ウミガメ

6-6 あの世にも、この世にも、帰りたい場所はなく

2016年9月10日

マードック夫妻に食事に招待されたヴァルターは、そこでリズと鉢合わせる。
夫妻の計略で二人きりにされたヴァルターは、仕方なくリズと海岸に散歩に出掛ける。

「お前は飯を食ってる時が一番幸せそうだな」
 マードックが目を細めた。
「早く嫁さんをもらえ。それで万事解決だ」
「俺はそんなに単純じゃない」
「単純か否かの問題じゃない。人生の礎の話だ。お前だって、いつまでも根無し草は嫌だろう。この際、真剣に考えろよ。我が家があるのと無いのでは大違いだぞ」

「どんなパパでも生きているだけで羨ましい」と呟くヴァルターに、 「もし嫌でなければ、あなたのお父さまの話を聞かせてくれない?」とリズは尋ねる。

「そうだ。海の底にも、空の上にも、世界中どこを探しても、あんな人はない。だから、俺の時間も十二歳で止まったままだ。今も身体半分で生きているような気がする」
「分かるような気がするわ。私もパパを亡くしたら、きっとそんな風になるでしょう」
「俺の場合は突然だったから、余計で気持ちの整理がつかないんだ」
「確か、堤防を守りに戻られたのね」
「忘れもしない、一八三年二月二十二日のことだ。俺と母をミニバスに乗せた後、現場に戻った。最後に父の姿を見たのは午後六時十三分だ。ダイバーズウォッチで時間を確認したから間違いない」
「……目の前で流されたの?」
「行方不明だよ。父の身に何があったのか、誰にも分からない。翌朝、TVニュースで、堤防が決壊したことを知った。町も、畑も、跡形もなくなっていた。俺も母も何度となく電話やメールをしたけど、返事は一切なかった。やがて何体かの作業員の亡骸が見つかり、最後まで現場に残っていた人の話から絶望的と悟って、母が死亡届を出した。見舞金や社会保障を受け取る為だ。俺と母は生きて行かなければならなかったから。それでも心のどこかでは待ち続けていた。父がライン川の向こうから手を振りながら帰ってくる夢も幾度となく見た。父が亡くなったことを痛感したのは、母が再婚した時だ。父とは全くタイプの違う人を『父』と呼ばなければならなくなった時、もうこの世に父はないのだと悟った。それでもまだ諦めきれない。まだ何処かに生きていて、いつか海の向こうから帰ってくるのではないかと思うことがある。そうやって時間だけが過ぎて、俺はいつまでもそのままだ。自分一人が時の河から取り残されたような気がする。――もう一度、父さんに会いたい。幻でもいいから、この目で見たい。『さよなら』を言うこともできなかった。今では父さんがどんな風に笑い、どんな声で話していたかも、よく思い出せない。時の流れは残酷だ。幸福だけでなく、記憶まで奪っていく」

「自分自身の家や家族を持とうとは思わないの?」と尋ねるリズに彼は答える。

「俺はずっと一人でやってきて、誰かと一緒に居る自分などまったく想像がつかない。誰かと一緒に居たいと思わないし、一緒に居られるとも思わない。『一人が好き』というわけではないけれど、結局、一人で居る方が落ち着く。それ以外の生き方など考えたこともない」
「だとしても、あなたにも帰る場所は必要でしょう」
「帰りたくても、何処に帰ればいいのか分からない。あの世にも、この世にも、俺が帰りたい場所は無いんだよ」

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Product Notes

『セイリング』。日本ではロッド・スチュワートが歌って有名になりました。

I am sailing, to be near you, to be free

で歌われる You とは、『神』を意味するという解釈もあります。

この場合は、『父親』ですが。

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