育児と家庭

我が子に殺されない為の10箇条

2015年11月6日

とにかく親が邪魔。うっとしい。さっさと死ね。殺したい。

このサイトにも毎日のようにいらっしゃいますよ、そういうお子さんが。
一日平均500件、あるいはそれ以上。

我が子が夜な夜な、スマホで「親、死ね」「親を殺す方法」で検索して、憂さ晴らしだか、悩み相談だかやってる事実を、奥さん、ご存じ?

「我が子が自分(親)を殺したいなど、有り得ない」と他人事のように構えている暢気な親御さんの為に、「我が子に殺されない為の10箇条」を作ってみました。

心当たりのある方は、明日から布団に入る時はヘルメットを装着してくださいね。

子供はいつまでも無知・無力ではない

我が子が思春期になっても「言えば、なんでも言うことを聞く、赤ちゃんみたいな存在」と思っている方、多くないですか?

中学生にもなれば、小学生の時とは比べものにならないほど、知識も体力も付きますよ。早い子ならセックスも体験するし、大人が知り得ることはたいがい知ってます。

出来ないのは、「知識と知識を統合して、一つの哲学や価値観を織り上げる」という高等技術だけ。

知識だけは豊富にあるんです。

ナイフと機関銃と火炎瓶を手にした幼稚園児みたいに。

大人なら、原因と結果を一つの線で結んで行動を制御することができるけど、子供はツール(知識)だけで突き進んでいきます。

「ナイフで友達を刺せば死ぬ」ことは知ってても、それが現実社会において何を意味するか、自分や友達や周りの人々にどんな結果をもたらすか、人が生きて権利を守られるとはどういうことか、みたいな思考がボコンと抜け落ちて、「ナイフ=パワー」という単純な発想で動くのね。

それは殺しに限らず、セックスも、ネットも、人間関係もそう。

男の子が性的に興奮して、オチンチンが硬くなったら、女の子のアソコに入れて、しこしこしたら気持ちよくなる、って。みな知ってる。

でも、それが男女の精神的な結びつきにおいて、どんな意味を持つか、セックスの前と後ではどんな風に気持ちが変わるか、女の子の排卵期に膣内で射精したらどうなるか、そこまで思考を深める能力もなければ、人の心を理解する経験もない。

知識と欲求だけで動いてしまう。

だから、親を殺すのも、けっこう簡単にできるんですよね。

ムカつく。目障り。消えろ。

包丁でブスリと刺せば、死んで目の前から消える、という知識だけはありますから。

そこに体力が加われば、蝶々の羽根をむしるみたいに簡単ですよ。

その子たちにとって、親は、自分を精神的に脅かす敵でしかないから。

我が子は赤ちゃんみたいに無知で何も出来ない、とか思ってたら、大間違い。

殺しでも、セックスでも、何でもやる。

中学生にもなれば、「知ってること」だけは大人並みです(特に現代は)。

子供は『嘘』に敏感

子供の最大の特技は、大人の『嘘』を的確に見抜くことです。

「あなたの為」「これが正しいから」「お母さんは分ってるの」etc

それが「あなたの為」ではなく「自分の為」だということを敏感に感じ取りますし、「私は偉いのよ」とアピールしても、子供にはそれが虚栄だということも分ります。

なぜ、子供はこれほど大人の嘘や見栄や建前に敏感なのか。

それは「親か、ゼロか」の世界で生きてるからです。

親に放り出されたら、子供は一人で生きてゆけない。

ご飯を食べることも、温かい布団で安心して眠ることも、友達と遊ぶことも、何もできなくなる。

必然的に、親に頼らざるをえないし、親以外に日常的に接する大人もない(昔は近所のオッチャンとか親戚のおばちゃんとか、いろいろありましたけど)。

親が世界軸でしょう。

そこに歪みや矛盾が生じれば、それは世界にヒビが入ったも同じこと。

子供にとっては、昨日まで「ゲームしていいよ」といってた親が、今日は目を三角にして「何してんだ! ゲームなんて、馬鹿者のすることだ!」とか怒り出したら、特大級の大問題ですよ。

