アルトゥール・ランボーの詩 / サントリーCM映像 / 映画『太陽と月に背いて』

この世のものに あらざりしランボー

-モーリヤック-

私が初めてランボーの名前を知ったのは、ウイスキーのCMが最初でした。
小学校の高学年の頃です。
土曜の夜、Gメン’75とかやってた時間帯によく目にした記憶があります。
私の姉の話では、ここに登場する火を噴く男や道化、タンバリンを叩く少女などは、ランボーの詩を象徴するものだそうで、背景の砂漠は、ランボーが最後に辿り着いた自由の境地、アフリカをイメージしたものです。
ラスト、ランボーの投げたナイフが彼の詩集にぐさりと突き刺さる演出が秀逸ですね。


このCMは世界的なコンテストでも高く評価され、後に「アントニオ・ガウディ編」「グスタフ・マーラー編」も作られました。


昔はこんなに芸術性の高いCMが作られていたんですよね。
ちなみに、ガウディやマーラーを知ったのも、このCMシリーズがきっかけでした。
ランボーへの思い入れたっぷりの、センスの良いCMだと思います。

永遠

永遠

もう一度 探し出したぞ
何を? 永遠を。
それは、太陽と番った 海だ。

待ち受けている魂よ、 一緒につぶやこうよ、
空しい夜と烈火の昼の 切ない思いを。

人間的な願望(ねがい)から
人並みのあこがれから、
魂よ、つまりお前は脱却し、
そして自由に飛ぶという……。

絶対に希望はないぞ、 希いの筋もゆるされぬ。
学問と我慢が やっと許してもらえるだけで……
刑罰だけが確実で。

熱き血潮の柔肌よ、
そなたの情熱によってのみ
義務も苦もなく 激昂(たかぶ)るよ。

もう一度 探し出したぞ
何を? 永遠を。
それは、太陽と番った 海だ。

僕の永遠の魂よ、 希望は守りつづけよ
空しい夜と烈火の昼が たとい辛くとも

人間的な願望から 人並みのあこがれから、
魂よ、つまりお前は脱却し、
そして自由に飛ぶという……。

絶対に希望はないぞ、 希いの筋も許されぬ。
学問と我慢が やっと許してもらえるだけで……。
刑罰だけが確実で。

明日はもうない、 熱き血潮のやわ肌よ、
そなたの熱は それは義務。

もう一度 探し出したぞ!
──何を? ──永遠を。
それは、太陽と番った 海だ。

この詩に惚れない人はないだろう。
私も、上記のCMに感化されて、すぐに詩集を買いに走ったクチなのだが、小学生でもこの詩にはノックアウトされた。
若い魂の葛藤や反抗を表しながら、どこか官能的な情景の向こうには、太陽=ランボー、海=ヴェルレーヌの男色関係を示唆するものがある。
原文では、「番った」が、avec というフランス語にあたるのだけれど、なるほど、avecにはこういう意味があるのかと改めて考えさせられた。
共生とも一体とも取れる、強い、官能的な響きが、このavecにはある。
私も、この詩を原文で味わいたいがために、「フランス語を勉強しよう」と思ったほど。

レオナルド・ディカプリオの映画『太陽と月に背いて』では、ラストシーンに効果的に使われていた。
「もう一度、探し出したぞ」とつぶやくランボーに、「何を?」とヴェルレーヌが答える。
「永遠を。それは、太陽と番った、海だ」
現実には泥沼の三角関係を演じて、決して幸せな愛情生活は得られなかった二人だが、詩の中では、永遠に一つとなって、自由な魂の幸せを謳っているのだろう。

人間的な願望から 人並みのあこがれから、
魂よ、つまりお前は脱却し、
そして自由に飛ぶという……。

この一節、大好きです。

最後の塔の歌

最後の塔の歌

あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、
気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした。
心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか!

僕は自分に告げました、
忘れよう そして逢わずにいるとしよう
無上の歓喜の予約なぞ あらずもがなよ、なくもがな。

ひたすらに行いすます世捨てびと
その精進を忘れまい。
聖母マリアのお姿以外 あこがれ知らぬつつましい
かくも哀れな魂の やもめぐらしの憂さつらさ
童貞女マリアに 願をかけようか?

