帝王リヒテルのチャイコフスキー『ピアノ協奏曲第一番』/ ショパンのエチュードOp10, No.4

ロシアの三大ピアニストと言えば、「リヒテル、ギレリス、ペトロフ」というのが一般的らしいが、私はあえてここから一名を差し引いて、『リヒテル&ギレリス』の両名をもってクラシック・ピアノの最高峰と位置づけたい。

そりゃもう、通に言わせれば、「ミケランジェリがいるだろ」「ホロヴィッツはどーした」と、さんざん頭を叩かれるに違いないが、これは優劣の問題ではなく、存在感の問題なのだ。

確かに、ある部分では、「ミケランジェリの方が長けている」「ホロヴィッツの方が優れている」というのはあるだろう。

しかし、『ピアニスト』としての存在感──人間としての生き様に重きを置くなら、リヒテルとギレリスに並ぶものはない。

とりわけリヒテルは、私が一番最初に出会ったピアニストだった。

それまでピアニストの個性などまったく分からなくて、「ピアノの上手な人=ピアニスト」ぐらいの認識しかなかった子供時代の私に、ピアノの演奏は技術の良し悪しをアピールするための発表会じゃない、まるで自然な呼吸のように、奥深いところから吐き出される魂の発露だということを教えてくれた。

なぜなら、彼の演奏は、子供の私にさえ「リヒテルだけが持つ音の響き」を感じさせるほど強烈で、身震いするほどの存在感をもって聞こえたからである。

以下は、1997年、リヒテルの訃報を聞いた時に、雑誌の投稿用に書いたもの。

§ Essay

十歳の夏、交通事故で入院していた時、姉が「この曲、めちゃカッコイイで」と、一本のカセットテープを持って来てくれた。それはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番だった。
ホルンに続く、地の底から湧き上がるようなカデンツァを聴いた時、「これこそ帝王の音だ」としびれた。
鍵盤を駆け抜けるような指の動きや、峻厳で力強い音の響きに、子供の私はただただ圧倒されるばかりだったのである。
退院して、レコードのジャケットを調べてみると、ソリストは「スヴャトラフ・リヒテル」──それが、私にピアノ協奏曲の魅力と、ピアノの底知れぬ魔力を教えてくれた最初のピアニストの名前だ。
以来、様々なチャイコフスキーを耳にしてきたけれど、結局は十歳の時に聴いた彼の演奏に帰っていった。
他の演奏をスラブの風に喩えるなら、彼の演奏は力強い激流。まるで内に渦巻くものが、一点の出口に向かって、ほとばしり出るかの如くである。
世にピアニストはごまんといるけれど、あの気高く、自尊心の塊のような楽器を完全に支配し──多くは、彼女の背中をむなしく追いかけるだけ──一音一音に込められた作曲者の心や、彼の生きた国や時代を鮮やかに映し出し、かつ弾き手である自分という人間をそこに織り交ぜ、生きた、独自の音楽を作り出せる者は少ない。 
リヒテルは、その一音で全てを語り尽くせる本物の演奏家だった。
もう彼の演奏を生で聴くことは叶わないけれど、その響きは時を越えて燦然と輝き続けるだろう。
さよなら、そしてありがとう。

*

こちらが私の聞いたムラヴィンスキー指揮の音源(1954年)。


「帝王」「巨匠」と呼ばれるほど、リヒテル自身は貫禄たっぷりの偉ぶった人間ではなく、むしろ神経が細やかで、穏やかな人柄だったという。

(ちなみに、上記の雑誌投稿で採用されたのは、「リヒテルのコンサートで花束を渡した時、「巨匠」のイメージとは程遠い笑顔を見せて下さった」というエピソードでした。)

そんなリヒテルの人柄をしのばせる一文が、ムラヴィンスキー盤のライナーノートに記されている。

もうだいぶん前のことだが、リヒテルが日本でまだ、リフテルという発音で呼ばれていた頃、彼が20年以上も別れて暮らしていた母親との劇的な再会について記した、ポール・ムーアという人の記事を読んだことがある。