会社の社長が、昨日まで「我が社は社員の幸せが第一です!!」と言ってたのに、今日から「世の中、不況だから。リストラなんて、みなやってるよ」と節操のないことを言い出すのと同じです。

この社長、儲け主義。口ばっかり。

利口な社員にはすぐ分っちゃいますよね♪ 

子供もそれと同じです。

自分の人生と暮らしのみならず、人間としての全存在、魂までも懸けているから、親の嘘や企みはすぐにバレて、二度と信用しなくなるのです。

嘘に敏感というのは、ある意味、無力な者の生きる知恵ですよ。

子供と向かい合うことは、自分自身と向き合うこと

「育児においては、子供と向かい合うのが大事」がお約束事ですが、その「向かい合う」を『監視』と勘違いしてる人も多いです。

学校で何をやってるのか、どんな友達と付き合ってるのか、趣味は、成績は、etc。

もちろん、子供の行動や考えを把握するのは大事だけども、それはあくまで情報収集に過ぎない。

「子供と向かい合う」ということは、「心と心を摺り合わす」ことです。

相手が五歳だろうが、十五歳だろうが、同じこと。

嬉しい時もあれば悲しい時もある。怒りもすれば、誤解もする。

親子といえど、いろんな感情の摩擦があって当然です。

それを反省したり、謝ったり、話し合ったり、仲直りしたり。

いろんな心のプロセスを通じて、子供は人間を知るし、人間同士の葛藤やトラブルの処理の仕方も学んでいく。

子供にとって本当の成長は、「親を一人の人間として理解し、許し、受け入れること」ですよ。

それを仕損なった人が、30代、40代になっても、対人を恐れ、自分を愛せず、いまだに親を恨んで、何も出来ずにいる。

それは身体だけ大きくなって、心が本当に必要とするプロセスを経験できなかったということでしょう。

親を許すということは、自分を許すということでもある。

自分を許せば、他人も許せるようになる。

その『愛する能力』の原点になるのが、この世で唯一、「遠慮なく言いたいことが言えて、ありのままをさらけ出せる」親子関係というものです。

親という、精神的なサンドバッグがあればこそ、子供は誰に遠慮することなく我が儘も言うし、大声で泣いたりもする。赤ちゃんみたいに甘え、弱音も吐くし、辛い時には辛いと大声で叫んだりもする。

そして、サンドバッグとなる親は、その過程でプッツンすることもあれば、力尽きて「もう、やっとれんわ」と怠惰になることもある。子供に言い換えされて悔しい日もあれば、何の努力も報われなかったと空しく感じる日もあるでしょう。

それでも人間的な愛情から再び歩み寄るし、間違えば誤りもする。

子供の思いがけない優しさに救われることもあれば、遠い昔に忘れてしまった純粋な気持ちを取り戻すこともある。

親子関係って、ダイナミックで、田舎芝居みたいに泥臭くて、この世で唯一、「計算のない間柄」だと思うのです。

ところがね。

子供に対して、自分が本気で怒ってること、傷ついてること、悔しいこと、悲しいことから、逃げようとする人もいる。

自身の感情や葛藤から目を背け、「常に立派に」「常に優しく」「常に子供より上位であらねばならない」と気張るタイプです。

子供に欠点や弱みを見透かされたら、自分の権威が失墜して、二度と親の言うことを聞かなくなると警戒している人もあるでしょう。

それって、まるで落ち目の○○党の党首みたいです。

すでに自分のハッタリや猿芝居が国民に見透かされて支持率が急落してるのに、そんな自分自身と向かい合うことなく、勢いや耳障りのいいスローガンや犬に餌みたいな小手先の政策で、国民を言うこと聞かせ、自分の思う通りに政治を動かそうとしている政治家と同じです。

そんなの、我が国のリーダーとして敬愛できますか?

自分たちの暮らしや人生を託そう、そして協力しよう、と思います?

