な清掃ロボット、ウォーリーと、スタイリッシュな最新式ロボットのイーブのハートウォームなラブストーリー。
「言葉」がないからこそ、彼らの仕草がいっそう愛らしく、純粋に感じる。
「たかがロボット・アニメ」なんて軽く見てはいけない。
実は様々な示唆に富んだ哲学的未来ストーリーである。
荒廃した地球と肥大化した人類の姿には幻滅だが、それでもどこか希望を感じさせる心地よい作品である。

この作品は音楽もいい。
「ハロードーリー」からの挿入歌はもちろん、要所要所に流れるBGMも夢のように美しく、壮大。
聞いていると、可愛いロボットたちが頭の中を空中遊泳しているよう。
流しても、じっくり聞いても、忘れられない曲ばかりです。

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