書籍と絵画

ヴィーナス(アフロディーテ)とクピド(エロス)

2008年11月23日

世界の初めに誕生したのは混沌(カオス)でした。
そこから母なる大地(ガイア)と、光と闇とが生まれ、やがてガイアから天空ウラノスと海ポントスが生まれます。

ガイアはウラノスと交わり、巨神族ティタンと一つ目怪物キュクロプス、そして百の手足と五十の頭をもつ怪物ヘカトンケイルを作りますが、ウラノスはこの怪物をガイアの胎内に閉じ込めてしまいます。

ティタン族の末弟クロノスは、父ウラノスの非情な仕打ちに仕返しする為、ガイアと交わりにやってきたところに鎌を持って飛び出しました。そして、ウラノスの男根を切り取とると、海に投げ捨てました。

海に落ちた男根は、波間を漂ううちに精液の白い泡を湧き出し、やがてその泡の中から美と愛の女神ヴィーナスが誕生しました。
【 小さなお子様に説明する時は、“ヴィーナスは海の泡から生まれたのよ”とお話しましょう。私も、あしべゆうほのマンガ《悪魔の花嫁》を読んで、そう信じてきました。真実を知った時はぶっとんだ 】

ウィリアム・ブーグロー ヴィーナスの誕生
ウィリアム・ブーグロー ヴィーナスの誕生

ヴィーナスは西風ゼピュロスの息吹によって地中海上を東に運ばれ、キュプロス島の海岸に辿り着きます。すると季節の女神ホライたちが彼女を祝福し、美しい衣装をまとわせ、オリンポスの神々の仲間に迎え入れました。

一方、父ウラノスを殺したクロノスは、父に代わって天界の王となりますが、自分も同じ様に子供に殺される事を恐れ、生まれ来る子供たちを次々に飲み込んでしまいます。

しかし、母レイアの英知によって命を救われた息子ゼウスは、他の兄弟たちを助け出し、巨神族ティタンを討ち滅ぼして、ついに全宇宙の王となったのです。

「ヴィーナスの誕生」を描いた絵はたくさんありますが、有名なのは、なんといってもボッティチェリの作品でしょう。
ボッティテェリが描いたヴィーナスのモデルは、当時、フィレンツェで一番の美女だったそうです。

【ヴィーナスの誕生】ボッティチェリ

他におすすめなのが、アレクサンドル・カバネルの【ヴィーナスの誕生】。
とても色っぽいヴィーナスです。

【ヴィーナスの誕生】カバネル

ヴィーナスの完璧なまでの美しさに、オリンポスの神々は“我こそは彼女を妻に”と色めきます。
しかし大神ゼウスは、オリンポス一の醜男ヘパイストスに彼女を与えたのでした。

ヘパイストスは生まれながらにビッコで醜かった為、母ヘラに嫌われ、天から突き落とされました。
しかし河の神に助けられ、河底の洞窟で暮らしながら、物を作る技術を身に付けました。
そしてゼウスの為に立派な雷電を鍛え上げ、この大神をたいそう喜ばせたのです。

が、美しい妻ヴィーナスは、醜い夫だけでは物足らず、美少年アドニスや、ワイルドで逞しい戦神アレス(マルス)と浮気を重ねます。
だって恋は、彼女にとって美と生命の源泉なんだもの。

ヴィーナスとマルス ボッティチェリ

おまけの絵

【 キュクロプス】-Cyclops- オディロン・ルドン Odilon Redon
【 キュクロプス】-Cyclops- オディロン・ルドン Odilon Redon

ヴィーナスの息子といえばクピド(エロス)ですが、ギリシャ神話の世界創造説によると、エロスが生まれたのは、カオスから大地ガイアと暗黒エレボスが生まれたのと同時期であるとされています。
つまり、母ヴィーナスよりも先に誕生しているのです。

しかしヴィーナスが神の仲間入りをしてから、エロスも欲望ヒメロスと彼女の後に付き従うようになり、より後代の神話では、ヴィーナスの最愛の息子としてみなされるようになりました。

エロス(愛)は、ニュクス(夜)の卵から生まれ、矢と炬火であらゆる物を刺して刺激を与え、悦びと生命を生じさせます。

彼はいつも弓矢を持って、ヴィーナスに連れ添い、神や人間に恋の矢を射るのです。
エロスが仕掛けた恋は数知れず。
中でも有名なのが、「アポロンとダフネ」の悲恋でしょう。このお話は、また別の機会に……。

【 クピドの誕生 】- The Birth of Cupid - フローラの画家
【 クピドの誕生 】- The Birth of Cupid - フローラの画家

§ エロスとは

「トリスタンとイゾルデ」でも少し触れていますが、「愛(エロス)と死(タナトス)」が一体とされる理由はここにも起因しています。
愛(エロス)は夜(ニュクス)から生まれ、夜の中で生命を生み出すからです。

夜(ニュクス)は、冥界の兄弟、死(タナトス)と眠り(ヒュプノス)の住処であり、夜から生まれた生命は、やがて冥界の兄弟たちに迎えられ、夜の中へ帰っていく……というわけです。

「トリスタンとイゾルデ」では海が舞台になっていますが、海は「生命の母」であり、「死と再生」の象徴でもあります。
愛の媚薬( = 死)を飲んだ二人は、その瞬間にこの世を離れ、死の世界で一体となりました。
それはまた新しい生命と悦びの誕生であり、再生の瞬間でもあったわけです。

さらに話が飛躍しますが、一昔前、ヨーロッパでは、セックスは「小さな死」と考えられていました。
要するに、セックス=愛は、「生」を生み出すと同時に「死」をもたらすものなんですね。

ゆえに「トリスタンとイゾルデ」は、まさに「愛と死」の根本を描いた名作なのです。

【弓を作るクピド】-Cupid carving his Bow- パルミジャニーノ Parmigianino

ところで「エロス(クピド)」って、何を表わすのでしょう?

