力紐と寝たきりと電動ベッド

今の看護学校はどう教えてるか知りませんが、私の時代は「褥瘡と寝たきりを作るのは看護婦の恥」という黄金律がありました。

病院の看護のレベルを語る時に、「我が棟に褥瘡の患者はおりません」とかいうのが婦長のステータスであり、「早期離床! 独歩退院!」というのが共通の標語だったのです。

『離床』というのは、寝たきりの状態から自立歩行まで回復することです。

たとえば大きな術後、寝たきりの患者の上半身を起こし、次いで、ベッドから足を降ろす。
その後、「ベッドサイドに一人で立てるようになる」「室内のポータブルトイレで一人で用が足せる」「バスルームまで歩いて行ける」というリハビリを段階的に行い、最終的には「自分で歩いて退院」というところまで持って行きます。

この『離床』には非常に大きな意義があり、重態や大手術の後、一時期寝たきりになっても、上半身を起こし、ベッドサイドに一人で立てるようになると、体中の細胞が息を吹き返したように快復力が増します。

個々の症例にもよりますが、一度でもベッドから降りて、自立歩行を開始した患者さんと、痛がって身動きしない患者さんでは、体力、気力ともに、大きな差が生じるんですね。

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今でも忘れられないのが、胃全摘した78歳のPさんです。

小柄で、ちょっと華奢な感じで、術直後は割と順調だったのですが、数日経ってから呼吸器系の合併症を起こし、ごんごん咳は出るわ、痰はつまるわ、かなり深刻な状態でした。

でも、ドクターはこう仰った。「このままいったら、人工呼吸器を付けないとあかん。でも、ボクはPさんにそれをしたくないねん。呼吸器つけて、またベッドに寝たきりになったら、せっかく順調にいっているお腹の傷までダメージ受ける。看護婦さんに手間かけて悪いけど、吸入やタッピングで何とか乗り切ってくれ!」

そりゃもう、早朝といわず、深夜といわず、大変でした。

でも、ご本人をはじめ、奥さんも非常に協力的で、私たちが処置に入ると深夜でも付き添いベッドから起き出して、「お父ちゃん、がんばりや。しっかり痰を出すんやで」と励まし、背中をさすり。ほんとに頭の下がる思いでした。

Pさんも、胃管やらドレーン(お腹の排泄用の管)やら高栄養点滴やら、身体にいっぱい管を付けながらでも、「一日三回、ベッドの周りを歩く」とか「一日病棟内を10周する」とか、目標を決めて、懸命に取り組まれました。
術後の傷も痛いし、ドレーンも、胃管も、身体に挿入されているだけで辛いのに。

でも、その甲斐あって、人工呼吸器の寸前までいった呼吸器の合併症を克服されました。

レントゲンで真っ白だった肺や気管支の炎症が日に日に引いていくのを見るのは、実に感動的でした。

危機を脱して、今日は胃管、今日はドレーン、一本一本、管が抜けて、食事も三分粥にグレードアップした頃から、みるみる頬に赤みが差し、あっという間に個室から大部屋に昇格。

ある日、一週間ぶりぐらいに受け持って、ベッドの上に胡座をかいて新聞を読んでおられる姿を見た時、「この人の顔、こんなんやったんや」とビックリしたぐらい。顔付きまで違ってるんですよ。

そして退院される時には、あの危機的状況が嘘のように、ぱりっと素敵な紳士服に身を包んでお帰りになった。

正直、医療サイドは「もう駄目かもしれん・・」と諦めムードだったのですが、本人の闘病意欲と家族のサポートに勝る薬はなし。
『離床』の効果をまざまざと見せつけられた一件でした。

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人間というのは、まさに『足』の生き物。

身体を支えるのが「足(離床)」なら、衰える時も足から。

そして、ひと度、足の力が失われ、寝たきりの状態になれば、脳の働きも著しく落ちていきます。

『足』というのは、生命のジェネレーターであり、生きる行為の源である。

痛い、しんどいで動かさないと、人間の身体など、あっという間に機能が低下してしまうのです。

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ある意味、看護というのは「歩け、歩け」の世界です。

高齢だろうが、大手術の後だろうが、とにかく立って、歩かせる。

早期離床が本復への鍵です。

だから、患者さんが痛がってグズろうが、ひーひー唸って可哀想だろうが、とにかくベッドから起こす。

立たせる。

歩かせる。

最初は一分でも構わない。

ベッドから引っぱがすようにして座位や立位にさせる。

変に同情して、寝かせっぱなし、あれもこれもやってあげる、では、身体の機能などあっという間に衰えます。

健康な人でも、一週間も寝込めば、頭がぼーっとして、足に力が入らないでしょう。
家の階段を上がるだけでも息切れがして、簡単なペーパーテストも解けないような状態になると思います。

そして、高齢者には、それ以上のことが起きやすい。

若者が数日で克服できる衰えも、高齢者は何週間とかかるし、生きる気力も違います。

まして、周りに世話してくれる人があれば、痛い、しんどい思いをして動き回るよりは、上げ膳、据え膳、買い物に出掛けることもなく、楽な方を取るでしょう。

家族も、「まだ傷が痛む」「しんどい」「ご飯ぐらい、部屋に持ってきて」と言われたら、ハイハイと言うことを聞きます。ゆっくり面倒を見られない後ろめたさから、老人の言いなりになり、人に勧められるがままに高価な医療器具を買って、ますますリハビリの機会を奪ってしまうかもしれません。

でも、そこから坂道を転がり落ちるように寝たきりになってしまう。

そして、二度と元に戻ることはないのです。

*

私が医療業界に入ったのは80年代ですが、病院の全室に電動ベッドを入れてる病院は圧倒的に少なく、手動で足元のハンドルを回してギャッジアップするベッドが大半でした。そのギャッジ機能さえなくて、野戦病院のような鉄パイプベッドしかなかった病室もあります。

その為、患者さんは寝起きに苦労し、多くの方が浴衣のひもをベッド柵に括り付けて『力紐』にしていました。

「お嫁さんが作ってくれた」と自家製のカラフルな力紐を何本も括り付けて、嬉しそうに話してくれたお婆ちゃんもいれば、力紐に○○神社で祈祷してもらった御守りをぶら下げている人もいましたた。

また、先輩患者が新入り患者に「効果的な力紐の使い方」をアドバイスする事もあれば、退院する方が「私の紐を使ってちょうだい」と同室の患者さんに託されることもありました。『縁起紐』といって、「次はあなたの番よ」という意味が込められていました。

そりゃもう、患者さんの痛みやしんどさは、電動ベッドの比ではないですよ。

芋虫みたいに右に左に転がりながら、ようやく上半身が起きて、そろそろと両足を床に降ろす。その繰り返しです。

だけども、あの力紐のおかげで、高齢者も、術後患者も、上半身が鍛えられ、ぐっと足腰を踏ん張ることで、全身のトレーニングになっていたのです。

電動ベッドでは、あの動きは絶対にできません。

*

多くの患者さんは、辛気くさい筋トレを朝晩二回、ワンセット十五回、毎日継続するより、近所のお医者さんで電気治療をし、痛み止めの注射をしてもらう方を好みます。

痛い、痛いと唸りながら、力紐で起き上がるより、電動ベッドで楽に起き上がる方を選びます。

それは非常に快適かもしれないけれど、一方で、どれほどの機能や気力が失われていることか。

老人にとって快適な環境が、必ずしも健康をもたすわけではない──という現実を、心に留めていただけたらと思います。

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阿月まり

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