左っぽい喩えでアレですけど、親子も同じですよ。

ハッタリと虚勢ばかりで、まったく反省がない、自分は絶対的に正しいと信じて疑わず、とにかく子供より優位に立って、自分の思う通りに動かそうする親なんて、軽蔑と失望の対象でしかないですよ。

そういう親が決して口にしないこと。それは「ごめんなさい」です。

心から子供に謝ったことなど、一度もない。

謝れないんです。

自分の弱みや間違いを認めたくないから。

認めたら、子供に舐められ、二度と自分の思う通りにできなくなると恐れているから。

子供と正面から心と心をすりあわせ、人間として向き合う限り、どうしたって自分の嫌な面は見えてくるし、弱さや限界も思い知る。

その度に自信を無くし、「もぅ、子育てなんてイヤ。親なんて止めたい」と思いますよ。養育の放棄ではなく、精神的な重圧や自罰の気持ちから。

でも、そんな時に、自分の人間としての弱さや至らなさを隠さず、「ごめん。お母さん、もう駄目。自分でも情けないと思ってる」と正直にさらけだすとね。

子供自身も楽になるんです。

確かに、完璧だと思ってた親が弱音を吐いたり、涙を浮かべたりしたら、そらショックですよ。

だけども、その弱さや間違いを、親自身も辛いと感じ、なんとか克服しようとする姿を見て、
子供は「完璧な神」ではない「等身大の人間」を知るようになるし、またそうした人間の苦悩に対してどう向き合うべきかも考えるようになる。

子供なりに、必死に慰めたり、支えたり、笑わせようとしたり。

その過程で、理屈では教えられない共感や思いやりが身につくのではないでしょうか。

これは親でなくて教師の話ですけど。

私が小学校5年生の時、学級内で酷いイジメがありました。クラス会で何度話し合っても、殴る、蹴る、「バイ菌、死ね」といった言葉の暴力が止まない。クラスメートも怯えて、何もできなくて、何も変わりませんでした。

ある時、担任の男性教師(27歳)─が、まだイジメが終わらないことを知って、こう仰った。

「僕は経験の浅い若い教師で、先生としてはまだまだや思う。それでも、思いやりとか、友情とか、何度も何度も心から説いて聞かせたつもりやった。でも、全然、お前らの心に届いてなかったんやな。僕はお前らのことが心底好きや。こんな可愛い生徒は世の中のどこにもおらんと思ってる。それだけに、お前らがこんなイジメやってることが、本当に悔しい。大事なことを上手く教えられない自分が情けない。ほんまに悔しいのや……」

と、教壇で落涙されたんです。

まさか先生が、それも若い男性教諭が、自責の念や自信喪失で生徒の前で泣くなど、誰も想像だにしなかっただけに、その日を境にイジメがぴたりと止んで、クラスの雰囲気も大きく変わったんですね。

その時、私らはホンマに子供ですけど、子供心にも、先生が本当に愛情と責任感をもって指導されてることが分ったし、「男の先生のくせに泣くなんて、キモ~~」なんて馬鹿にする子は一人もなかった。

むしろ、それを境にいっそう近くなった感じです。

親もそれと同じで、迷いもしなければ、過ちもしない、弱みもなければ欠点もない、なんて事は有り得ません。

肝心なのは、自分自身でそれを恐れないことです。

「子供と向き合う」ということは、自分自身と向き合うことであり、迷い、葛藤しながらも、なんとか子供を幸せにしよう、だって愛してるから……という親の心のプロセスに、子供も多くを学び、人間に対する理解や信頼を育むのではないでしょうか。