当時リヒテルはまだ我々にとってまぼろしのピアニストであり、彼をめぐるすべてのことが一種の伝説として受け取られていた頃だけに、その物語は特に強い印象を残したものだった。

(モスクワ音楽院時代)リヒテルの母親アニーがたまたま息子を尋ねて、オデッサからモスクワへやって来た時、ヒットラーによるソビエト攻撃が始まった。彼女は直ちにオデッサに戻り、リヒテルもそれを追ってオデッサへ帰ることになっていたのだが、しかし先に返った母親が受け取った一通の電報には彼がしばらくの間モスクワに留められるだろうと記されており、それ以後音信はばったりと途絶えてしまったのである。
そしてこの後両親がたどった経歴は悲惨だった。
父親は当時オデッサにいたドイツ人名を持つ約6000人の人達と一緒に逮捕され、処刑されてしまった。

彼は政治運動などまったくしてなかったし、しいて言えば1927年にオデッサのドイツ領事館で音楽を教えたことくらいしか罪状として覚えがなかったという。
そして母親はそれから2年後に、その弟と再婚するのである。新しい夫はやはり音楽家で、かつてリヒテルに理論を教えたこともあったという。

この頃のロシアの芸術家には悲惨な体験を持つ人が多い。

やはりソビエト政府によって父親を銃殺されたバレリーナのマイア・プリセツカヤ、姉が国外逃亡し、自らも強制収容所に送られたミッシャ・マイスキー、etc。

彼らの精神性の根幹にあるものは、自信や悦びや満足感ではなく、闇の底で洗い流されたような魂の光であり、慈愛であると思う。

今、ここに生きていることへの感謝。そして、生きとし生けるものすべてに対するあふれるような愛情。

音色と共に放射するその輝きに、人は涙し、この世で本当に美しいものは何かを知るのだ。

リヒテルが亡くなった時、彼に続くものをどこに見出せばいいのか、まるで偉大な潮流がプツンと切れたような空しさと失望感を覚えた人はきっと少なくないはずだ。

そして、彼の後継者と目されるピアニストは、未だ現れていない。

こちらは世界最速(?)と言われるショパンのエチュードOp.10, No.4

これ早送りじゃないよね、と思わずツッコミを入れたくなるような演奏です。

リヒテル Chopin Etude Op10, No.4

§ 関連アイテム

リヒテル ムラヴィンスキー

残念ながら、このCDは廃盤になって久しいです。
音源がかなり古いので、CD化されただけでも奇跡です。
演奏としては、カラヤン盤の方が圧倒的に有名だからでしょうね。
ムラヴィンスキー盤も古き佳き時代がしのばれて、非常に味があるのですが。
「若さとはなんぞや?」と問いかけたくなる、中年期の名演です。

上記のムラヴィンスキー盤を抑えて歴史的名盤になってしまったカラヤン盤。
確かに、ラフマニノフの演奏は素晴らしいと思う。
しかし、チャイコフスキーに関しては、ムラヴィンスキー盤の方がよりドラマティックで、若々しい。
「リヒテルらしい・・」と私は思う。

ホロヴィッツは大の仕事嫌いの怠け者でビデオ鑑賞が大好きだった。誰よりもピアニストの近くにいる調律師である著者が、ギレリス、クライバーンなど偉大なピアニストたちの素顔を語る。

フランツ・モアさんというのは、スタンウェイが誇る調律師で、主にホロヴィッツのピアノの調律を手がけておられたんですね。
同じ「A」の音でも、ホロヴィッツは微妙な波長の違いを聞き分けることができたとか。
演奏会用のピアノのメンテナンスも非常に大切な仕事であり、「名演はピアニスト一人で成り立つものではない」ということを教えてくれる非常に面白い一冊。
ホロヴィッツのエピソードがメインなので、ホロヴィッツの好きな方にはこたえられない内容だと思う。
あと、世界的ピアニストでありながら、ソビエト政府の強い監視下に置かれ、狭いアパートでアプライトのピアノを弾いて練習していた誠実で信心深いギレリスや、巨匠リヒテルの意外に細やかな一面など、興味深い。

Photo : http://russkiymir.ru/en/publications/188297/

Site Footer