海が好き──
というよりは、海に込められた思い出がいとおしいのだ。
姉と私と、父と従兄と、みなではしゃぎまわったあの夏。
遠くにイカ釣り漁船が浮かぶ田舎の海は、はじけるように青く、楽しかった。
『海は生きとし生けるものすべての故郷よ』
母は言った。
『あらゆる命は海から生まれ、遠く巣立っていったの。陸に上がった人間が今もこうして海を懐かしむのは、 海に暮らした何億年もの記憶を留めているからかもしれないわね』
たった一言を書くために、何千枚もの原稿を綴ることがある。
思い起こしてみると、本当に書きたいことは、いつも『たった一言』なのだ。
何万、何十万というその他の言葉は、その一言に至るまでの壮大な助走に過ぎない。
時に迷い、時に躓きながら、その一言に突き進んでゆく。
いつか出遭う、最高の瞬間を追い求めて。
思えば、海はいつでもそこにあった。何億年と変わらぬ姿で。
曲がりくねった夜の道を走り抜けると、透き通るような曙光の中に、いつでもその輝きを見ることができる。
遠くに感じるのは、夜の深さのせいだ。
海はひとりでに遠ざかったりしない。
今年も、あの夏の海を思い、波の響きを懐かしむ。
貝殻のように耳を澄まして。
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