Notes of Life

オレオレ詐欺と現代のラスコーリニコフ

2015年6月5日

オレオレ詐欺の主張は、お金のない人の心に突き刺さるでしょうね。

金を持った高齢者と、金のない若者の国

「俺は、詐欺屋始めてもう何年も経つ。だけど、前の仕事みたいな罪悪感を感じたことは、ほとんどない。なぜなら、これは犯罪かもしれねえけど、最悪の犯罪じゃねえからだ。いいか? いま、詐欺でひとり騙して取る金の単価ってのは、200万円程度だ。お前らにとって200万円っていうのは、とんでもねえ額だろ? それ取られたら、首くくるかもしれねえ。生き死にの問題だろ? でも、詐欺で200万円取るのは、その日のうちに200万円用意してポンと払える余裕のある人間だ。そいつらは200万円取られて、悔しいかもしれないけど、そこに本気の痛みはねえ。それが即生き死にに関わるような人間じゃねえ。俺が詐欺で罪悪感を感じないのは、200万取っても痛くない人間を狙って、そいつらから奪ってるからだ。たとえこれが1000万でも2000万でも、それを払うことができて、取られてもさしてダメージを感じない奴から取ることに、俺は一切の罪悪感を感じない。お前ら、昼に研修でゴルフ場と工業団地見てきたろ? 思い出してほしい。平日の真っ昼間っからゴルフ場に高級車並べてたのは、どんな奴らだった? 俺らが詐欺で的にかけるのは、まさにそいつらだ」

高齢者がお金を遣えないわけ/日野 照子

例えば先日、ネットで流れていた新聞記事*3で読んだのだが、振り込め詐欺で捕まった被疑者に罪悪感はないらしい。「高齢者がカネを持っていて何の意味がある。俺たちがそのカネで日本の経済を回してやっているんだ。」との強弁である
さらに、この記事には「そうだ貯めこむな。(振り込め詐欺の)やり方は間違っているが一理ある」などというコメントがたくさん付くのである。基本的には犯罪者と意識は変わらない。
 余っているお金をただ抱え込んでいるのだと、なぜわかるのだろう。振り込め詐欺にあうと、何故か騙される被害者が馬鹿なのだと責められる風潮があるが、どう考えてもおかしい。それがどのような形であれ、子供への愛情によって騙されたにも関わらず、当の子供に責められることもよくあるらしい。騙す方より騙される方が悪い。貯めこんだカネを抱え込んでいる方が悪い。なんだろう、この考え方。そんな風な社会だから、人間関係だから、高齢者に安心してお金を遣ってもらえないのだ。

*

まるで現代のラスコーリニコフですね。

貧乏な大学生のラスコーリニコフは「一人の悪どい高利貸しの老婆を殺し、その金を万人に役立てることは罪ではない」という身勝手な論理から殺人を犯すが、偶然、その場に居合わせた善良なリザヴェータまで巻き添えで殺したことから良心の呵責にさいなまれ、最後は聖なる娼婦ソーニャの導きにより、罪を告白し、裁きを受け入れる……というあの名作です。

最近ならDEATH NOTEに喩えた方が分かりやすいかもしれませんね。

人を傷つけ、欺すような悪人は、この世に生きていても仕方ない。僕の選んだ、善良で心やさしい人だけが幸せに暮らせる新世界を作るんだ──という動機からDEATH NOTEを手にし、「裁き」と称して次々に罪人を抹殺するが、いつしか保身の為に悪用するようになり、最後はニアや捜査官から「あなたはただの大量殺人犯です」と断罪され、リュークによって命を取られる、というあの世界観です。

*

罪と罰では、「殺人の正当性」は次のように表現されています。(米川正夫・訳/新潮文庫)

これはラスコーリニコフが安料理屋に立ち寄った時、たまたま隣のテーブルに座っていた将校と大学生が議論を始める場面です。

部分的に、省略しています。

「僕はあのいまいましい婆を殺して、有り金すっかりふんだくっても、誓って良心に恥じることはないね」と大学生は熱くなって言い足した。

「いいかい、一方には無知で無意味な、何の価値もない、意地悪で、病身な婆がいる。誰にも用の無い、むしろ万人に有害な、自分でも何のために生きているか分からない、おまけに明日にもひとりでに死んで行く婆がいる。

一方には、財力の援助がないばかりに空しく挫折する、若々しい新鮮な力がある。しかも、それが到るところざらなんだ! 