大きな親切より、小さな気遣い

人間って、大きな親切より、小さな気遣いに心を動かされるものです。

クリスマス・ショップがどかんと4割引するより、店員さんが子供の好みに合わせてリボンの色柄や結び方を工夫してくださる。

旦那が「我が家は家事分担です!」と大看板を掲げるより、「そのゴミ、捨ててこようか」の声かけの方が有り難い。

「我が社は女性に働きやすい職場です」と漠然とPRされるより、男の係長に「心配するな。後はなんとかなる」と一言、声かけしてもらう方がはるかに安心するのと一緒でね。

子供も誕生日やクリスマスにどーんとプレゼントされて、あとは放ったらかしより、毎日、一つ、小さなことを気遣ってもらった方が嬉しいと思いますよ。

「学校でお腹すいてないか」とか「上着一枚で寒くない?」とか「この靴もだいぶ傷んでるけど、まだ大丈夫?」とか。

それぐらいの気遣いなら、忙しい中でも一日一回ぐらい出来るでしょう?

お母さん、ちゃんと見てくれてる・・。気付いてくれてる・・。

その安心感で、子供も一日、安らげると思いますよ。

頑張りすぎる人って、「我が子を世界一幸せにする」とか「温かい親子関係を築きたい」とか、大きくて、漠然とした目標を掲げるからではないですか。

イベントごとに大きなプレゼントして、親の義務を果たしたような気分になってる。

それより、子供が気付いて欲しいことを、一日一つでも気付いて、声かけする方が、幸せに感じると思うよ。

入学祝いに買ってあげたスマホで、夜な夜な「親死ね」「親殺す」とか検索されるより、よっぽどマシですよ(´。`)

子供を理屈で変えることはできない

相手が子供でも、「説いて聞かせれば、理解するはず。良い子になるはず」と思い込んでいませんか?

子供を理屈で変えようと、くどくど言い聞かせてる親、陰で必ず「うざい。死ね」と思われてます。

言えば言うほど、うるさいと憎まれる。

なぜか。

それは親が理屈で子供をコントロールしようとしているのを感じるから。

きっと親にしてみたら「自分は正しいことを教えている」と思っているでしょう。

でも、突き詰めれば、(親の考える)正しい子供に調教し、管理しやすいように仕掛けているに過ぎない。

「子供が言うことを聞かない」という時点で、子供は「親が100パーセント、正しいわけではない」と気付いてる。

友達の話、世間の有り様、ネットや雑誌などで得た知識から、「親=おかしい」という疑念を抱いていて、そこに取り込まれるまいと反抗してる。

ある意味、知れば知るほど疑念が湧いて、「本当にコレが一番なのか」と自分でも自分が信じられなくなるのは、価格ドットコムやAmazonレビューと同じです。

自分の信奉する作家の作品に「一つ星レビュー」が付いている!

そんな馬鹿な! 有り得ない! 

でも、レビューに書いてある批判も尤もだ。

作家・○○こそ神と思っていた、私の愛と審美眼が間違いだったのっ??

子供も思春期になると、それと同じことを経験します。

幼稚園の頃は無条件に親の言うことを信じてた。

でも、中学生になり、いろんな友達の話を聞き、自分自身も情報収集や分析力が高まってくると、必ずしも親の言うことが100パーセント正しいわけではない、という事に気付きだす。

これは子供にとってもショックですよ。

親の態度はもちろん、親を信じてきた自分自身も信じられなくなるんですもん。

たとえば「骨になるまで働け」が美徳とされる会社で一心不乱に勤めてきて、実はそれが世間ではブラック認定の違法行為だと分った時、その人は、社長よりも、世間よりも、何よりも、信じ続けた自分自身にショックを受け、自身の能力も判断力も全てが無意味に感じるでしょう。

