映画『スラムドッグ・ミリオネア』と運命論 ~誰の頭上にも等しく~

いい映画だけど、二度、三度と繰り返し観たくない作品がある。

私にとってはクリント・イーストウッドの『チェンジリング [Blu-ray]』や『グラン・トリノ』がまさにそれ。

生々しい現実に心が痛む。

物語も感動的だ。

でも何度も繰り返し見る気にならない。

あまりにテーマが生々しく、心に響きすぎるから。

2008年度アカデミー賞8部門を受賞した「スラムドッグ$ミリオネア」もそう。

どんな映画評を見ても「今年最高!」「絶対に見るべし」と絶賛の嵐で、Amazonのレビューも五つ星だらけ。

トレーラーを見るまでもなく、「いい映画」っぽいのは感じるけど、「インド」「スラム」と聞いただけで、私はもうダメ。それを娯楽として楽しめない部分があって、きっとまた無力感にさいなまれるような気がしたからだ。

にもかかわらず、最近、ついに見ちゃったのは、土曜の夜、「プレデターVSエイリアン」か「スラムドッグ・ミリオネア」か、どっちがいい? という話になり、私は「プレデター」を押したけど、旦那が気乗りしなかったから。ある意味、究極の選択の結果。

とうとうこの作品と向き合うハメになってしまった私は、案の定、また新たに「トラウマ映画リスト」の一つに付け加えることになった。

確かに、スラムという絶対的な貧しさ、親を殺されたストリート・チルドレンという壮絶な設定の中にも愛があり、優しさがあり、不幸なんだけど生き抜く知恵とエネルギーにあふれ、それはそれで清々しいのだけれど、娯楽として流せない部分がありすぎて、しんどくなっちゃうんだなぁ。

そんな「スラムドッグ・ミリオネア」のストーリーは次の通り。

*

高額賞金が得られる大人気のクイズ番組「クイズ・ミリオネア」に出場し、次々に回答して勝ち進む18歳のジャマールは、インドのスラムで生まれ育った無学な青年。親は殺され、幼少時は、兄サリムと盗みやアルバイトをしながら、やっと食いつないでいた。

だが、「スラム出身の無学なジャマールに高度なクイズ問題が分かるわけがない」と、番組制作サイドに不正を疑われ、ジャマールは警察の尋問を受けることになる。

そこで、クイズ問題に照らし合わせながらジャマールの壮絶な過去が語られる。

嫌疑は晴れ、いよいよ史上最高額を懸けた最後のクイズに挑むジャマールだが、彼の思いは「大金」ではなく、別れ別れになった初恋の女性ラティカ一筋に注がれていた……。


少しでも「スラム」や「ストリート・チルドレン」について見聞したことのある人なら、路上生活や物乞いはもちろんのこと、そんな哀れな子供達のわずかな稼ぎを搾取するために、大人が子供の手足を切断したり、クスリ漬けにして売春させたり、という事実を知っていることと思う。

実際、この作品でも、路上で寝泊まりする子供をコーラや食べ物でつって監禁し、物乞いをさせたり、歌の上手い少年の両目をスプーンで潰したり、可憐な少女ラティカを売春宿で働かせたり、絶句するようなエピソードが登場するが、そんなのは氷上の一角で、もっと酷いことが日常茶飯事で行われているのは言わずもがな、だ。

それでも路上に放り出され、飢えて死ぬよりは、悪の手先に搾取されても食べ物にありつけるほうがいい。

そうして奴隷のように扱われるうちに、自らもまた搾取する側の人間になったとしても、きれいごとで片付く世界ではない。

『生きる』──私たちの感覚で言えば、それは生き甲斐の問題だったり、古い公団住宅より洒落た一軒家に住みたいね、というレベルの話だったりするわけだが、ここではまさに「生存をかけた戦い」──いやもう「生存」などという言い方さえ気取って感じられるような、過酷な現実が待ち受けている。

そんな中、親と住まいを失ったジャマールと兄サリムは、タージ・マハールを訪れる観光客の靴を盗んで街角で売ったり、ガイドの流暢な英語を耳で覚えて、自らもガイドを真似て観光客から案内料を取ったり、ありとあらゆる手段で生き延びるわけだが、普通に考えれば、それは犯罪。でも、そうでもしなければ食べ物にさえありつけない子供たち。いったい、この世の正義とは何なのか。神の教えは何のために存在するのか。そういう根源的、かつ永久に答えの出ないような哲学的海溝に叩き落とされるのが、この映画の最大のポイントだ。