僧院へ寄付と決まった婆の金さえあれば、百千の立派な事業や計画を成就したり、復活したりすることが出来るんだ。それによって、数百数千の生活が、正しい道に向けられるかもしれないんだ。貧困、腐敗、破産、堕落、花柳病院などから幾十の家族が救われるかもしれない──それが、皆あいつの金で出来るんだ。

やつを殺して、やつの金を奪う、ただしそれは後でその金を利用して、全人類への奉仕、共同の事業への奉仕に身を捧げるという条件付きなのさ。

どうだね、一個の些細な犯罪は、数千の善事で償えないものかね? たった一つの生命のために、数千の生命が堕落と腐敗から救われるんだぜ。一つの死が百の生に変わるんだ。

あの肺病やみの、卑劣で、意地悪な婆の命が、社会一般の衡にかけてどれだけの意味があると思う? 蚤かアブラムシの生命と何の選ぶところもない。いや、それだけの値打ちすらもない。だって婆の方は有害だからね。あれは他人の生命を蝕むやつだ。この間も腹立ちまぎれにリザヴェーダの指に食いついて、すんでのことにかみ切ってしまうところだったぜ!」

「むろん、そいつは生きている価値がないな」と将校は言った。
「しかし、そこには自然の法則というものもあるから」

「なんの、きみ。だって人間は自然を修正し、指向してるじゃないか。それがなかったら、偏見の中に埋没してしまわなきゃならんことになるよ。でなかったら、一人の大人物も出なかったはずだよ。人はよく『義務だ、良心だ』という。僕は義務や良心に対して、とやかくいおうと思わない。だが、われわれはそれをいかに解釈していると思う?」

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殺人後。
検察官ポルフィーリィとラスコーリニコフの会話。

「つまり世の中には、あらゆる不法や犯罪を行い得る人……いや、行い得るどころか、それに対する絶対の権利を持ったある種の人が存在していて、彼らのためには法律などないに等しい──というこの事実に対する暗示なのです。

この人(ラスコーリニコフ)の論文によると、あらゆる人間が『凡人』と『非凡人』に分かれるという点なのさ。凡人は常に服従をこれ事として、法律を踏み越す権利なんか持っていない。だって、その、彼らは凡人なんだからね。ところが、非凡人は、特にその非凡人なるがために、あらゆる犯罪を行い、いかなる法律をも踏み越す権利を持っている。たしかそうでしたね。

ところで、一つ伺いますが、非凡人はいつも必ず罰せられるとは限りますまい。中にはかえって……」

「生きながら凱歌を奏する、とおっしゃるのですか? そりゃそうですとも、中には生存中に目的を達するものがあります、その時は……」

「自分で人を罰し始める、ですか?」

「必要があれば。いや、なに、大部分そうなるでしょう」

「一体、どういうところで、その非凡人と凡人を区別するのです? 生まれる時に何かしるしでもついているんですか? わたしのいう意味は、そこにもう少し正確さがほしいと思うんです。──さもないと、もしそこに混乱が起こって、一方の範疇の人間が、自分はほかの範疇に属してるなどと妄想を起こして、あなたの巧い表現を借りると、『あらゆる障害を除き』始めたら、その時はそれこそ……(DEATH NOTEの世界ですね)」

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ということを、1865年、ドストエフスキーは『罪と罰』に書きました。

オレオレ詐欺の論理は19世紀から存在するもので、真新しいことなどない。

ある意味、19世紀から社会の仕組みも庶民の怨念も何も変わってない証かもしれません。

そして「持てる者から奪えばいい」という理屈に対して、「その通り」と同調する声が圧倒多数で、それに対して強く反駁できないとしたら、良心の敗北というよりは利己主義の蔓延、あるいは思考の死ではないかと思ったりもします。

オレオレ詐欺で騙し取った金を、自分の享楽や私利に使うとしたら、がめつく貯め込んで公共心のカケラもない高利貸しの婆と変わらない。

自分の隣で高級寿司を山盛り食べてる人が「これ、近所の婆から騙し取った金で注文したんだよ」と言ってる。そんなのに拍手喝采するのですか。

オレオレ詐欺でスタートアップ、「第二のスティーブ・ジョブズを目指します!(みんな好きだよね)」→「開業資金ッスか? 近所の婆から騙し取ったんですよ!」とか言ってる会社に「働かせて下さい」とか「我が社のシステム構築をお願いします」とか思うのですか?

