寺山修司の『ポケットに名言を』

言葉に、殺されたい──と思う。

それまでの世界も、自分自身も、粉々に砕け散って、真っ白な光に洗い流されるような衝撃の中で。

私にとって、寺山修司さんの言葉は、確実に殺してくれる一つだった。

キレイ事はいっさい書かない。

常識とも無縁。

なのに気高く、真実を突いている。

一番感銘を受けたのは、今はもう廃刊となっている『寺山修司から高校生へ―時速100キロの人生相談』。今やマーケットプレイスで7000円以上の値段がついている。それだけの価値がある。もう二度とこんな本にお目にかかれない。再版しないのは文化的損失やろに。
(参考URL寺山修司の『時速100キロの人生相談』~高校生の悩みに芸術的回答~

普通の回答者なら、「努力しよう」「親切にしよう」「幸せになろう」etc。

ありきたりの言葉が返ってくるだろうに、寺山さんはそうじゃない。

まさに「機知に富んでいる」。

他の誰とも違う答えをもっている。

奇をてらっているワケでもなく、ひねっているわけでもない、なのにユニークで、研ぎ澄まされた言葉が返ってくるのだ。

ありふれた才能には絶対に真似できない回答だ。

そんな寺山さんに初めて出会ったのは中学生の時。

たまたま手にした『ことばの花束―岩波文庫の名句365 (岩波文庫別冊)』が非常に面白かったことから、私の中ではちょっとした格言ブームで、「名言集」とか「世界のことわざ」とか、それ系の本をいろいろ読んでいた時期だった。

そんな時、本屋でふと見かけた『ポケットに名言を』。

当時刊行されていた本の表紙には、大正風の女の子のイラストが描かれていて、それは決して「大人向けの小難しい本」ではなかった。

「ポケットに」と言うからには、女の子向けの可愛いポエム集みたいなものだろう、と思っていたら──

言葉を友人に持ちたいと思うことがある。
それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気がついたときにである。

たしかに言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。だが、言葉にも言いようのない、旧友のなつかしさがあるものである。

少年時代、私はボクサーになりたいと思っていた。しかし、ジャック・ロンドンの小説を読み、減量の死の苦しみと「食うべきか、勝つべきか」の二者択一を迫られたとき、食うべきだ、と思った。
Hungry YoungmenはAngry Youngmenになれないと知ったのである。

そのかわり私は、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突するくらいは朝飯前でなければならないな、と思った。

<中略>

時には、言葉は思い出にすぎない。だが、ときには言葉は世界全部の重さと釣り合うこともあるだろう。そして、そんな言葉こそが「名言」ということになるのである。

そんな寺山さんが選んだ言葉は、中学生の私には毒のように強烈で、剣のように鋭かった。

今でも忘れられない。

全く最低に汚ねえ……

これは映画『勝手にしやがれ』で、恋人の密告によって警察官に撃たれて死ぬ主人公が最後につぶやく言葉。

その時、中学生だったけど、そう言う男の胸中は分かるような気がした。

人の世の不条理と深く静かな怒りを最後の一滴まで煮詰めたら、「汚い」という言葉になるんだろうな、と。

しかも「最低」という形容詞付きで。

この世には素晴らしいことがある一方で、なんともいやらしい妬みや憎しみのるつぼでもあると理解しはじめた頃だけに、「汚い」という言葉の響きが鮮烈で、それが現実と思えば、何にでも耐えられそうな、そんな気持ちにもなったものだ。

辞世の句としてはあまりに淋しいが、そう言いたくなることもあるものだ、と。

かと思えば、

「愛のために死んだ人は神の中に葬られる」 ナヒテノルト

「ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの」 太宰治『女生徒』

「なみだは人間が作るいちばん小さな海です」寺山修司

といった言葉も紹介されていて、それは汚い人の世とは正反対にある美しさを感じさせた。

いや、もしかしたら、正反対なのではなく、美しさも汚さは元は一つで、その真実を受け入れない限り、世界を正しく見ることはできないのかもしれない、あるいは、両方理解してはじめて「知った」と言えるのかもしれない、等々。

寺山さんの名言集は、いろんなことを感じさせてくれる。

ここで『正解』を求めるのはもっとも愚かなことで、人はもやもやと両極端なことを感じる、その「感じること」自体をもっと大切にするべきではないかと、改めて思わずにいなかった。

本当いうと、間違ってもいいし、憎んでもいいのだ。

ただ、そう広言してしまうと、その中にどっぷり浸かって反対側のものを顧みようとしない人が出てくるから困るだけで、善の中の悪、人間的な過ちは、もっと愛され、理解されるべきなのだ。

今、また、寺山さんの本を何冊か読み返し、なぜこういう人が47歳の若さ(1983年没)で夭折しなければならなかったのか、今なお健在であられたら、どれほど面白い答えを聞かせてくださっただろう、と思うと、本当にこの世になくてはならないものばかりが失われていくような気がしてならないのである。

私が寺山さんに惹かれる最大の理由は「誰にも真似できない」という点だ。

誰でも真似できる上手さや美しさは本当の才能とは言わない。

ネットでも、オピニオンリーダーのように言われている人がたくさんいるけれど、この人達が逆立ちしても寺山さんには敵わないだろう。

機知、ユーモア、生き方、言葉への愛情、あらゆる点で。

「もうこれ以上は読めないのだ」と思うと、ますます愛しさが増す。

私もこの人と一緒に死んだらよかった、と思うくらい、これ以上読めない淋しさは大きい。

天国からこの人の原稿がファックスで送られてきたならば、どれほど心があらわれるかわからないのだけれど。

寺山修司に関する本

ありきたりの名言集(=立派な言葉を集めた本)とは違う、寺山さんらしいセンスにあふれた本。
装丁もお洒落になって、手に取りやすくなりました。さくっと読めるので、若い方はぜひ。

「少女詩集」と銘打ってあるけれど、ロマンティックな詩情にあふれた大人向けの詩集。
参考記事:寺山修司 海の詩
平易な言葉がかえって哀しくて、無性に海に行きたくなっちゃう(?)一冊。

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