なぜ人は恐れるのか プライドばかり高いから

私の土壇場の切り札は、いつも『一生分の勇気』だ。
ほんのちょっと勇気を出すことで、いろんな価値あるものを手にしてきたからである。

中谷彰宏さんの著書にこんな言葉がある。

『転ぶから痛いのではない。
転んだ所を人に笑われるから痛いのだ』。

要するに、失敗そのものは、大きな意味を持たない。
やり直すか、新しい方法を考えるか、諦めるかすれば、失敗の痛みなどたちどころに解決する。
誰も見ていない所でハデに転んでも、さっと起き上がって、先に進むのと同じで、人目が無ければ、人はとことん図太くなれるのである。

人が真に恐れているのは、失敗を笑われることだ。
失敗のもたらす恥辱や嘲笑こそが、人を萎縮させる最大の要因ではないかと思う。

「恥をかくのはイヤだという」
そういう人は、望むほどに、望むものを手に入れていない。
なぜなら虎の子を手に入れるより、虎に尻をかじられ、笑い者になることばかり思い描いているからである。

『虎穴に入らずんば、虎児を得ず』という。
虎穴なんてものは、案外、入ってみれば、虎の子以外、何も無いものである。
親虎なんてものは恐れの影に過ぎず、覚悟を決めれば、あっさり虎の子が手に入るのに、むしろ肩透かしを食らったような気さえするだろう。

なのに、なぜ人は恐れるのか。
虎穴の前で足をすくませて、虎の子を諦めてしまうのか。

答えは一つ、プライドばっかり高いからだ。