「日本経済を回してやってる」と言うけれど、長い目で見れば、全然役に立ってないでしょう。

騙し取った金で起業するらしいが、本当に日本経済を回す気があるなら、ちゃんと銀行から融資してもらって下さい。

皆が皆、オレオレ詐欺で起業できるようになったら、銀行も儲からず、別の所に余波が来ます。
それは回り回って、おたくの事業にも影響するんじゃないでしょうか。

「年間559億の被害」、すなわち「他人の子供に無税でお金が贈与された」と考えれば、税収にも影響があるでしょう。

仮に、騙し取られた559億円のお金が、高級車、タワーマンション、グルメ、海外旅行、エステに使われたとしても、日本経済全体のUPにはなりません。

今は自国の消費だけで経済が成り立つ時代じゃないし、高齢者のタンス預金を全部使いきったところで、MADE IN JAPAN の競争力が息を吹き返すわけでもない。

教育、経営、産業創出、物流、製造、いろんな面でガタがきてるわけだから、景気よくお金を使ってもらったところで、所詮はあぶく銭、80年代の「飲めや、食えや」の時代がまったく日本の礎にならなかったことを思えばですね。(医療崩壊も一部の識者はこの頃から警告してましたよ。でも、皆で無視して、今、この惨状でしょうが)

詐欺師に散財してもらっても、有り難くも何ともないわけですよ。

実際、バブル時代に、高級クラブやリゾートで豪遊し、タクシー券をばらまいてたオッチャン達が日本を救いましたか? 無責任に公費もヤミ金も使いまくってただけでしょ。

にもかかわらず、「自分たちは日本経済の為に正しい事をしている」と豪語するなら、騙し取ったお金で、自分達と同じ境遇で困窮する子供たちに文房具を買ったり、美味しいものをお腹いっぱいご馳走したり、足長おじさんとして学費を支援したりする方が、よほど世の中のためになると思います。

それなら、逮捕された時、現代の義賊として世間が同情票を投じてくれるかもしれません。

何にせよ、騙し取った金で、どんなもっともな理屈を吐こうが、泥棒は泥棒ですよ。

カツカツの家計で暮らす世の中の大半の庶民は、欺しもせず、奪いもせず、真面目に生きてるんですもん。

法治国家で、身勝手な正義を行使してもらっては困ります。

それよりもっと真っ当に、合法的に稼ぐ方法はありますよ。

これからまだまだ富裕層・高齢者層を対象にしたビジネスは伸びますし、日本の介護・福祉用品も海外に持って行けば、買い手がつくと思います。
どこの国も高齢化、製品粗悪で、みな困ってますから。

*

それにしても、「20万」で「お金の受け取り役」とは舐められたものですね。

一番逮捕される確率が高いわけでしょう。それを20万で引き受ける?

今時「20万」なんて、はした金ですよ。

パソコン買って、スーツ買って、シティホテルのレディースプランを2、3回も使えば、終わりですやん。

こんなはした金の為に命を懸ける?

もっとプライドを持ちましょうよ。

そして疑いましょう。

あなたの元締めは、もっと取ってるんですよ? 

それも自分ではいっさい手を汚さずに。

そんなのに20万で飼われて、楽しいですか?

私なら100万でもお断り。逮捕されたら、もっと損するし。

たかが20万円で犯罪の片棒を担ぐくらいなら、ニセコスキー場で住み込み(寮費無料・三食賄い付き)のアルバイトでもやった方がマシ。

老人を欺してるつもりが、その子だって元締めに欺されてるわけですから、本当に割に合わないよ。

何かあっても、あなたを助けてくれるわけではないですからね。

*

「持てる者から取る」。

それは一見、正論に見えますが、養豚場のオヤジが二匹の豚に餌を争わせ、どちらが死んでも、結局はトンカツを楽しむ──という構図に変わりありません。

「婆、金持ち、許せん」と腹を立てたところで、相手も同じ養豚場の豚に過ぎない。同じ飼い葉桶の餌を取り合って、勝ったつもりでも、いずれ養豚場のオヤジの夕食になる運命からは逃れられないのです。

昨今は、豚に与える餌までオヤジが食べてしまうので、どの豚もヒーヒー言いながら痩せていく。
にもかかわらず、オヤジは檻の前で腕を組みながら、「うちの豚はちっとも太らないなー。おかしいなー。ボクのトンカツが小さくなっちゃう」と首を傾げている。

いずれオヤジも食べられる豚がなくなって、その時はどうするか知りませんが、何が悪いか、一生気付くことはないでしょう。

だとしても。

隣の「餌をいっぱい持ってそうな豚」から奪っても、元々の餌の量は変わらないのだから、いずれ自分も餌を奪われて、堂々巡りするだけだと思います。

我が身が哀れで、持ってる者が嫉ましいのは、誰しものこと。

問題の本質は、「餌をいっぱい持ってそうな豚」ではなく、餌を均等に配分できない養豚場のオヤジにあるわけですから、豚同士で争い、奪い合っても、発展などあろうはずがありません。
「日本経済に貢献している」というのも全くの詭弁です。

「持てる者から取ればいい」という論調に頷かないで下さい。

それはかえって問題の本質を目くらまし、社会のシステムを良い方に変えるチャンスを遠ざけてしまいます。

あなたが騙し取ったお金を、同じように貧しい誰かが騙し取ったら、あなたも必ず文句を言うでしょう。

「持てる者から取ればいい」は、正義にも解決策にもなり得ないのです。

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