ウミガメ

6-1 出航したら三日で忘れる ~恥ずかしい生き方

2016年9月9日
ウミガメ

ヴァルターは補給線で採鉱プラットフォームに向かう途中、シャツに染み付いた香水の匂いからリズにキスしたことを思い出す。
だが、それは美しいことでも何でもない。「恥ずべき自分」を想起させるだけだった。
彼女の面影を振り切るようにして、ミッションに身を投じる。

 船が停泊している間だけ付き合って、出港したら三日で忘れる。相手から電話やメールがあっても一切取り合わず、どれほど口汚く罵られても右から左に聞き流す。最初から好きでないのはお互いさま、傷つこうが、地団駄を踏もうが、自業自得だと思った。
 今では女性と知り合っても一時の欲求を晴らすだけ、そこに美しい感情の発露はなく、心を込めてキスしたこともなければ、優しく抱きしめたこともない。
 自分でもそんな殺伐とした一面を軽蔑していたが、今さら許されようとも思わない。
 一人癖が骨の髄まで染みついて、どんどん扱いにくくなっていく。

一方、プラットフォームでは、十月十五日の本採鉱に向けて、着々と準備が進む。
マードックはパイプラックで揚鉱管の点検中だ。

 パイプラックは二〇〇本以上の揚鉱管(ライザーパイプ)を収納するスチール製ラックで、三階建てビルほどの大きさがあり、パイプは一本ずつ、横向きに並んでいる。
 揚鉱管の一本の長さは一〇メートルから二〇メートル、破砕されたクラストが通過するメインパイプの内径は約二十五センチメートル、メインパイプの外側に取り付けられた導線、油圧管、流体の圧入管なども含めれば全体の直径は五〇センチに及ぶ。
 また、パイプは全て一様ではなく、用途に応じて長さや構造が異なる。水深や作業内容に合せて、どの種類のパイプを何本繋ぐか計算するのもオペレーターの重要な仕事だ。組み合わせを誤れば、目標の水深に届かなかったり、故障の原因になる。
 本採鉱では一本あたり十秒のスピードで一五〇本以上のパイプを連結し、水深三〇〇〇メートルまで降下する。そのうち一本でも問題があれば、採鉱システム全体に影響が及ぶため、これらのメンテナンスも非常に重要だ。
 マードックは数人のオペレーターとパイプラックに上がり、パイプの継ぎ目を観察したり、小さな計器で導線の反応を見たり、一本一本、目を皿のようにして点検している。

マードックに重役会議で恥をかかされた経緯を愚痴ると、マードックは苦笑する。

「お前も卑屈だな。普通、重役会議に呼ばれたら、舞い上がりこそすれ、恨んだりしない。仕事をする上で顔と名前を覚えてもらうのは大事だし、僕らには重役に直接アイデアを伝える機会さえ無いんだよ。第一、お前がしくじれば、本当の意味で恥をかくのは、お前を連れてきたマクダエル理事長じゃないか。出来ると信じればこその機会だ。もっと良い風に考えろよ」

マネージャーのダグにも嫌みを言われ、腹が立つことばかりだ。

「お前、この採鉱システムを作るのに、どれだけ苦労したか分かってるのか。親父の代から水に浸かり、油にまみれて、一つ一つ組み上げてきた。志半ばで世を去った人だっている。それをお前一人のちんけなプライドの為に台無しにされてたまるか。お前も多少なりと理解する頭があるなら、ミッションから降りろ。プロテウスに乗りたければ、ノボロスキ社に行け」

「タヌキに数十年の苦労を語って聞かせたところで、あの人の事業熱の前には何の意味もないことぐらい、あんたにも分かるだろ? あの人はいい人だが、根っこは誰よりも強毅で執念深い。それだけの情念があるから、辺境の海にこんなでかいプラットフォームが建つんだ。ここで長く働きたければ、俺と揉め事を起こすな。あんたの話に『うん、うん』と頷きながらも、頭の中ではきっちり査定して、いつか精算に乗り出すぞ。突き詰めれば、あの人の頭の中には自身の目標の達成しかない。俺もあんたも所詮、手持ちのコマだ。どちらが勝っても負けても、意味なしだ」

その夜、ヴァルターはマードックと缶ビール片手に屋上で語り合う。
マードックは、ダグとガーフにも一理あることを説く。

「父親同士がチームメイトだったから、ダグとガーフも実の兄弟みたいに育った。絆も深いし、考え方も似ている。能力的な話になれば、難があるのは彼らも百も承知だ。だが、上の二人ががっちりスクラムを組んで、『採鉱システムの完成』という大きな目標に挺身しているから、下もそれに続く。いくら管理能力に優れても、サラリーマン根性丸出しで、自分の利益しか頭にないようでは、下もバカバカしくなって、やる気をなくすだろう。ことプラットフォームに関しては、あの二人で正解だ。そして、あの二人をフォローする為に、僕の奥さんを総務部長に据えたのは英断だよ」
「なるほど」
「人事とは面白いものだ。能力や性格だけでは計り知れないものがある。個々は未熟でも、ペアを組めば三人分の働きをする人もあるからな。理事長はその妙をよく知っている。『拾いの神』と称されるのも、能力だけで人を判断しないからだ。お前の言う通り、あの人の本質は経営者だ。利益を上げ、事業を拡張する。ボーイスカウトの隊長みたいに、義気と仁愛だけでは到底回らないだろう。だが、一つだけ、お前は勘違いをしてる。あの人はぎりぎりのところで利益よりも義理を取るということだ。世の全ての経営者が算盤勘定だけで生きてるわけじゃない。そう信じることが、物の見方を変えるんじゃないかな」
「物の見方?」
「何となく、権力者とか金持ちとかを憎んでるように感じるからさ。まあ、好きな人はないと思うが、それも一つの偏見だ。偏見があると、どうしても物事を見誤る。根っこに憎悪があると、なおさらに」
「……」
「一度、頭の中を真っ白にしてみろよ。お前、いいもの持ってるのに勿体ないよ。すぐ喧嘩腰になって、丸く収まるものも複雑にする。一本、回線の繋ぎ方を変えれば、すいすいと良い方向に行くだろうに。余計なことを聞くようだが、ガールフレンドは無いのか?」
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Product Notes

マードックが手入れしていた揚鉱管(ライザーパイプ)。
水深数千メートルの規模になると、パイプの数も半端ないです。

ウミガメ   ウミガメ
Photo : http://www.intgos.com/equipment/delivered-equipment

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Photo : https://goo.gl/KfV8w0

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Photo : https://goo.gl/tBAUeh

ウォールのPhoto : http://www.ais4ndt.com/internal-pipe-crawlers/

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