やがて兄サリムは暴力と恐怖によってのしあがることを学び、ジャマールは労働という真っ当な方法で社会に溶け込んでゆく。

ジャマールを人間たらしめたのは、初恋の少女ラティカへの想い。

いつか彼女を泥沼から救いだし、日の当たる場所で幸せに生きてゆくのが彼の願いだった。

マフィアの情婦として軟禁状態にあるラティカに呼びかけるには、全国民がチャンネルを合わせる「クイズ・ミリオネア」に出場するしかない。

この映画の秀逸な点は、一問一問がジャマールの過酷な生い立ちを物語る章立てになっている点だ。たとえば「100ドル札に描かれているアメリカの偉人は誰か」というクイズに対して、ジャマールが偶然それを手に入れるまでのエピソードが描かれる。制作者側は「スラム出身のジャマールが100ドル札など目にするはずがない」と疑うが、ジャマールには100ドル札をめぐる切ない思い出があった。

このように、クイズがジャマールの生い立ちを解き明かす形で物語が進み、ついに準決勝を目前にするのだが、スタジオを離れ、司会者とトイレで鉢合わせた時、司会者は曇った鏡に指で「B」と書き、意味深な言葉を残して立ち去る。一瞬「正解」を教えてくれたのかと期待するが、世間を知っているジャマールはその手には乗らない。このあたりの演出もスリリングで非常に説得力がある。

そして運命の「ファイナル・アンサー」。

人生が次々に投げかける難問に打ち克ったジャマールは、晴れて自由の身となったラティカと悦びのダンスを踊り、幕を閉じる。

これらの物語を、映画監督のダニー・ボイルは「ジャマールはいかにして2000万ルピーを懸けたクイズの答えを知るに至ったか?」という観客への問いかけに対し、四つの選択肢を用意している。

A) He chated.(ズルをした)
B) He’s lucky.(ラッキーだった)
C) He’s a genius.(彼は天才)
D) It’s written.(書かれた)

正解は「D」。

直訳すれば「書かれた」だけども、「定められた」「筋書き通り」といったニュアンスがある。日本語字幕では「運命」と表現されているそう。

これだけ過酷な試練を課して「オチは運命かい?!」と突っ込む人もあるかもしれない。

でも、ある意味、「運命」という解釈は誰にとっても優しいのではないか──とも思う。

たとえば、100ドル札のくだりには、なまじ歌が上手いがためにマフィアに両目を潰され、今も地下道で歌って物乞いをする少年が登場する。兄サリムの助けがなかったらジャマールも同じ運命を辿っていたかもしれないのに、一方は、全盲の物乞いとしてマフィアに搾取されながら人生を終え、一方は恋と大金を掴んで日の当たる場所へと出て行く。

全盲の少年と辛い再会を果たした時、少年が口にするのは「運」という言葉。

「I wasn’t so lucky. That’s the only difference.」

僕は幸運じゃなかった。違いはそれだけさ、と。

人は誰でも自身の努力によって道を切り開き、幸せを掴むもの──と思いたい。何か超越した力によって行く道が定められているなど、考えたくもないものだ。

しかし、現に、救いがたいスラムに生まれ落ちる子もあれば、裕福な家に生まれ育ち、飢えや暴力とは一生無縁な人生を送る子供だっている。

これを「運」と呼ばずに、なんと呼ぶ?

不幸の度にあいつが悪いと恨んでも始まらないし、すべてがすべて自分の落ち度でもない。

ただただ、紙一重の差で運がなかったのだ……と思うことで、あきらめのつくこともあるだろう。

もちろん、両目を潰された少年については、とても「運」などという言葉で慰められるものではないが、確かにそれは少年なりの生きる知恵であろうし、そう思うことで、恨みや妬みも抱かずにすむ。

一方、ジャマールに関しても、このシンデレラ・ストーリーのような結末が『彼の努力や心映えによって』と考えると、途端に話が白々しくなる。「努力や心映えのおかげ」というなら、健気に歌い続ける全盲の少年もそうだし、身を寄せ合って生きる他のストリート・チルドレンもそうだ。でも、彼らが貧しい浮浪者のままで一生終わるのは、「ジャマールのようなガッツと努力に欠けていたから」で済まされるだろうか? 努力すれば、心映えさえ良ければ、ジャマールのように恋も大金も手に入れることができますよ……というオチは、それこそ脳天気な夢物語。現実は「運」に大きく左右され、皆が皆、同じように報われるわけではない。