僕は我慢に我慢した。
おかげで一生忘れない。
怖れもそして苦しみも 天高く舞い去った。
ところが悪い渇望が 僕の血管を暗くした。
ほったらかしの 牧の草 生えて育って花が咲く
よいもわるいも同じ草 すごいうなりを立てながら
きたない蝿めが寄りたかる。

あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、
気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした
心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか!

これも中学生の時に惚れました。

『あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、
気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした
心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか!』

この一節がまさに当時の自分の心境だったから。
映画『太陽と月に背いて』でも、「ランボーの詩は、若い人から圧倒的な支持を得ているのです」といったセリフがあるが、技術においても、精神においても、若い魂そのままに革命的だったのだろうと思う。

わが放浪

わが放浪

僕は出掛けた
底抜けポケットに両の拳を突っ込んで。
僕の外套も裾は煙のようだった。

僕は歩いた、天が下所せましと、
詩神どの、 僕はそなたに忠実だ、

ああ、なんと素敵な愛情を
僕は夢見たことだった!

はきかえのないズボンにも
大きな穴があいていた。

夢想家の一寸法師、
僕は道々詩を書いた。

大熊星が僕の宿、
み空の僕の星たちは
やさしく衣ずれの音させた。

路傍の石に腰掛けて、
星の言葉に聴き入った。

新涼九月の宵だった、
養命酒ほどさわやかに

額に結ぶ露の玉、
奇怪な影にとりまかれ、
僕は作詩にふけってた、

ボロ靴のゴム紐を竪琴の弦に
見立てて弾きながら、

片足はしっかりと胸に抱えて!

私もこんな風に旅立ってみたいなあといつも思っていた。
どこか遠くに出掛けると、『大熊星が僕の宿』が脳裏に浮かんだもの。
彼の詩はなるべく早い時期に読んだ方がいいと思う。
年をとって落ち着いてしまうと、「そんなこともあったかなあ」と過去形になってしまうから。
「そうだよ、ランボー、私もだよ」って、リアルに語り合える頃が一番いい。
今でも大熊星は私の心の宿だけど。

関連アイテム

今さら言うまでもない名著。
典雅で格調高い訳文に酔いしれる。
できれば原文も読みこなしてみたいけれど、堀口氏の翻訳でも十分にランボーの世界を堪能できるのではないだろうか。
後にも先にも、これに勝る訳文は出てこないだろう。
それぐらい価値のある一冊。

フランスの詩に興味をもったらぜひ読んで欲しいのが、上田敏の「海潮音」。
クラシックで格調高い美しい翻訳が楽しめます。

ちなみに私が一番好きなのは、ジャン・コクトーの一行詩、

わたしの耳は貝の殻。海の響きを懐かしむ。

フランス語の原文も楽しみたいなら、こちらの文庫本がおすすめ。
ボードレール、マラルメ、ヴェルレーヌ、コクトーといった、フランスが誇る名詩を100篇を精選、原詩と日本語訳を対照して紹介しています。

こちらも美しいフォトと素晴らしいコラムで綴るフランス詩集です。詳しくはこちらの記事で。
饗庭孝男『フランス 四季と愛の詩』 ~詩と写真で感じる大人の絵本

§ 太陽と月に背いて

太陽と月に背いて

映画『太陽と月に背いて(原題:Total Eclipse』は、ランボーとヴェルレーヌ、そしてヴェルレーヌの妻との複雑な三角関係をベースに、稀代の天才詩人二人が惹かれ合い、互いにインスパイアしながらも、破滅にひた走って行く過程が描かれています。

Total Eclipseは皆既月食の意味。

レオナルド・ディカプリオが最高に美しかった頃の秀作です。

これは創作活動も人生も共にすると誓ったランボーとヴェルレーヌが熱い口づけを交わす名場面。
美しいレオ様の唇が爬虫類のようなデヴィッド・シューリスの唇と重なった時――。
すべての観客が「ウウッ」と息を呑むのがひしひしと感じられました。

レオ様、超美しいです。これはまさにお宝映像ですね。


これもファン垂涎の名場面。
「海が見たい」と甘えるランボーの願いを叶えてあげるヴェルレーヌ。
上記の『永遠』の詩を思い浮かべながら見て下さい。うずうずっとしますでしょ。
こんな可愛い男の子に甘えられたら、ヴェルレーヌでなくても、何でもしてあげてくなるよなーっ。

