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「自信」と「優越感」は違う

2011年6月28日

自分に自信があれば、しょうもないことにクヨクヨせず、もっと堂々と、強く生きられる気がするからだろう。

ところで、なぜ自信が欲しいのか、と問えば、『人に嗤われて、傷つくのがこわいから』。この一言に尽きると思う。

本当の自分を見せたら、嫌われる。

弱みを見せたら、バカにされる。

そういう他人に対する恐れ、あるいは不信感があるから、何をやっても、誰と居ても、「気持ちが落ち着く」「のびのびする」ということがないのだと思う。

そこで、ある人は「あと3キロ痩せれば」「美肌になれば」「英語がペラペラになれば」と考え、エステに通い、英語教室に通い、とにかく人より秀でたものになろうとする。バカにされないように、自分を認めさせられるように。

でも、それは、「優越感」であって、自信じゃない。

人より優れた何かになれば、他人の一言にビクビクする気弱な私は居なくなる──と思ったら、大間違い。

この世には、上には上が、いくらでもいる。

3キロ痩せても本物のモデルにはかなわないし、美肌になったからといって明日から資生堂の専属女優になれるわけじゃない。

もちろん一つの美点が大きな支えになることはあるけれど、10キロ減量に成功した人がなんであんなにキラキラしてるかと言えば、スリムになった身体が美しいからではなく、食べたい物も食べず、ゴロ寝もせず、毎日腹筋50回を3年間やり続けた、そんな自分が誇らしいからでしょう。

この点を見誤ると、スリムなボディが絶対的な自信を与えてくれると勘違いしちゃう。

デブとか、ブスとか、心ない言葉で傷つける人達を見返すために復讐の旅に出ても、辿り着くのは、より強い飢餓感と劣等感の吹き荒れる無間地獄。

自信というのは、優れた数だけ身につくものではなく、どこまで自分を許して受け入れられるか、そこに重きがあるんだな。

そもそも、なぜ自信が欲しいのか、そこから考えてみようよ。

要は、人にバカにされ、びくびく傷つき、嫌われるのが怖いからじゃない?

じゃあ、どうしたら人にバカにされなくなるだろう、みなが自分を認めて、慕い寄ってくれるような人間になれるだろう──そうだ、美肌のモテ女になればいい、旬のゆるかわが似合うファッションリーダーになればいいんだわっっ!! というのは、優越感への走り。自信というのは、今、そこに立っている、ありのままの自分の姿を正面から見つめて、許して、受け入れてあげることです。

ねえ、正面から見つめてみれば、本当は淋しがりやなんじゃないの。

見栄も張るし、素直に「ごめんなさい」が言えない。

そのくせ気だけは人一倍強くて、でも他人に悟られないよう、適当に口裏だけ合わせているような、そういう自分が見えたりしませんか?

あるいは、夕暮れに、おかあちゃんに怒られて膝を抱えて泣いていた頃の姿をそのまま引きずってる自分がいるとか。

見たくない、忘れたい、認めたくない要素があればあるほど、人間てのは周りに少しでも自分を大きく見せようとして気を張り、取り繕い、「いい人」であろうとする。

これで疲れない方がどうかしてるし、そんな人と一緒に居てもこっちまで疲れるだけ、だから嫌われてしまう。まさに負のスパイラルです。

そういう時は、ムリして自分を好きになろうとか、意識を高めようとか、イロイロ考えない。

ただ、そこでうずくまって何も出来ずに恨み言並べてる自分自身を「見る」だけでいいんですよ。

あ、私、怒ってるな。

オレ、傷ついてるな。

それを自覚するだけでいい。

自覚できるってことは、ちゃんと受けとめてるってことだから、少なくともその瞬間は自分にウソをついてないし、周りに虚勢も張ってないでしょ。

言い換えれば、それだけの勇気がある、ってことなのね。これ、ものすごく大事なことなのよ。みんな大したことない、って思いがちだけど。

そうして、自分の心の声を聞き、ほんとの姿を見つめるうちに、その発端となってるものに必ず行き当たると思うの。

たとえば、恋愛がヘタ、いつも「重い」と言われて疎遠にされる、それがコンプレックスになってる人は、じゃあ、最初に、他人を恐れるような原因なった出来事は何? と考えてみたらいい。

それは中学時代のイジメかもしれないし、父親につっけんどにされた思い出かもしれない。

きっとそういうのがあるはずだよ。

で、これかな? と思う記憶に行き当たったら、そこで躓き、傷ついた自分を遠くから励ましてあげるわけよ。

身に起きた出来事は変えられないにしても、その時感じた痛みは癒すことができる。

その後も、一生懸命にがんばって生きてきたわけだし、それについては評価してあげないと。

そうやって心の歴史を行きつ戻りつしているうちに、あなたって、あなた自身が思うほどダメでもないし、弱くもない、けっこう健気に生きてるし、あの時は「許せないっ」と思ったことも、今振り返ってみれば、なんとなく分かるような気もしたり、「すっげー、あたしって意外と『大人』じゃーん」と自画自賛できる瞬間があると思うんだよ。

見たくないものを見ることが出来ただけでも、拍手ものなんだよ、本当は。

もっと自信があれば、他人の一言一言にビクビクしたり、弱気になったりしない、もっと幸福感に満ちあふれて、人にも愛される……と思い描いているとしたら、それはある意味、プラスアルファに武装してる自分を追い求めていることでもあるの。

でも、本当の自信は「武装」ではなく、自分にYesということだから。

あなた自身が急激に変わらなくても、あなたがあなたに対する見方を変えれば、それが自信になっていくんじゃないかしら。

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