恋と女性の生き方

宅配おばちゃんのパワー  なぜ若いムスメはおばちゃんに勝てないのか

2009年3月10日

独身時代、私はチャラチャラした格好でオフィスに通っていたので、仕事帰り、スーパーに寄って、食料や日用品がぎっしり詰まったビニール袋をガサガサさせながら道を歩くことにはかなりの抵抗があった。

ラインストーンのパンプスに、なぜに淡路特産の新玉ねぎ。

花柄のロングワンピースに、なぜに台所用ゴミ袋。

それも両手にいっぱいガサゴソと。

よく見りゃ、総菜コーナーのいなり寿司のパックまで入っているぞ、あんた、自炊しとらんのかい??

……etc。

そうしたつまらぬ見栄から、たまにスーパーの前で売っているタコ焼きを買うことすら気兼ねして、いつもそそくさと横断歩道を渡り、アパートの向こうに消えていた私。

根は、見切り品セールや赤札市が大好きなくせに、「常食は霜降り肉」と言わんばかりの顔で精一杯つっぱって生きていたあの頃。

それはそれで楽しかったけれど、本当にこんな生き方に『実』があるのかと疑問に感じることも多かった。

まさに人生をリクツで生きているような、一人空回りの日々。

人間って、自己実現以外に、もっと為すべきことがあるのではないか──と。

本当に貴い生き方は、私が思うのとはもっと別のところにあるのではないか──と考えると、私にはどう見ても何かが決定的に欠けているように思えてならないのだった。

そんな私が目を付けたのが、大手スーパーの宅配サービス。

サイトに紹介されている商品なら、どんな小さなものでも1点から配達してくれて、しかも5000円以上購入すれば送料も無料。
これを利用しない手はないと思い、早速、『DAKARA(イオン飲料水)』1.5リットルを12本、米2キロ×2袋を注文した。
上手く行けば、格好の悪い重量級の買い物から解放されると、小躍りしたいぐらいだった。



翌日。

元気よく玄関のインターホンが鳴った。

「おお、来たぞ、スーパーの宅配だ!!」

喜び勇んで開けたら、顔を覗かせたのは、なんと恰幅のいいおばちゃんだった。

それもペットボトル6本入りの段ボール箱を担いで3階まで駆け上がってこられたせいで顔がすっかり紅潮し、息も絶え絶えになっている。

「こんばんわ~っつ、阿月さんですねーーっ。ご注文の品、お届けにまいりました~~」

にこやかに挨拶されて、倒れそうになったのは私の方だった。

こういう仕事は、脱サラ→開業資金が目的の、男の精気がムンムンゆらめくおじちゃんの独壇場だと思っていたからだ。

おばちゃんが配達すると分かっていたら、1.5リットルのペットボトル12本に米2キロ×2袋なんて酷い注文はしない。

てっきり、筋骨隆々のおっちゃんが運んでくれると思っていたから、遠慮なく重量級の注文をしたのに、これじゃあまりに気の毒じゃないかーーーーーーーー!!

と思いながら、玄関でボーゼンと突っ立っていると、おばちゃんはさらに息せききらし、

「ええっと、もう一つ、ジュースの入った段ボール箱があったねえ、すぐ持って来ますから」

トントンと階段を下りて行く。

そしてまた重いボトル入りのケース(今度は米袋2袋も同梱!)を担いで、3階を一気に駆け上がってきた。

「え~と、ご注文の品は以上ですね」

「……はあ、これで全部です」

「じゃ、ここにサインして」

「……はぃ」

「じゃ、ど~も~、ありがとーございましたっっ!!」

おばちゃん、つむじ風のように退室。

さぞかし重かったろうに、嫌な顔一つせず、一気に仕事をやり終えて、スマイルを残して去って行くとは……。

私には無い「何か」を見せつけられたような気がした。

若いムスメがおばちゃんに勝てないの最大の理由は『強さ』にある。

どんなに自分を立派に飾り立て、「出来ます」「やれます」「分かってます」の三標語を看板に掲げても、若いムスメのそれは、どこか脆く、覚束ない。

おばちゃんの、地中からドーンと突き出たようなあの頑強さ。

地震も、雷も、不況さえも、「あはははっ」と受けて流せる明るさ。

コワイモノも、タメライもなく、ただ「生きる」という、この一点に集約された底知れないパワー。

それが『子持ち主婦』という、家事においては万年ソーラーパワー、育児においてはメスライオン(保護と躾けにおいて)、家計においてはMBA級の経済アナリストであるオンナの圧倒的な気力であり、責任感といっても過言ではあるまい。

若いムスメのヘリクツなど、所詮、人生を肌で生きていない人間のタワゴトに過ぎず、家計のため、子供のため、夫を助けるため、ペットボトル6本プラス米袋4キロ相当を三階まで担ぎ上げるだけのパワーの持ち主を前にしては、どれほどまぶしい光も風前の灯火に過ぎない。

この宅配のおばちゃんも、自分の楽しみなど後回しにして、午後7時過ぎまで懸命に働いておられるのだと思うと、「スーパーのビニ袋をガサゴソさせながら道を歩くのがカッコ悪い」という理由だけで、宅配サービスなんか利用している自分がちっぽけなものに感じられたし、「若いとか、美しいとかいう事に、一体、どれほどの価値があるのだろう」と思わずにもいなかった。

『生きる』って、もっと、自分以外の何かとがっぷり四つに組んで、魂を擦り合わせるようにして駆け上がっていくものなんじゃないかな、と。

あの日のおばちゃんは綺麗だった。

人間の美しさと女性らしい魅力でいっぱいに輝いていた。

業者さんも、出来れば、女性を宅配の仕事に使うことは控えて頂きたいのだが、今のご時世、「宅配ドライバーでもいいから、働かせて下さい」という人、少なくないんだろうな。

重い荷物の持ち運びは腰を痛めますから、働く母さんたち、無理せんでくださいね。


……とはいえ、スーパーの宅配は便利です。特に、子供が小さくて手がかかる場合、オムツやベビーケア用の消耗品は言うに及ばず、ボトル飲料水、トイレットペーパー、洗剤、サラダ油、液体調味料など、かさばる買い物は本当に負担です。

そりゃもう、「子供をスーパーに連れて行く」というだけで、どっと疲れちゃいますからね。

配達させるのは本当に申し訳ないけど(たとえ、筋骨隆々のおっちゃんでも)、家事や育児の負担を軽減する為にも、スーパーの宅配サービスは上手に利用したいものです。

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