私は電子の海で産まれた新たな生命体 ~スティーブ・ジョブズの訃報に思う~

私が子供の頃──昭和50年代の話──『コンピューター』と言えば、機械化帝国の地下の奥深くにあり、その全容は霞ヶ関ビルより大きく、ものすごく複雑なキーボード操作が必要で、まさに『SF小説の産物』。自分達の日常生活には絶対にあり得ないものだった。

ゆえに、こども雑誌「学研・小学生の科学」あたりで、未来から来たナントカ博士が「21世紀には腕時計みたいなTVや、どこででも持ち運びできる電話、家の中でも手軽に使えるコンピューターが登場するかもしれないね」というと、ジャリん子キャラクターが目を丸くして「うわ~、そうなったら、とっても便利~。まるでSFの世界だね!!」なんて答える企画があると、いつも思ってた。

私の命のあるうちはムリだな、と。

それがあれよあれよと言う間に時代は変わり、某研究所に勤めだした我が姉が「会社で使ってるMacが面白い」と言い出し、20万だか30万だかするようなアップルのコンピューターを我が家に購入したのが1980年代の話。

なにこれ? 何に使うの? 高い買い物して、もったいない!!

私の反応は決して好意的じゃなかったし、嬉しそうにMacで遊んでいる姉貴の姿を白い目で見てたりもしてたよ、だって私には個人で利用する価値がまったく分からなかったから。

そんな私は相変わらずワープロ派。シャープの「書院」とか。すごい流行ってたの。今じゃ誰も覚えてないけど。
「文章打つだけならワープロで十分」と言い張り、薄暗い液晶画面を相手に毎晩カタコトやってましたね。
電化ショップにはそろそろNECやら富士通のノート型オールインワン・タイプが出そろい、マニアックな男性客を相手に店員さんが必死にセールスしてた頃だったけども。

そして、1997年、ついにワープロ故障。

姉に相談したら、「ワープロ買い直すぐらいなら、パソコン買った方が利口だよ。これからはパソコンの時代になる。インターネットやメールが出来た方が絶対に楽しい」とのことで、ついに腹を括って、税込み24万円の富士通のノート・パソコンを購入。昔はちょっとした機種でも20万円台が当たり前、パソコン売り場に女の子が行くと珍しがられて、店員に「わかりもせんのに、何しに来た」みたいな目で見られた時代の話よ。「インターネットとWORDの出来るやつください」と言ったら、富士通をすすめられて、そのまま買っちゃった、みたいな感じだった。

それからはもうご存じの通り、パソコン一色の人生。

メールもインターネットもなかったら、仕事もしてないし、旦那と国際遠距離恋愛なんかすることもなかった。

まさにパソコンにイノベートされた人生。

触るのがあと10年早かったら……もし中学か高校時代に使いこなしてたら……全然違う道を歩いてただろうな、と、つくづく思う。

で、今は、愛用の東芝「dynabook」のピンクのパソコン(これがまた可愛くて使いやすい。今は製造中止となった幻の逸品)にご満悦。何かあったら真っ先に持ち出すのがこのPCと外付けハードディスクだ。

*

また3年前にはiPod touchもプレゼントしてもらった。
最初は「何に使うのかなぁ」と思ったけど、外出先でビデオや音楽、ゲームが出来ると子育てには助かる。チケット売り場の長い行列で何度iPodに助けられたことか。あと長時間のドライブも。

今は世界中で2億だか3億だかダウンロードされたというタッチパネル・ゲームの『Angry Bird』に夢中。
タッチパネルの触りすぎで人差し指の皮が薄くなり、痛みを伴うようになったという、バカなゲーマーだ。

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そうして、ふと立ち止まってみると、私が子供時代には噴飯モノだった「腕時計のようなTVや、どこででもかけられる電話」はすっかり日常の風景と化し、コンピューターもほとんど手の平サイズで、もはやインターネットの無い生活など考えられないくらいになっている。

いずれ「ケータイ」もスマートフォンに切り替わり、純粋に「電話」と呼べるものも無くなっていくかもしれない。

「学研の科学」で目を丸くしていた子供は、今頃、『ケータイを持ったサル』とか言われてるんだろう。

そうして、この先、IT技術はどこに行き着くのか……と考えると、真っ先に思い浮かぶのが「GHOST IN THE SHELL

映画『マトリックス』が本当に伝えたいこと ~君は心の囚人 / 攻殻機動隊 / イノセンスにも書いてるけど、攻殻機動隊と言えば、肉体は持たないけれど、サイバー世界で「一個の意識」として存在する新しい生命体を示唆している。

うら覚えになるけれど、『生命とは何か? それは記憶の集積に過ぎない』ゆえに『肉体をもたない意識であっても、一個の生命として生きる権利を主張できる』という考えは、ネットで固定ハンドル名使ってる人なら体感的に理解できるのではなかろうか。

生命の最も強烈な本能が「種の保存」としたら、いずれ人間はネットに「自分」をコピーして、永久に活動させることを欲望するかもしれない。記憶、意見、イメージ、様々な形で。

スティーブ・ジョブズも、肉体は滅びたけれども、そのメッセージやヒストリーは永遠にネットで再生されて、「彼が死んだ」という実感も薄らいでしまうほど身近で、日常的な「デジタルの存在」として生き続けるだろう。そして、デジタルの記憶として永存するのは、普通一般の人でも十分に可能なのだ。

もしかしたら、100年後には、死や生命の概念さえ変えてしまうかもしれない。

今でこそ噴飯モノだけど、「あり得ない」とはもう誰にも言えないはずだ。

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そうなると、俄然気になるのが、今後のビル・ゲイツ。……って、元から比較対象すること自体まちがいなんだけどね。

まあ、あのお方は、今後20年以上は元気だよ。そういう運を持ってる。

よかったら、こっちのビデオ見てくださいね。こそっと。(読み込みにちょっと時間がかかりますが気長に待つように)
ちなみにこの番組には当然出てくるはずのスティーブの姿がありません。
記憶違いでなければ、アップルをクビになった時の話じゃないかと思います。
また、この番組収録の直後、最大のキーパーソンであるゲイリー・キルドールが死亡。
彼の生きた姿やコメントがカメラに収められている上でも貴重です。

マイクロソフト帝国はいかにして誕生したか

スティーブ・ジョブズの話からずいぶん逸脱してしまったけれど・・

彼が最初に膵臓腫瘍の手術を受けたのが2004年。それからの7年間、死とリアルに向き合う日々。メタリックな火花のようだったな、とつくづく。

スマートフォンと普通のケータイとどう違うの? という人は、まあ、騙されたと思って買い換えてみて。

……というか、いずれスマートフォンに切り替わるでしょう。

私も旦那が購入した時は「やっだ~~、ミーハー」とか思ったけど、どこでもGPSは出来るし、WEBで検索はできるし、カメラもビデオもOKだし、映画のダウンロードも出来るし……、ほんと、これ一台で何でも出来る、特に出かけ先でGoogleとニュース&天気予報チェック出来るのは本当に有り難い。

だからといって、人生や人間がすっかり変わるものではなく、考えることも、やることも、似たり寄ったり。グーテンベルクの時も、人々のインパクトはこんな感じだったのだろうか。

スティーブ・ジョブズが1000年語り継がれる人になるかどうかは分からないけども、少なくとも、今を生きる私たちは、タブレットPCやスマートフォンの中にいつも彼の面影を感じるのではないだろうか。

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