スタンリー・キューブリックの『シャイニング』~父(夫)の暴力としての恐怖~

スタンリー・キューブリックの代表作『シャイニング』について語りたい人はたくさんいると思う。
見方によってどのようにも解釈できる、万華鏡のような作品だからだ。

原作はスティーブン・キングの『シャイニング (文春文庫)』。

映像重視のキューブリックが原作の世界観を大きく歪めたとして、後々までキングが批判したいわくつきの作品でもある。

物語はいたって簡単。

冬のオフシーズン、山のリゾート・ホテルの管理人を任されたジャック・トランスは、従順な妻ウェンディと、自閉症気味の息子ダニーを伴ってホテル生活を始める。

実は、このホテルでは、前の管理人が妻子を惨殺するなど、血なまぐさい事件がしばしば発生していた。しかし、失業中のジャックは、それを承知で管理人の仕事を引き受けたのである。

最初は快適な暮らしを楽しんでいたが、他人に見えないものが見えたり感じたりする特殊な能力「シャイニング」をもつ息子ダニーは、ホテルの中で惨殺された双子の幻を見るなど、異様な体験を繰り返すようになり、一日中タイプライターで書き物をしているジャックも精神的に荒廃し始める。

ある日、空き部屋に迷い込んだダニーが何ものかに首を絞められ、ウェンディはジャックを疑うが、逆にジャックが凶暴化し、斧を片手に妻子を打ち殺そうとする。

果たしてウェンディとダニーはジャックの狂気とホテルの怨念から逃げることができるのか・・

*

『シャイニング』の一般的な解釈は、「ホテルを彷徨う亡霊たちがジャックをそそのかし、妻子の殺害に手を貸した」というものだが、亡霊に憑かれなくても、ジャックは遅かれ早かれ凶暴な性質を爆発させていたにちがいない。

参照→Wiki「シャイニング」

映画の中ではっきり言及はされないが、冒頭にこんなエピソードがある。

「シャイニング」をもつ息子ダニーは、ウェンディからホテルの話を聞かされた後、「口の中に棲む」という想像上の友達トミーから、「ホテルに行ってはいけない」という警告を受け、ホテルのエレベーターから真っ赤な血が噴き出す幻影を見てショックを受ける。

心配したウェンディは女医に往診を頼み、「トニーとに会話はいつから始まったのか」という質問に対し、

「養護学校に入れた頃からです……ええ、最初はあまり気が進まないようでした。でも、怪我がきっかけで、学校をしばらく休ませました」
「……怪我って?」
「肩をいためたんです。夫が腕を強く引っ張ったから……でも、本当に、アクシデントなんです。お酒を飲んでいて・・」

と、ウェンディは夫をかばい、一連の出来事をぼかすように、たどたどしく答える。

その様子から、この家庭には日常的にドメスティック・バイオレンスが存在し(精神的な脅しも含む)、アルコール依存症的なジャックも、妻子にとっては恐怖の対象なのだということが感じられる。

ウェンディも夫に不信を感じながら、恐ろしくて逆らえない──むしろ、夫にそうした暴力的な性質があると認めたくないという心理から、心にフィルターをかけて事実を正面から見ようとしない、そんな弱さを感じる。

ダニーも、唯一の味方である母親に頼れないことから心を閉ざし、「トニー」という分身を生み出したのだろう。

そして、ジャックは、妻の恐れや気遣い、子供の閉鎖的な態度を感じていっそう神経を苛立たせ、一度、感情を爆発させると、自分でも制御不能に陥ってしまう──。

ホラーというなら、いつキレるかわからない父親(夫)との暮らしこそ、『恐怖』だ。

そして、「シャイニング」とは、そうした人間の潜在的な恐怖──「もし、お父さん(夫)がこんな風にキレたら・・」「もし、自分が、妻子に対してこんな風にキレてしまったら・・」という、忌まわしい悪夢をあぶり出す作品であり、いつしか観客は亡霊の存在を忘れ、人間の秘める暴力性に恐れを感じるようになる。

