恋と女性の生き方

収納上手は、幸せ上手

2009年6月27日

私が通った看護学校は全寮制で、生徒は4人一組になり、四畳間と六畳ほどのタイルの間(ここに2段ベッドが2つあった)からなる部屋で共同生活するのが決まりになっていた(後に全寮制は改定される)。

半年に一度、部屋替えがあり、メンバーはすべてクジで決められる。

そうして3年も一緒に過ごすと、相手の人柄はもちろん、学校で顔を合わすだけではとうてい窺い知れない、その人の生活態度や習慣、暮らしの価値観などが手に取るように分かり、それが原因で居心地が悪くなるお部屋も少なくなかった。

ちなみに、私は、こと時間管理においては超合理主義で、何かにつけて効率性を優先する面がある。

スティーブン・スピルバーグ監督の大ヒット映画『ジュラシック・パーク』に、恐竜の複製に否定的なマルコムという数学者が登場するが、彼が着るものはすべて黒いスーツで統一されており、家にもそれしか置いてない。「朝、着る物に迷うほど、無駄なことはない」というのが彼の考え方だからだ。

そういう価値観が私にもある。

たとえ他の人には「時間をかけるに値すること」であっても、自分が無駄と感じたら、その過程はどんどん省略してしまう。

たとえば、「飴色玉ねぎ」。

食べれば流れていくだけなのに、どうして40分も50分もフライパンの前で粘らなくてはならないのだろう。その40分があれば、もっと多くの生産的なことが出来るのに──。

そう思ってしまうから、玉ねぎを飴色になるまで炒めるなんて、とんでもなく時間の無駄に感じるし、つい火を強めて、焦げ目を作ってしまう。

それだけに、私とは正反対の価値観を持った人──つまり、「玉ねぎが飴色になるまで辛抱強く炒め続けることが出来る人」というのは、昔から私にとって憧れであり、彼女らの「きちんと」という美意識と習慣に対しては、尊敬の念すら感じてしまうのである。

看護学校の二年生の後期、ルームメイトだったKさんがまさにそのタイプだった。

現代的なちゃきちゃきとした女性でありながら、生活動作は一つ一つが丁寧で美しく、「育ちがよい」とはまさにこのことを言うのだな、と感心せずにいなかった。

彼女とは何度か旅行をした経験があるが、バッグの中の衣類はいつもきれいに折りたたまれているし、洗面用具をポーチになおす時も、一つ一つタオルで水滴を拭い、ついでに洗面所の汚れもさっと一拭きするような女性だった。

「たたむ」というよりは丸める、「なおす」というよりは突っ込む私とはえらい違いである。

そんな彼女のアパートも、やはり手入れが行き届いており、タンスの中はまるでブティックの商品棚のようだし、下着も、それこそ『ベルメゾンのカタログ』のように、一つ一つが丁寧に手巻きされ、菓子折みたいにきちっと引き出しの中に収まっているのだった。

そんな彼女は、就職して間もなく、素敵な独身のドクターに見初められ、今では可愛い二人の女の子のお母さんである。

きっと彼女の娘さんも、彼女と同じように、生活動作の美しい、折り目正しい女性に成長されるだろう。

人の目につかない所まで神経を行き届かせ、一つ一つをきちんと丁寧にこなせる人ほど尊敬に値するものはない。

そして、女性にとって、容姿よりも、能力よりも、こうした生活の美意識こそが、本人はもとより、家族や周りの人間をも幸せにするものはない、と思わずにいないのである。

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