女性と恋愛

『加減』という思いやり ~個性派調味料でいつもの味をパワーアップ~

2009年7月1日

手塚治虫の「ブラック・ジャック」を彷彿とさせるニヒルな天才調理師・味沢匠が、卓抜した料理をもって複雑な人間模様に一花添える人気劇画『ザ・シェフ』。

その中に、こんなエピソードがあった。

引退を前にした、とある一流レストランの有名シェフ。
彼の後継者には、若手ナンバーワンの野心的な料理人が目されていたが、その男がレストランを継いだら、レストランの評価は瞬く間に地に落ちてしまうことを彼は憂えずにいなかった。

そんなシェフの招きで、野心的な男と共に包丁を握ることになった味沢。

料理を披露するのは、強豪ラグビーチームの優勝祝賀会だ。

味沢に勝ち、自分こそ後継者にふさわしいことを誇示したい男は、ある晩、シェフのレシピをこっそり盗み見、その通りの料理を作り上げる。
しかし、祝賀会が終わってみると、男の作った料理はほとんど手が付けられておらず、味沢の作った料理だけがきれいに平らげられていた。

「レシピ通りに作ったのに、何故だ──??」

不思議がる男に味沢は言った。

「今日のメインの客は、練習帰りのラガーマンだ。彼らは激しい練習でたくさんの汗を流し、多くの電解質を失っている。彼らの舌には、通常よりちょっと強めの塩味が美味く感じるのだ。君の料理が美味しくないのは、レシピ通りに作ったからだ。レストランの後継者になりたいなら、相手に合わせて料理することを勉強するんだな」
(詳細は違っていますが、そういうオチでした)

この世には、プロの料理人の味をそっくり再現してくれるであろうレシピが数えきれないほど存在する。

しかし、その通りに作ったからといって、必ずしも好みの味になるわけではないし、いつもは大さじ二杯で美味しく感じられても、場合によっては三杯必要なこともあるだろう。

その『加減』こそ、料理の神髄であり、思いやりである。

有名シェフと味沢が見抜いたのは、自分の腕前に溺れ、相手(=客)を見ようとしない男の驕りであった。
相手の舌に合わせない男の料理は、見かけがどんなに立派でもいずれ飽きられる。
それによって、レストランの将来はもちろん、有名シェフが築いてきた素晴らしい歴史も潰えてしまうことを、味沢は諭したのだ。

それは料理界に限らず、一般家庭の台所でも同じことだと思う。

レシピはあくまで一つの方法に過ぎない。
「みりんを入れろ」と指示してあっても、甘い煮物が苦手な人もいるし、「香辛料小さじ一杯」では物足りない人もいる。
相手の好みに合わせて微妙に味を作り替える、この『加減』なくして美味しい料理は生まれない。
いわば『加減』の根底にあるものは、職人の勘や栄養学の理屈ではなく、相手に対する想像力であり、思いやりなのだ。

ここ数年、食生活の乱れから『食育』がいわれだし、まるで構いつけぬ主婦がいる一方、強いこだわりをもって食卓を仕切る母親も増えている。
だが、理屈で味は作れないし、味のないものは肉体の役に立っても、心の糧にはならない。

母の手料理は『加減』の集大成であり、レシピというものをはるかに超えた日常の芸術である。

料理本や栄養学に基づくのもいいけれど、やはり見るべきは相手(子供、夫)の舌と気持ちであり、『加減』の分からない台所仕事は、味沢匠に諭された男のように、いずれレストラン=家庭を潰えることになると思わずにいないのである。

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