ある意味、「シャイニング」は、「アル中で精神不安の父親にいつ殺されるか分からない」というダニーの恐怖をシンボリックに描き出した心理劇であり、そこに最初から亡霊はなく、ジャックの凶暴性もあれが本性だと言えるのではないだろうか。

父親が斧を片手に妻子を追い回す、この忌々しい物語は、植え込みの迷路に逃げ込んだダニーの機転によって、一応解決を見る。

しかし、斧を振るうジャックの姿は、生涯ダニーの脳裏から消えることはないし、その恐怖は命果てるまで続くだろう。

永遠に彷徨うホテルの『亡霊』として──。

スクリーンショット

『The Kubrick Stare(キューブリックの睨み)』と呼ばれる、キューブリック作品にお馴染みの表情。登場人物が三白眼で一点を凝視する表情は、「時計じかけのオレンジ」や「フルメタル・ジャケット」にも登場する。

シャイニング 暴力性が顕在化する

ホテル内で惨殺された双子のイメージ。ダニーの前にしばしば現れ、「遊びましょう」と誘いをかける。
この映画を見てから、町で双子を見ると、このショットが浮かぶようになった。なんて罪作りなキューブリック(涙)

シャイニング

前よりもいっそう父親を恐れるようになったダニー。
ジャックはダニーを抱き寄せ「お前を傷つけるようなことはしない。約束する」と言うが、どこか空々しい。
すでにジャックの中では、父親の情と狂気がせめぎあっている状態。
ジャックの表情が鏡に映る構図もすばらしい。

シャイニング

狂気へとひた走るジャックは、「無人のはず」のホテルのトイレで、ついに「前管理人」と出会う。斧で妻と双子の姉妹を惨殺し、自らも銃で頭をぶち抜いた殺人鬼だ。
ホテル内はロッジ風のインテリアにもかかわらず、このトイレだけが異空間のようにモダンだ。まるでこの世とあの世の境のように。
血と生命を思わせる赤と白のコントラストが不気味。

シャイニング

「オレもあんたたちの仲間(亡霊のパーティー)に加わりたいのだが、妻と子供が邪魔をする」というジャックに対し、「ええ、うちもそうでした。だから妻と娘を『矯正』してやったんです」と前管理人。
斧で惨殺することを「correct=矯正」と表現する。あるいはこれが父(夫)の本音?

シャイニング

父の凶暴化とともにダニーの「シャイニング」もますます昂ぶる。
口の中で「RED RUM(レッド・ラム)」と繰り返しながら、口紅を片手に逆さ文字を書くシーンは圧巻。
この「レッド・ラム」、当時のサブカル世界を大いにインスパイアし、実際にその名を冠したロックバンドも出現。
逆さまから読めば、MURDER(人殺し)です。

シャイニング

殺人鬼と化した夫から逃げ回るうち、ついにウェンディの目にもホテルに巣くう魑魅魍魎の姿が見えるようになる。
最初に「ホテルは無人」という点が強調されているだけに不気味のキワミ。

シャイニング

シャイニング

*

こちらのサイトにもいろんな解釈が掲載されています。興味のある方はどうぞ。
「あの映画のココがわからない」(ネタバレ・サイトです)

2010年4月27日の記事

TVの深夜ロードショーを見た後に書いたレビューです。育児中で、飛び飛びに見たこともあって、あまり深く考えずに書いてます。

夕べ、「TVN」というチャンネルで、スタンリー・キューブリックの傑作ホラー『シャイニング 』を観た。

二回目だけど、やっぱコワかった。

ジャック・ニコルソンは出てきた時からイッてるし、嫁は事が起こる前からすでに神経症っぽいし。

しかし、もう少し狂気に至るまでの過程を密に描いて欲しかった。

ジャック・ニコルソンの怪演だけで押し切ったような展開で、こりゃあ、原作者のスティーブン・キングが怒るのも無理ないですよね。

まあ、そうした不具合があるにせよ、この映画は傑出していると思う。

インテリアや色使い、カメラ・アングルなど、計算され尽くした映像。
Wikiによると、「数学的計算による世界最高のホラー映画」だとか)
ちらちらと織り込まれる恐怖のショットや金属系のサウンドなど、コアなキューブリック・ファンでなくても、その才能に圧倒される。