一般に「エロス」というと、「性愛」とか「欲望」とか、性的なものを連想しがちですが、その正体はもっと奥が深いんです。
前のページ「アモールとプシュケ」でも少し触れましたが、ギリシア語には「愛」を表わす言葉が四つあり、

・ フィリア = 友愛
・ ストルゲー = 親子の愛
・ アガペー = 神的な愛
・ エロス = 価値への愛

このうち、比較対照されるのが「アガペー」と「エロス」であり、アガペーをキリスト教的な無私の愛とするなら、エロスは自己充足の為の愛であり、“自己の欲求から発する無限の情熱”であるとされています。

プラトンは著書「饗宴編」の中で、エロスを次のように説明しています。

【エロスの父はポロス(豊満)であり、母はベニア(貧困)である。エロスはその中間的存在であり、常に自らの中に不足を持っている。
したがって、エロスは自己充足を求めて、自己を満たしてくれるものを、無限に追求していくパトス(情熱)である。
それはまた地上の不完全で低次の価値に出会い、触発されることによって、最高の価値である完全なイデア(形相、価値)をどこまでも追求する、探求的情熱なのである】

【エロスの愛は最初、男女の愛から出発し、天上界にある全き愛そのものにどこまでも近づこうとして、上昇していく】

このように、低いものからより高いものへ、不完全なものから完全なものへ、たゆまなく上昇していこうとする情熱を「エロス」と呼ぶのです。

しかし、その愛はあくまで“自己の欲求に基づく、自己充足の為の愛”であり、「他者の為の愛」「無私の愛」であるアガペーには及びません。

エロスの愛が、「“僕の恋人だから”彼女を愛する」とするなら、アガペーの愛は、「彼女であるがゆえに彼女を愛する」といったところでしょうか。

エロスの愛は、「条件付き」「所有と欲望」の愛なのです。

【 俗愛に打ち勝つ聖愛 】-Heavenly Love Conquering Earthly Love-ジョバンニ・バリオーネ Giovanni Baglione

「じゃあ、エロスは次元が低いのか」というと、決してそうではありません。
人間の全ての行為は、自分の欲望に基づいているからです。

芸術を例に挙げて私流に解釈しますと、あらゆる芸術作品は自分の欲望=自分を表現したい、
より高次なものを創り出したい……といった、強い希求と情熱から生まれます。
「世の為、人の為」というのはあくまで二次的な動機であり、その根本には必ず「自己の欲望」というものが存在します。
「欲望」こそが人間を突き動かし、創造へと駆り立てる、莫大なエネルギーの源なのです。

もちろん、その欲望の原点は、妬みや憎しみ、劣等感といった醜いものかもしれません。
しかし、その人の中に、ひたすら上昇しようとする強い欲望があれば、闇も光に変わる
――その鬱積した負のエネルギーも、無から有を生み出す輝かしい力に転じるのです。

自分に対する関心や欲望の少ない人間は何も創り出せないし、何事にも疑問を持たない人間は自己を認識することもありません。
「欲望」は、自己を認識し、自己の不足を感じ、高次を求める希みから生まれるものであり、
「欲望」が無くなった瞬間に「生」もまた終わるのです。

「欲望」することは良い事です。恋愛にしても、仕事にしても、金儲けにしても、「欲望」がなければ前には進みません。
もっとも、その「欲望」が、その魂を正しく、高い所に導いてくれるかどうかは、その人次第ですけどね。

§ 関連アイテム

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登場する神々のイラストも可愛いし、ピックアップされている絵画も、美術ファンなら是非とも抑えておきたい名画ばかり。
これを一冊読めば、ギリシャ神話はもちろん、美術鑑賞の基礎的な知識も身に付きます。

【Amazonレビューより】
ギリシャ神話を中心に、北欧・ケルト神話の主なエピソードをシンプルなイラストや漫画で表現してあります。
特に西洋のルネサンス周辺の絵画ではこれらの神話をテーマにしているものが多いので、それらもあわせて取り扱っています。
「あの絵のこの人物はこういう人なのか!」
「この絵のこんな虫一匹がこんな意味を持っていたとは……」ということになります。
ルネサンスの絵を見て「??」となっていた人や、「ギリシャ神話って複雑で読む気がしない」と思っていた人に読んでほしい一冊です。

ブーグロー、ウォーターハウスなど、ロマンティックで繊細なラファエル前派に興味をもったら、ぜひ読んでほしいムック本。
ギリシャ神話、キリスト教など、見る人の想像をかきたてる美しい世界が広がっています。

こちらも視覚研究所と同じような感じです。絵の細部にわたって、ギリシャ神話や絵画的意味を解説するビジュアル本。
「ヴィーナスの片思い」がマンガちっくなら、こちらはアカデミックな感じに仕上がっています。

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こちらも参考にどうぞ 西洋美術の入門書(カワイイから本格派まで)

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初稿:1998年秋

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