公式サイトはこちら(英語サイト) http://en.auschwitz.org.pl/m/
開館スケジュール、ワルシャワ、クラクフなど主要都市からのアクセス、ボランティア募集やガイド予約など、見学に必要な情報が網羅されています。
世界歴史遺産にも認定されたアウシュビッツ収容所博物館。
今なお世界中からたくさんの見学者が訪れ、その凄惨な史実に打ちのめされています。
ポーランド名は、『Oswiecim オシフィエンチム』。
クラクフから車で二時間ほどの郊外にあります。
かつては小さな田舎町だったオシフィエンチムに収容所が建てられたのは、1940年。当初は、ポーランドの政治犯を収容するために作られました。しかし、ナチス・ドイツ軍がユダヤ人絶滅計画を打ち出し、徹底的な排除、虐殺に乗り出してからは、死のみが待ち受ける恐怖の象徴となり、百数十万もの人々が強制労働や栄養失調、殺人ガス、医療実験などにより命を奪われました。
一般に、アウシュビッツと呼ばれる収容所は二つあり、博物館が建造されているアウシュビッツ1号と、そこから2㎞ほど離れた所にある、より巨大な収容所ビルケナウ(アウシュビッツ2号)からなります。
写真は、アウシュビッツ1号にある収容所入り口のゲート。
ゲートには、『ARBEIT MACHT FREI ( 働けば自由になる)』というスローガンが空しく掲げられています。
当時、囚人達の動きを良くし、数を勘定しやすくするため、ゲートの側では楽団演奏によるマーチが毎日流されていたといいます。
今でこそ見学者の為に綺麗に舗装され、鳥のさえずりが心地よいほど静まりかえっていますが、ただ死を待つだけの囚人たちはどんな思いでこのゲートをくぐったのでしょうか。
アウシュビッツ11号棟は「死のブロック」と呼ばれています。
右手の建物では毎日のように簡易裁判が行われ、囚人の大半は餓死刑か銃殺刑を言い渡されました。
銃殺刑を下された囚人は、一室で全裸にされた後、この壁の前に連行され、次々に銃殺されたのです。処刑者の少ない時は、室内で銃殺されることもしばしばでした。
手前の、鉤付きの柱は、囚人を縛める為の拷問具です。
囚人達は、両腕を締め上げられる形で、この鉤から何時間も吊されました。そして、その後、強制労働。腕を痛めた囚人が働けるわけがありません。働かなければ、即、処刑です。
こうして、老若男女を問わず、大勢の囚人が酷い処刑の犠牲になったのでした。
また11号棟の地下には、囚人を監禁する地下牢がいくつかあります。
風も光も差さない、真っ暗な地下牢の中で、人々は飢え渇き、窒息して死んでいったといいます。
牢の壁には、囚人が必死の思いで刻みつけたキリスト像もあり、悶え苦しみながらも心の尊厳を保とうとした囚人達の声なき声が生々しく伝わってきます。
またこの地下牢では、ポーランドの聖人とされるコルベ神父も亡くなっています。
神父は他の囚人の身代わりとなって、この地下牢で餓死しました。
神父の収監された地下牢からは、毎日のようにロザリオ(祈り)や賛美歌が聞こえてきたといいます。
牢内には、今もロウソクと花が手向けられ、神父の尊い犠牲を悼んでいます。
また、囚人を立ったまま監禁する立ち牢もあります。
狭い石造りのスペースに囚人を立ったまま監禁し、昼間は強制労働、夜は立ちっぱなしで、束の間の休息も与えらず、囚人達は数日で衰弱死したといいます。
その他の写真はこちら http://www.flickr.com/groups/86224143@N00/pool/
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