この映画は確実に後世に残る作品だし、「リメイク」というものも恐らくあり得ないだろう。
(スティーブン・キングが撮り直した以外は)

また、本作は、ベルリオーズの「幻想交響曲」(映画で使われたのは、第四楽章『断頭台への行進』)を一躍世に知らしめた作品でもある。

冒頭、一家を乗せた車が、山奥のホテルに向かって、山間のハイウェイを走って行くシーンで流れるこの曲は、「キューブリックのオリジナルだ」と多くの人が誤解するほどはまっていた。

名曲が名作と見事にマッチした、お手本みたいな一場面である。

自分でDVDを買ってもいいなぁ、と思ってしまった。

こんなものが家にあったらコワイけど。でも置いておく価値はあるよね。

こちらは、大変話題になったトレーラー。
今でこそ「血液ザバーッツ」なんて珍しくもなんともないけど、当時は非常にインパクトがありました。

ちなみにタイトルの「シャイニング」というのは、「超常的なものを感じる力」を意味するそうです。


ジャック・ニコルソンはこれ一作で名優でしょう(笑)
『バットマン』のジョーカーも怪演だったけど、シャイニングはそれに輪をかけてスゴイ。
こんなのに追いかけられたら、その場でショック死ですよ、ふつう。


キューブリックのセンスと「シャイニング」の怖さがぎゅっと凝縮された一場面。
子供の目線で流れるようにホテル内を移動するカメラや、サブリミナル効果のように差し込まれる双子の映像、背筋がゾクっとするような金属音のBGMなど、監督の力量がうかがえます。
「Room237」は、前のホテル支配人による一家惨殺の現場。
ここに反応する息子ダニーこそ、この世にないものを感じることのできる「シャイニング」の持ち主なのです。

うちの向かいに双子の女の子が住んでいて、いつもこれを思い出してしまう・・


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この作品は、怪優ジャック・ニコルソンの演技を見るだけで十分価値がある。
ストーリーを追うよりも、感覚的に怖がる映画。
内容も知り尽くしているのだけれど、なぜか二度、三度と見たくなる。
とにかく、ジャック・ニコルソンが凄すぎる。。

原作は未読だけども、評価はいずれも高い。
映画が気に入ったら、原作も読んでおきたい。

こんなもん、ベスト盤にすなっ! と言いたくなるような、悪趣味、ぞぞげ満開のCD。
「オーメン」「エクソシスト」「サスペリア」など、かの名作ホラーのおどろおどろしいテーマソングを網羅。
「シャイニング」に関しては、ベルリオーズの「幻想交響曲」の『断頭台への行進』が元になっているのだが、映画用にアレンジされた、金属系のサウンドを楽しみたいならこちらがおすすめ。
それにしても凄いラインナップ。悪夢にうなされそう。

§ その他の傑作ホラー

ホラー映画も、鎌をもったジェイソンみたなのが暴れ回る筋肉系(被害に遭うのは、たいがいはじけたアメリカの大学生。しかも男女カップルがいちゃついている所に出没する)と、宗教的に怖いものと二通りあって、どうせ見るなら、後者の方が面白いのだけど、まあ、「テキサス・チェインソー(死霊のいけにえ)」みたいに、電気のこぎりを振り回すしか芸のないホラーを暇つぶしに見るのもたまにはいいかもね。あ、もちろん、深夜のTVロードショーでね。

