ターミネーターの足音 / ジェームズ・キャメロンの映画より

天才・竹宮恵子の『地球へ・・』の先見性 ~コンピュータの支配する社会~でも書いているが、1977年から1980年にかけてこの作品が発表された時、「社会システムのみならず、人間の思考、行動、生き方まで支配するマザーコンピュータかぁ・・SFだなぁ(´д`)」と思ったものだが、あれから30年以上が経った今、それはほとんど「現実」になっている。

多くの人は、Googleの検索結果の上位に表示される情報やたくさんシェアされる投稿が「正しい(=大多数に支持されている)」と思い込み、Amazonや楽天のおすすめアイテムに興味を示し、地図サービスでレストランを選び、記憶も大半をPCやスマホのメモリに任せて友だちの電話番号すら覚える機会がなくなっている。

『地球へ』で言われていた、「人は(恋人のこと、花に水をやり忘れたこと、ペットに餌をやらなかったこと、等々)自分の日常の隅々までコンピュータに知られることを不思議と思わなくなる」。

これも既に現実だ。

検索窓に「調べたい言葉」を打ち込む度に、個人の興味、個人の嗜好、個人の判断材料、すべてが私企業のデータベースに蓄積され、分析され、あらゆるサービスや学術に応用されている。

いずれ、冗談抜きで、コンピュータが過去の履歴や検索ワード、講読した読書リストなどから、個人の適正や能力を正確に分析し、その人に合った職業を選択し、現在の職場環境などから鑑みて、「ここに就職しなさい」とアドバイスしてくれる時代が来るかも、だ。

そこに企業や政府の意図が絡んでいても、誰も気付かない。

そして、自分の日常も、人間関係も、思考も、全てを知られることに何の抵抗も感じなくなり、いずれそれ無しに生きて行けなくなった時、「我思う、ゆえに我あり」に表される『人間』という概念さえ根本から変わってしまうのではないだろうか。

ターミネーターはいつ実現するか

コンピュータがすでに「SF」ではなくなった今、次に怪しいのが「ターミネーター」の世界だ。

これぞ「SF」。未来から来た殺人ロボット! 

1980年代はガミラス星やサイボーグ009と同じ感覚だったが、どうもそんな感じではない。

ジェームズ・キャメロンのシナリオ通り、突然、コンピュータが人類を敵とみなし、ターミネーターが襲いかかるかどうかは分からないけれど、このままテクノロジーが進歩すれば、遠隔操作の無人戦車が国境に配備され、自走式の対空ミサイルが自由自在に行き交い、STAR WARSのドロイドみたいなのが続々と越境してくるような時代にはなるだろう、とは思う。

だが、それらを完全にコントロールできるかといえば、決してそうではない。

思わぬバグも生じれば、ハッキングもある。

「住民」と「敵兵」の違いはどうやって見分けるのか、相手は降伏して両手をバンザイしてるのか、それとも頭の後ろに爆弾を隠し持っているのか、etc、いろいろ問題は多い。

今日明日に即戦力にならなくても、開発する価値はある。

……ということで、既に『サイバーネット』は秘密の地下工場で実証の段階に入ってるんでしょうか?

そして、私の所には、いつカイル・リース(=マイケル・ビーン)が来てくれるのでしょうかっ???

僕は時を超えて君に会いに来た。君を愛してる

あのセリフに卒倒した女の子は私だけではありますまい。

ターミネーター 

コンピュータは心を学ぶのか

ところで、Wireless Wire Newsプログラマー経営学に『人間の知性がコンピュータに打ち負かされる日は来るのか?』という興味深い記事がある。

2045年までに人工知能が人間の思考能力を上回るだろう。
それが未来学者のレイ・カーツワイルが「技術的特異点(シンギュラリティ)」と呼ぶ時代です。
しかし、そのとき我々は一体何を持ってして「人間の思考能力を上回る」と判断するのでしょうか。