BGMは全く関係のないPOPSが流れますが、画質は綺麗です。


本作のトレイラー。


この後、レオナルド・ディカプリオは、バズ・ラーマン監督の『ロミオ&ジュリエット』で注目を集め、『タイタニック』で世界中にその名を知らしめました。

しかしながら、その後10年、これといった作品に恵まれず、レオ様いわく、「タイタニックには出るべきではなかった」と。

その気持ちも分かるような気がします。
(タイタニック以後、何を見てもジャックにしか見えない)

19世紀。時の大詩人ポール・ヴェルレーヌ(デヴィッド・シューリス)のもとに、才気あふれる16歳の天才詩人アルチュール・ランボー(レオナルド・ディカプリオ)が訪れる。若く美しく才能あるランボーにヴェルレーヌは惹かれるが、嫉妬と愛憎入り混じる激しすぎる愛ゆえ、ふたりは別離を繰り返していく。
心理的SM関係のランボーとヴェルレーヌの、激しすぎる関係を軸に、2人の出会いからランボーが孤独な死を迎えるまでを格調高く描いていく。よくある同性愛モノのようにメロウに流れることなく、厳しい目で2人を見つめ、芸術家の心のうちをえぐり出していく。
ディカプリオがプライドと才能がにじみ出る残酷な若き天才を、乗り移ったかのように演じている。適役とはまさにこのこと。酒におぼれ妻を殴り、妻とランボーの間を行ったりきたりするヴェルレーヌ役のデヴィッド・シューリスもすばらしい。
ちなみに、原題の『Total eclipse』が意味するところは、太陽=ランボーが、月=ヴェルレーヌを完全に支配することを象徴しているのだそうだ。

レオ様が最高に美しかった頃の宝石のような映画。映画としての評価はどうでもよろしい。レオ様が美しければ、それで全てが許されるのだ。
公開当時は、男同士のキスシーンが話題を呼んで、映画館でも、観客すべてが「ウウッ」と息を呑む気配をひしひしと感じたもの。レオ様は「二度としたくない」とコメントしていたようですが・・。
こんな息子が欲しくて、金髪に憧れてたこともあったな。この頃の彼に会うことが、どれほど夢だったことか。。。
ランボーを演じるレオ様は、まるでアイドル映画の学生みたいで、全然、天才詩人らしくない。でも、可愛いから許す。

この映画は、ヴェルレーヌ役のデヴィッド・シューリスと、夫を寝取られる妻役のロマーヌ・ヴォーランジェで持っている。二人のネチネチ感が、レオ様の清々しさと対照的で面白いの。
ともあれ、レオ様のアイドル映画として見れば溜め息間違いなし。

※ これもなかなかリマスターされませんね。どんどん値段はつり上がる一方。
これを心斎橋のミニシアターで見た時の感動は今も忘れませんのに、ああ……。

【Amazonレビューより】
ディカプリオの一番美しかった瞬間を捕らえた奇跡の作品。 (← まったくその通り)
脚本は晩年までを描いたばかりに失敗に終わっているが、ランボウとヴェルレーヌのダメっぷりは忠実に描かれていると思う。
衣装やセット、音楽、映像の質感と言った部分も文句なしに素晴らしいと思う。
ディカプリオもこの作品を最後に、ランボウのように引退していたらインディー界のスターとして伝説になっていたこと間違いなし。
金に目がくらんでへんてこな作品にばかり出演している現状が嘆かわしい。

*

とにかく、レオ君が美しくて…
ランボーとヴェルレーヌが、萩尾望都のマンガ「ポーの一族」のエドガーとオービンさんにそっくりです。
マンガ同様レオ君もこのまま時が止まればいいのにと思いました。

*

それなりに映画の数を見ていると思うが、ここまでハマリ役というのもめずらしいほど、ディカプリオの配役と演技は見事。『ギルバートブレイク』『ビーチ』でも感じたが、ハッキリ言って見事な演技力だ。
それにしても「ぼくを捨てないで」のセリフは、見るものの感情に訴えかける(笑)。
竹宮恵子さんの『風と木の詩』のジルベールを連想させます。
世の中には被保護欲というのがあって、「おれがいなければ」「守ってあげなくては」という気持ちを増幅させるタイプの人間というのは入るのですねぇ。
そういった自分の才能や繊細におしつぶされるナイーブな役どころは、まじでディカプリオにははまりですね。
普通の男の半裸なんて汚いだけなのですが、この若さあふれる頃の美しさを映像に残せたのは、価値あることですねぇ。← まったくだ。

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