「悪魔のバイブル」とも称されたウィリアム・ヒューツバックの小説を、鬼才アラン・パーカー監督が映画化したオカルト・スリラー巨編。1955年のブルックリン、私立探偵ハリー(ミッキー・ローク)は、ある日謎の紳士サイファー(ロバート・デ・ニーロ)から、失踪した歌手ジョニーを探してくれとの依頼を受ける。
しかし、その調査の過程で次々と殺人事件が起きていき…。
前半はロークの柄をいかしながらのハードボイルド・タッチで進んでいき、後半へ進むに従い、恐怖のモチーフが徐々に首をもたげてくる構成がおもしろい。
エレベーターを象徴的に用いた演出など、映像的にも見るべきところは多いが、一番の見どころはやはり出番こそ多くはないがデ・ニーロの悪魔的怪演だろう。【Amazon.comより】

「80年代最高の色男」と呼ばれ、ノリにのっていた頃のミッキー・ロークが、ちょっとスケベながらも渋い演技を見せている。(もともとセクシーだけどもね、あのお方は・・)
映画のラスト、「お前が、それを私に売ったんだ」という、悪魔役のデニーロとの掛け合いは息を呑むばかりだし、ラスト、地獄行きを暗示するように鉄のエレベーターが下っていくシーンは、数あるホラーの中でも珠玉のエンディングと思う。
まだ正体を現さないデニーロが、カフェで美味しそうにゆで卵を食べるシーンも秀逸。
(キリスト教では、ゆで卵は、「キリストの復活」と「生命」の象徴)


参考記事→ 悪魔は嘘に巧妙に真実を織り交ぜる / 映画『エクソシスト』

1970年代初頭、全世界を恐怖のどん底にたたき込んだ、ウィリアム・フリードキン監督のオカルト映画である。
2000年に作られた「ディレクターズ・カット版」を見ると、ショッキングな映像の数々もさることながら、実はこの映画の恐怖演出の根底にあるのが“信仰と人間”のあり方だということが、強く伝わってくる。
80年代に流行した、演出思想がグロテスクさに屈服してしまったスプラッタ・ホラーや、前世紀末の日本で雨後の竹の子のように増殖した、瞬発的な条件反射で相手を驚かす(「怖がらせる」のではなく)Jホラー作品とは一線を画す、まさしく恐怖映画の金字塔である。【Amazon.comより】

映画は神と悪魔の闘いを描いているが、根底にあるものは「人間の弱さと不安」である。
少女の悪魔祓いを担当する若いカラス神父は、年老いた母を施設に入れ、孤独のうちに死なせたことが心の呵責となっており、それゆえに、儀式においても迷いが心をよぎって、強くなりきれない一面がある。
悪魔祓いの最中には、亡くなった母の面影が悪魔憑きの少女リーガンと重なり、『私をこんなに苦しめないでおくれ』という母の囁きが聞こえたりもする。
それに動揺したカラスに追い打ちをかけるように、悪魔が『お前の母親はオレと一緒にいるのだ』と言い放つ。
カラス神父が闘っている悪魔とは、実は、自分自身の心の弱さなのではないか・・と考えさせられる。
悪霊パズスとの闘いを経験した老練なメリン神父が、若いカラス神父に向かって、「悪魔の言うことに耳を傾けてはいけない。悪魔は、嘘に、巧妙に真実を織り交ぜる」と言い聞かせるセリフが印象的。

この作品を通じて「ヨハネの黙示録」を知った人も多いのではないだろうか。
悪魔の印として登場する「666」は、ローマの暴君ネロの名前を数字で表したものともいわれている。

それにしても驚かされるのは、「ローマの休日」でダンディな新聞記者を演じていたグレゴリー・ペックが、悪魔の子と対決する父親を演じている点。
愛と宗教の狭間で揺れ動く心理を見事に表現し、ともすれば悪趣味な恐怖モノになりそうな作品に深みをもたせている。

初稿:2010年4月27日

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