6-3 想像力で深海に潜るんだよ ~耐圧殻の中で

主任会議の後、リズはヴァルターの姿を求めて、『プロテウス』の格納庫に足を運ぶ。
そこには、テスト潜航にNoを突きつけられ、いっそう立場が悪くなったヴァルターが一人で佇んでいた。

「どこか見たい場所があれば、一カ所だけ案内するよ」
「じゃあ、『プロテウス』を見せて下さる?」
「どうして?」
「一度、海の底がどんなものか見てみたいの。どれほど目を凝らしても、海の上からは決してその姿を垣間見ることができないもの。そして、私にはその機会は永久に無いでしょう。だから、潜水艇だけでも間近で見たいのよ」

リズの願いを聞き入れ、ヴァルターは彼女を潜水艇の耐圧殻に案内する。
直径二メートルほどの狭い空間で、二人は息を潜めながら、深海について語り合う。

 耐圧殻の中はスライド収納式の小さなシートが二つあるだけで、仕切りも、トイレも、何もない。少し身体を動かせば壁に突き当たり、長時間閉じ込められたら息も詰まりそうだ。
 直径二十センチほどの覗き窓から差し込む微かな光がモニターや計器類をぼんやりと照らし、得も言われぬ息苦しさを感じる。
 でも、息苦しいのは耐圧殻のせいではない。しんと静まり返った狭い空間に二人きりで居るからだ。手を伸ばせば、すぐに掴まりそうな……。
 リズが気を紛らわすように周りを見回し、「本当に狭いのね」と呟くと、
「内径はたったの二メートルだ。大人三人が乗り込めば、ほとんど身動きもとれない。スケジュールによっては、この中に九時間近くも閉じ込められるから、潜航調査も体力勝負だよ」
「もっと話してくれる? 海の底に潜るのはどんな気分?」

「静寂だよ。地上の一切から離れて、心の一番深い所に降りていく。夜の底で耳を澄ませるみたいに――。潜ってみるまでは何に出会うか分からない。生き物なのか、地形なのか、それとも珍しい現象か。何にせよ、そこで出会うものはみな新しい。人の手など何一つ加えられていない、本物の自然が目の前に在る。そういう深みに降りて行く時だけ、俺は不思議と自分の感情に素直になれる。海の底なら、不安とか淋しさとか、ネガティブな感情も恐れずに自覚することが出来るんだ。そして、数千メートルの深海から船に戻ってくる時、どこか新しく生まれ変わってるような気がする。もちろん、『心の中で』の話だけど」

「私も行ってみたいな、そういう所」と呟くリズに、彼は「心の中で行けるよ、いつでも」と答える。

「想像力で潜るんだ。俺が連れて行ってやるから、目を閉じて」

言われた通りに目を閉じるリズに、潜航の様子を語って聞かせる。

 五〇メートル、次第に天空の光が遠ざかり、地上とはまったく異なる海の世界が開けてくる。
 二〇〇メートル、辺りは静寂に包まれ、ほとんど光は届かない。ここから先は海の生き物と惑星のダイナミズムが支配する世界だ。人間など遠く及ばない。
 五〇〇メートル、おや、あれは何だろう? さらさらの泥で埋まった海底に白い氷みたいなのが見える。地中のガスが海底の水圧と低温によって氷みたいに固まったんだ。あそこからは、地中から湧き出すガスが水槽のエアポンプみたいにプクプク立ち上ってる。一つ、二つ、かなり勢いがある。
 一〇〇〇メートル、ここは海底火山のカルデラ底のど真ん中だ。あそこには、枕みたいな黒い溶岩がいっぱい転がってる。遠い昔、誰にも気付かれないうちにマグマを噴き出したんだ。海の上からは何も見えないけれど、あそこにも、ここにも、海の火山は絶え間なく活動している。そのエネルギーが惑星の生命システムを支えているんだよ。
 二〇〇〇メートル、あんな所に奇怪な岩が見える。まるで巨大な鍾乳石みたいに岩盤からそびえ立っている。その石の隙間からは、真っ黒な煙みたいなものがもうもうと噴き出している。これはブラックスモーカーだ。地下でマグマに温められた熱水が地中の金属成分を溶かし込んで、こんな黒色になった。水温は二七〇度。ここは超水圧の世界だから、熱水も蒸発せずに、気体でも液体でもない状態で海中に噴き出す。その周りには、その化学成分を栄養にしている目のないカニや二枚貝、巨大スパゲティみたいなチューブワームがびっしり繁殖している。彼らはこの熱水が大好きだ。人間には有害な物質も、彼らには極上のご馳走になる。何十億年も昔、一番最初の生物がこういう過酷な環境で誕生したと言われているけど、まだそれを決定づける証拠は得られていない。にもかかわらず、みんな黙々と生きている。小さな岩場で、彼らなりに共存共栄の生命システムを作り上げ、何億年と生きてきたんだ。

そうして、ふと彼女の方を見た時――。

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Product Notes

フランスの潜水艇、Nautileもきれいな船です。
大きなクジラでも釣り上げるようにオペレーションするのがいいですね。

nautile 潜水艇
Photo : http://wwz.ifremer.fr/inmartech08/content/download/24246/343828/file/Session2-Leveque.pdf

nautile 潜水艇
Photo : https://goo.gl/Yzh808

深海には不思議な生き物がいっぱい。
なぜ、こんな所に、こんなものが? 
その一つ一つに存在意義を問うたところで、生き物たちは、こう答えるでしょう。

生きるために、生きてる。

生命って、本当に不思議で尊いものです。

深海 生き物
Photo : http://www.coolweirdo.com/the-weirdtranslucent-seacreatures.html

こんな気味の悪い、何の為にそこに居るのか分からないような生き物でも、地球上の生物連鎖や、化学的なサイクルに関わっているんでしょうねぇ。

深海 生き物
Photo : http://www.viralnova.com/scary-sea-creatures/

ウォールのPhoto : http://www.menzmag.com/things-to-do/wonders-of-the-world/deep-sea-vents-ecuador/

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