今夜のポーランドの最低気温はマイナス20度。
強い寒気の影響で、全国的にマイナス10度以下の日が続いている。
以前は、「マイナス20度」とか聞くと、この世の終わりのように感じたものだが、今では地球が元気な証拠と思える。
昨年のように、ほとんど積雪のない暖冬の方がかえって心配だ。
ちなみに、マイナス20度がどんな寒さかというと……。
まず鼻毛が凍る。
「寒い」というよりは「痛い」。
深く息を吸い込むと、冷気で胸が締め付けられそうになる。
うっかり金属製のものに触れない。
大きな冷凍庫の中を歩いているような感じだ。
そんな風に冗談で笑えるのも、安心して眠れる家があるからである。
この時期になると、凍死者が増える。
マイナス20度の中、誰に看取られることなく凍死してしまう人のことを考えると、いたたまれない気持ちになる。
皆が皆、フランダースの犬のように死ねるわけではない。
当たり前のことだけど、安心して眠れる場所があるというのはそれだけで幸せなことだ。
人にはいろんな事情があって、今、こうして住まいのある者でさえ、いつそれを失うことになるかは誰にも分からない。
冬の最中に、眠る場所がない。
食べる物もない。
一緒に寒さをしのいでくれる人もない。
これほど不幸なこともまたとないと思う。
そして、その原因を、すべて自己責任で片付けてしまうのも、薄ら寒い。
自らの怠慢で脱落したような人々には、凍えそうな夜でさえ、「勝手に死んで下さい」とでも言うのだろうか。
ポーランドの集合住宅のゴミ捨て場には、必ずと言っていいほど赤十字のマークが付いた金属製の衣類箱が置いてある。
着なくなった洋服は捨てたりせず、貧しい人々のためにこの衣類箱に寄付して下さい、という意味だ。
私もここに来てから洋服を捨てなくなった。
着なくなった洋服は、一度洗濯してから、衣類箱に寄付するようになった。
中には、あまったパンをビニール袋に綺麗にまとめて、ゴミ箱の金具に引っかけておく人もある。
お腹を空かせたホームレスを気遣ってのことだ。
社会も人も、自己責任の原理原則だけで動いているわけではない。
「切り捨てること」に慣れてしまったら、その社会は、いずれ自分たちが切り捨てたものに裏切られることになるだろう。
他の命を気遣う一枚のパンが、本当の意味で社会を潤わせる。
ちなみに、私が暮らしている自治体は、ポーランドの中でも「暮らしやすい」と評価が高い。
市長も知事も住民からの信頼が厚く、世の中には善政を行える政治家もいるのだということを、ここに来て初めて知った。
そう考えると、自己責任論は、本当の責任の所在をかわすのに非常に都合のいいリクツである。
そして、こういう自己責任論が正論として支持されればされるほど、ずるがしこい人間の思うつぼにはまって、結局、自分たちが損するだけだということに、一人でも多くの人が気付くべきではなかろうか。

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