するとコンピュータにはいまのところ生への欲望がありません。
それどころか、生と死を理解することができません。死の恐怖もなく、生の喜びもないでしょう。
これだけが、生命と機械を分けるただひとつの分岐点ではないかと私は考えます。生命は常に変化し続けることでしか生きることが出来ず、変化し続けることによって老衰し、死を迎えます。その恐怖があるからこそ、人は人を愛し、新たな生命の誕生を祝福するのです。

これらの記述を読んで、私はやはり『ターミネーター2』のシュワちゃんを想起せずにいなかった。

人類の滅亡を防ぐには、遠い将来、ターミネーターの頭脳となるチップを破壊せねばならない。

すなわち、未来から送り込まれたT-800型、シュワちゃんそのものである。

サラやジョンと行動を共にし、『愛』を学んだターミネーターは、人類の未来を守る為に、自ら溶鉱炉に沈んで行く。

思えば、「自ら死を選ぶ」というのは非常に人間らしい行為であり、この時点で、ターミネーターは人間と同等のものになったと断言してもよかろう。

「自己の生存」を認識しているか否かが、人間とロボットの境目かもしれない(あるいは犬猫との)

だが、そんなことを言い出せば、「私は情報の海から産まれた生命体」である『攻殻機動隊』の『人形使い』はどうなるんだ?? という話になり、どんどんサイバーパンクの世界に迷い込んでしまうのだけども、人間だって、初めから「人間」として自己を認識しているわけではない。

生まれたばかりの赤子は「快・不快」しか分からないし、年を重ねれば自ずと人間らしい知性が身につくわけでもない。

人間が、「人間になる」には、やはり人間同士の触れ合いや学びが必要であり、言い換えれば、今、開発中のロボットも、人間と同じ知性や愛情を身に付ける可能性がある。何百年先かもしれないが、いつかきっと「技術的特異点」をはるかに超えて、ターミネーターは現実になるだろう、と思わずにいないのだ。

「自殺するターミネーター」も含めて。(Windowsも自己判断で強制シャットダウンすることだし)

では、その時、人間は、ターミネーターは、この世のあらゆる苦痛や苦悩を乗り越え、永遠の心の楽園を手に入れるのか……と問われたら、それもちと怪しい。

紀元前から論壇で交わされるテーマは現代とさほど変わりないし、何千年経とうと「わたしとは何か?」を問い続けている。

人間に出せない答えは、ターミネーターにもプログラムできないし、ターミネーターの自己学習に限界があるとすれば、それは「無」の境地に達した時であろう、と。

でも、それはもはや人間ではなく「仏陀」のレベルじゃないか。

……このように。

いろいろ考え出すときりがなく、結局、その成り行きを目にすることがないまま、この世を去らねばならないというのは、いずこの研究者、いずこの芸術家にとっても、さぞかし無念であろう。

よし、それなら、オレの精神を永久不滅のコンピュータシステムに移植しよう。そして、オレは人類の行く末を最後まで見届けるのだ!

と試みても、

そのシステムが途中で「考えるのに疲れたから死のう」と自己判断でシステムを停止したり、自己学習の果てに「いっさいを無にする」を選ぶとも限らないので、何にせよ、『終末』は避けられないであろう。

高度な知性をもったロボットが人間の代わりに介護し、道路を直し、荷物を運び、料理を作り、いろいろやってくれたとしても、人間に『心』がある限り、永遠に『楽』になることはない。

また、高度に発達したコンピュータが完全無欠の「答え」を授けてくれることもない。

1000年後も、2000年後も、かいがいしく働くお手伝いターミネーターの傍らで、夫婦は相変わらず喧嘩し、女は男に捨てられたといっては泣き、人は似たようなことで悩んでいるであろう。

そして、最高度に自己学習したターミネーターが「人類の永遠の救済策」として『終了(ターミネート)』を選択したとしたら、それも洒落にならない話である。

アイテム

ターミネーターは1&2がよくて、3でちょっと辛くなって、サルべーションでちょっと盛り返すけども、でも、やっぱりシュワちゃん&マイケル・ビーンの1がよかった・・と、つくづく思います。

なにがいいって、この「写真」の小物使いが非常に素晴らしい。

最後の最後に「ああ、なるほど」って。

まったく隙の無い映画だったと思います。

ターミネーター

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