だが、見方によっては、それこそ公平な考え方なのだ。

幸運な人がいる。不運に泣く人もある。運そのものは不公平だが、作用の仕方は公平だ。

たとえば宝くじに外れた人が、一等を当てた人に「不公平だ」と言うだろうか。宝くじのルールはみな公平。努力家だろうが、怠け者だろうが、当たる時は当たるし、外れる時は外れる。少なくとも「努力すれば三等ぐらいは手に入ります」というものではない。

それと同じで、この世には抗いがたい運の作用があり、全盲の少年も、ジャマールも、幸せになろうと一生懸命に生きていることに変わりはない。違いと言えば「ラッキーか、そうでなかったか」ぐらいで、懲罰や天罰ではないのだ。

そういう意味で、運は公平。ジャマールが恋と大金を手にしたのも、運が味方したから。

果たしてダニー・ボイルの意図がそこにあるかどうかは分からないけれど、「ジャマールはいつも優しい心を持ち続け、努力したから幸せになりました」というオチでない部分に多くのものが救われるのは確かだ。

一方、忘れてはならないのは、ジャマールとまったく正反対の道を歩んでしまった兄サリムの存在。

同じく貧しさに苦しむサリムは、拳銃でマフィアのボスを撃ち殺したことから『力』に目覚め、ジャマールと袂を分かって、マフィアの組織に加わる。

普通に考えれば、非難されるべき人間なのだろうが、ジャマールが過酷な少年時代を生き延びたのも、現実的で、時には暴力も厭わないサリムの行動力があったからで、もしサリムがいなかったら、ジャマールも目を潰されて、一生地下道の物乞いで終わっていたかもしれない。

むろん、サリムも根っからの悪人ではなく、最後はラティカの為に身体を張って札束の風呂に沈むわけだが、考えようによっては、サリムの方がこの映画のテーマをより色濃く体現しているような気がして、存在そのものが哀しくなってくる。

ジャマールのハッピー・エンディングはいいけれど、やはり心の底から笑えない映画なんだなぁ。

ともあれ、良質な映画にもかかわらず、二度、三度と繰り返し観る気にならない『スラムドッグ・ミリオネア』。感動と無力感を同時に味わいたい方は、これを機会にぜひご覧になってください。

↑ 深く考えさえしなければ、本当に良い映画です。

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運じゃなく、運命だった。アジア最大のスラム街・ムンバイで育った少年ジャマールは、世界的人気番組「クイズ$ミリオネア」にて一問を残して全問正解、一夜にして億万長者のチャンスを掴む。だが、無学な彼は不正の疑いをかけられ、番組の差し金で警察に連行され、尋問を受けることになってしまう。彼は一体どうやって全ての答えを知りえたのか? そして、彼がミリオネアに挑戦した本当の理由とは?

≪奇跡その1≫
インドのスラム街で育った主人公ジャマールが、その逆境に負けることなく「愛」と「希望」だけを手に生き、運命を勝ち取っていく―。世界が歴史的な不況を迎えているこの時代、まさに夢のようなサクセスストーリーに、観客は共感し、拍手喝采、そして泣いた!!

≪奇跡その2≫
トロント国際映画祭で最高賞を受賞したのを皮切りに、世界中の映画祭で賞を総なめ!
監督:ダニー・ボイルによるパワフルな構成と巧みな演出。そして「愛」と「希望」溢れる脚本が、観客の心を掴んだ!!

……とのことですが、単純に「ブラボー!」と喜べるほど薄っぺらい話じゃないですワ。話が、というより、舞台が、なのですが。

主役級の演技はともかく、ジャマール、サリム、ラティカの子供時代を演じた子役さん、共にインドの現実を生々しく演じたその他大勢の子役、エキストラ(ほとんど素のままという感じ)の、きらきら輝く瞳が印象的。

彼らは今、幸せなのだろうか。

こちらが原作です。
キャラクター設定が若干違ってますし、より生々しいスラムの現実が描かれていますが、読後はけっこう爽やかです。

絶対貧困―世界人口約67億人のうち、1日をわずか1ドル以下で暮らす人々が12億人もいるという。だが、「貧しさ」はあまりにも画一的に語られてはいないか。スラムにも、悲惨な生活がある一方で、逞しく稼ぎ、恋愛をし、子供を産み育てる営みがある。アジア、中東からアフリカまで、彼らは如何なる社会に生きて、衣・食・住を得ているのか。貧困への眼差しを一転させる渾身の全14講。

石井 光太『絶対貧困』 苦しみを比較してもなあ』にも紹介している、スラムの現実を爽やかなタッチで描いた良作。ともすれば重く、偽善的な内容になりがちな第三国の貧困問題をユーモアをまじえて紹介しているところがポイント。石井さんの強い個性と柔軟性が感じられるドキュメンタリー本です。

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