それと同じことを、子供も経験します。

今後もこの親を信じ続けていいのか、親が立派だと思い込んできた気持ちは何だったのか、そんな風に感じる自分はとても悪い子供ではないか、etc。

それを理屈でねじ伏せて、親の権威で言うことを聞かせようとするから、ますます憎まれ、子供自身も自分で自分が嫌になってしまうのです。

もうね。

子供が知恵をつけて反抗しだしたら、その日を境に、親の権威はゼロになったと腹を括ってください。

親という洗脳がとけて、あなたは一人の人間としてそこに居る。

でも、その変化に一番戸惑い、自分を責めているのは、子供の方です。

親を嫌いになりたくないし、小物だとも思いたくない。

だけども、もはや神のように信じることはできないし、イヤなところも目につく。

もう無邪気な幼稚園児には戻れないんだ、って。

だからこそ、正論でねじ伏せてはいけない。

理屈で変えようとしても子供は変わらないし、必要な事を理解するには、ものすごーく長い時間を要します。

じゃあ、どうすればいいか。

もう一度、ゼロから構築するの。

今度は人間対人間として。

支配する者と支配される者ではなく、「大きい人間」と「まだまだどこか足りない人」の共同作業みたいに。

そこで子供も自分なりの意見や価値観を尊重されることで、「親=嫌い」が「やっぱり親は有り難い」に変わってゆくし、いっそう深く、複雑な人間の有り様も学んでいく。

もう、この子に飴とオモチャは通用しない──と分ったら、親の方から子供の立ち位置に降りて、もう一度、ゼロから構築するぐらいの気持ちがないと。難しいですよ。

そして、その時、親が等身大の自分を知られるのがイヤで、力で威圧し、言い訳で誤魔化し、ご機嫌取りで話を反らす・・ことをしていたら、子供にうざいと思われる。

面倒くさいし、大変ですけど。

でも、子供の中でも、そういう時期って、そんなに長くないですよ。

こじらせると、数十年に及びますけどね(´。`)

親を殺せない子供

子供にとって「精神的に親を殺す」=親の影響力や支配や価値観の刷り込みから脱却して、「私は私」という自我を確立する過程は、ある子供にとっては非常に難しいものです。

一生、そこから抜け出せず、ノイローゼみたいになってる人もいっぱいいるでしょう。

彼氏や友達ができても、まともな人間関係が構築できず、孤独や自己否定にさいなまれてる人とか。

おそらく、親を殺せない子供の方がずっと多い。

そして、親の亡霊に押し潰されながら、一生息苦しい思いを抱えて生きて行く。

ある意味、子供がいろんな現実を知って、「親うざい」「早く死ね」とか思うようになる時期って、自我を確立するいいチャンスでもあるんですよね。

そこで本当にバットで殴り殺すから犯罪になるけども。

このサイトも「親を殺したい子供」のランディングページになってて、まー、ほんとに、裏側では凄いことになってますけど。

じゃあ、その子達の全てが本気で親を殺したいと思っているかといえば、決してそうじゃない。

ボキャブラリー貧困や経験不足、自己洞察や思考能力の未熟、等々から、「僕の人生から消えてくれ。解放してくれ」という気持ちを「殺す」という言葉で表現してるのが大半だと思います。

本来は、「うざい」「ムカつく」を他の言葉に置き換えて、じゃあ、なぜ自分はそう感じるのか、何がイヤなのか、どうなって欲しいのか、自分の中に深く沈潜して、思考を深めるのが非常に重要なのに、死ね死ね殺す、の幼児語で終わってるのが問題であってね。

そんな子でも、一人ずつ向かい合って、「どうして親に死んで欲しいの?」「何がムカつくの?」って。

もやもやした怒りや不満を、一つずつ言葉にして、胸の外に解き放って、自分でも表現のしようがなかった、いらいら、むかむかを整理すれば、だいぶ違うんですけどね。

まあ、そこまで大人も手が回らないのが現状でしょう。

そんでも、今日から、どこの家庭でも、簡単にできることがありますよ。

それは一日一個の気遣い。

欲求不満の奥さんが、旦那に期待してるアレと同じです。

「毎日の育児、おつかれさま」「ご飯おいしいよ、ありがとう」「たまには一人で出かけておいでよ♪」

あなたが旦那に期待してることを、子供も期待してると思えば簡単でしょう。

一気に良くしようと気張らなくてもいい。

一日、一言、魔法の言葉で、きっと変わっていきますよ。

あなたが旦那の一言に一喜一憂するように。

※タイトルの「10箇条」は釣りです。すいません。

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