子育てコラム

「子育て」とは間接的親孝行なり

2010年8月10日

育児ストレスが一番激しかった頃の我が家の様子。

こんなん序の口、カーペットに食べ物や飲み物、最悪の時は○○が落ちてないだけでもラッキー。

朝から晩まで、毎日毎日、掃除掃除掃除掃除。

洗い物洗い物洗い物。

オムツ替えオムツ替えオムツ替え。

夜泣き夜泣き夜泣き。

ハァ……。

「私の人生は何処へ行った」状態。

私の愛する精神生活とは程遠い、獣のような日々でござった。

二人が幼稚園に行きだして、近所の子どもたちと一日中遊ぶようになってからは、ずいぶんラクになったけども。

そんでもまだまだ、手が掛かるよな~~。

知り合いのママの話じゃ、「一人で朝食の用意ができる(ポーランド風に言えば、シリアルやサンドイッチが自分で用意できる)」のが一つの目安らしい。

こういう暮らしぶりを知ると、「だから子育てなんてイヤなんだよ」という声が聞こえてきそうだが、子育てというのは突き詰めれば親孝行なんだよな。

育ててみて初めて分かる我が親の苦労。

「毎日、お弁当作ってくれて、ありがとう。弁当箱ぐらい自分で洗うべきでした」
「晩ご飯に文句言って、すみません」
「夜中に飲み歩いて、すみません」

子ども時代には到底言えなかった言葉、想像だにしなかった気持ちを、今、しみじみと我が身に体験する。

子育てで苦しんでいる人って、たいがい、自分の親が苦しんだことを間接的に経験しているはずだ。

食事でさんざん親を困らせた人は、多分、我が子の偏食・小食に手を焼いているだろうし。

激しい夜泣きで親を憔悴させた人は、自分も今、寝不足と神経衰弱の苦労を味わっているにちがいない。

いわば子ども時代に蓄積したカルマを、今、身をもって償うという感じ。

なんか、人間として「やっとかなあかん」、そういう気持ちやね。

親の気持ちと子どもの気持ち(自分自身の)と、両方体験するということは、それだけで価値あることと思う。

一度でも「あ、自分の親も苦しんだんだ」と気付けば、あなたの親も報われるはずだ。

で。

この子たち。

今、分かってもらおう、なんて思わない。

恩を返せ、というものでもない。

いつか、彼らが自分の子育てをするようになった時、「あ、お母さんも、しんどかったんだ」と気付いてくれたら、それでいい。

子育てなんて、自分に直接返ってくるものじゃなく、何十年と経ってから、ようやくその重さを分かってもらえるものだから。

その時には感謝よりも、涙目でジュータンの染み(何の染みかは想像におまかせ)を拭いている私の肩を、そっと優しく抱いて欲しいものだ。

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