真性オタクに『共有』という概念はない

「オタ女は、ほばメンヘラ」「彼女をジョジョに染めていくのが至高」 オタ男が語る“オタ女との交際”の現実

この記事読んで、なんか耳が痛かったわ。。

でも、根本的に、オタクに恋愛を絡めるのがおかしいと思うよ。

それって、まったく次元の違う話だもの。

よく浮気する男が言うね。「オマエと下半身は別」「結婚と恋愛(トキメキ)は感じるとこが違う」

オタクもそうだもん。

趣味と恋愛は違うし、自分にとって至高の世界や価値観は他人と共有するものでもない。

そもそも、他人に理解できると思わないし、して欲しいとも考えない。

この世のあらゆる常識、価値観から、完全に逸脱して、精神はアッチの世界に100%棲みながらも、一応なんとか現実社会を生きてます・・というのが真性オタクでしょう。

そんでもって、恋愛は現実社会でのイベントで、自分の世界とはいっさい関わりがない。

わかりやすく言えば、肉体はこの世を生きてるけど、精神はとっくに幽体離脱して、植村直己とキリマンジャロの頂上を目指してる感じ。

完全に別です、別!!

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真性のオタクとは何か。

『毛人』と言えば、何もかも分かる知識と感性と阿呍の呼吸です。

ああ、アレ。

うん、アレ。

真性オタクの間で交わされる言葉は、これだけ。

あの作品のココが素晴らしいとか、自分はこう考えるとか、だらだら力説するのは、まだアッチの世界までいってない。

完全にアッチの世界に入滅すると、説明とか共感とか理解とか思いやりとか、そんなもの遙かに超越して『毛人』だけで全てを語り合えるようになります。

宇宙人のテレパシーの如くです。

そのように常人には決して窺い知れない世界に一生遊んでいられる人間をオタクというのだと思います。

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オタクというのは、一枚の絵を見るために、地球の裏側まで出掛ける情熱とこだわりを持っています。

皆が東京ディズニーランドに行く時に、一人で壬生寺に行って悦に入ります。

もしかしたら、自分はあの時代、あの方の側でお小姓でもやってたのかな、と本気で思ったりします。

あるいは18世紀、あの作品の初公演の日に、わくわくしながら劇場に出掛けた一人の生まれ変わりではないかと想像したり。

そんなこと、本気で口にしても、誰も理解しないし、気味悪がられてそんで終わりだし。

そういうのを現実社会で嫌というほど経験するから、ある時点で、理解とか共感とか諦めて、完全に落髪しちゃいますよね。

多分、早い人なら、小学校か中学校ぐらいで、現実世界と自分の世界を完全に切り離して、あっちとこっちを行き来するような感覚になるんじゃないでしょうか(精神病という話ではなく)

そんでもって、自分がサバイバルする為に、現実社会とも適当に折り合いをつけて、友達と飲みにも行くし、仕事もちゃんとする。

傍目には、どこから見ても「まっとうな社会人」であり「青春をエンジョイする明るい学生」です。

でも、根本的に棲んでいる世界が違う。

そのギャップに悩みもすれば、「ああ、普通になりたい」と常々願いながら、結局、自分以外の何ものにもなれない定めを悟ったりもする。

そこに理解や共感を求める気持ちは微塵もなく、ただただ、「自分の愛するもの」が目の前にあるだけです。

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オタクの定義も生き方も、その時々で変わるのかもしれませんが、いつの時代も共通して言えるのは、ある臨界点を突破したら、「誰かと分かち合いたい」とか「周りに理解されたい」とか思わなくなり、良い意味で、一人で生きて行くことの楽しさを知るということでしょう(現実社会に身を置きつつも)。

こんな人生が心底素晴らしいと思っても、傍には異様にしか見えない、それでも、それでも、魂の悦びを教えてくれた本や漫画や音楽やその作者に永遠の愛を抱きつつ、天国よりも死後あっちで会ってサインをもらえることを楽しみにしながら、胸に人生を変えた一冊の本を抱いてルンルンと棺桶に入ることができるのが、オタクの愛であり、幸福ではないかと思うこの頃です。

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