ミッション開始

5-2 海と恋と女性の生き方

2016年9月7日

ヴァルターに海に突き落とされたリズは、ショックを抱えたままセス・ブライトの家に身を寄せる。

『アル・マクダエルの娘』であることは、いろんな意味で自由を縛る。
 第一に、セキュリティ。
 第二に、社会的イメージ。
 彼女には常にボディガードが付き、一人で気ままに町を歩くことも叶わない。学校、デパート、アイスクリームショップ、女性専用の美容サロンでさえ護衛が付き、武骨な男性が待合室でファッション誌を眺める若い女性客に交じって、リズのチョコレートエステが終わるのをじっと待っているような有様だ。
 こんな状態でばりばり働けるはずもなく、自活など永久に叶わぬ夢だ。大学の三年先輩のOGが言っていた「新婚旅行にまで護衛が付いてくる」というのも決して他人事ではない。
 またMIGと父の社会的イメージを保つのも彼女の重要な役割だ。
 娘や息子の不祥事で企業イメージを損なうばかりか、社長である親が引責辞任したり、社会に激しく糾弾され、親子ともども表舞台から消え去る人も少なくない。父と伯母が仕事に専念し、いっそう名声が高まるよう、彼女自身も己を律し、真面目で清廉なイメージを維持することが第一義であった。

バスルームで自分の映し姿と向かいながら、リズは大学の同級生に陰口を言われていたことを苦々しく思い返す。

 一番親しくしていたキャサリンとその仲間だ。
 彼女らは化粧ポーチを開いて洗面台の前に立つと、
「今日のあの人の格好、見た?」
 一人が面白おかしく言った。
「無理して、肩出しのドレスを着てたわわね。いつもの『おばあちゃんデザイナー』に頼まなかったのかしら」 
「今日はパパが居ないから、背伸びしたんじゃないの」
 もう一人がクスクス笑った。
 (私のことだ)。リズはすぐに直観し、個室の中で身をすくめた。
「それにつけても腹が立つと思わない? あの人ばかり注目されて、いったい誰のおかげでここまで活動が大きくなったと思うのよ」
 さっきの女性が口を尖らせると、もう一人も頷き、
「セキュリティやら何やらで、あの人が身動き取れない時も、十軒、二十軒と会社回りをして寄付金を集めたのは私たちよ。なのに『アル・マクダエルの娘』というだけでチヤホヤされて、いったい何様のつもりかしら」
 すると、黙って聞いていたキャサリンが口紅を塗りながら、
「しょうがないでしょう。あの人のパパは超がつくほどの有名人、どこで何をしようとパパの威光は付いて回る、そういう定めの人よ」
 その言葉を聞いて、リズは(やっぱりキャサリンは解ってくれてる)と胸を撫で下ろした。
だが、他の二人は口々に不満を漏らし、「あなたは腹が立たないの?」とキャサリンに振った。
 キャサリンはしばらく黙っていたが、
「あの人と一緒に活動すると決めた時から、どうせこうなるだろうと諦めてたわ。いい年して、二言目には『パパ、パパ』って、気持悪いったらありゃしない。あの人もパパの名声がいっそう高まって嬉しいんじゃないの。なにせ口紅の色を決めるのも、ドレスの型紙を選ぶのも、ぜーんぶパパにお伺いを立てるような『パパ大好き人間』ですもの」
 信じられないような言葉を口にした。
 他の二人が「言ったぁ」「それ、禁句でしょう」とケラケラ笑いながら相づちを打つと、キャサリンも顔にパウダーをはたきながら、
「ファザコンもあそこまでいくと重症ね。やんごとなきお姫さまみたいに澄まして、堅苦しいったらありゃしない。あの人、いつも私たちの話を分かったような顔でウンウン頷きながら聞いてるけど、本当は男のことなんて、なーんにも知りやしないのよ。この前もサラがアデルミラのボーイフレンドと寝たことを打ち明けたら、『そんなの不実だわ。二人に謝罪すべきよ』なんて説教を始めて、どっちらけもいいとこ。サラだって自分が悪いのは先刻承知、だから苦しんでるのに、追い打ちをかけるような事を平気で口にして、どこまで無神経なんだか。あんなパパっ子に男女の機微など逆立ちしたって分かりやしない。顔は綺麗だけど中身は枯れたおばあちゃん、あんな子と付き合っても、男はすぐに退屈して、あっという間に逃げ出すわよ」
 他の二人もキャハハと笑い、「まるでドライフラワーね」と、そしりながらバスルームを出て行った。

『アル・マクダエルの娘』として、全てに恵まれたように見えても、リズには意思もなく、自由もない。
まるで人形のように父の支配下に置かれ、自立や仕事に憧れるだけだ。

それだけに、自分とは正反対の生き方をするヴァルター・フォーゲルに心を惹かれる。
人生を揺るがすような大きな予感に、身も心も震えるような思いがする。

一方、採鉱プラットフォームに入ったヴァルターは、気を取り直して、仕事に向かっていく。

(でも、案外、可愛い子だったな)
 彼は海の滴のような彼女の瞳を思い浮かべた。出目金みたいにきょろりとして、グッピーみたいに泣き虫で。
 ちょっとした悪戯心で掴まえてみれば、生意気なメカジキではなく、カクレクマノミみたいに臆病な小魚だった。今時、男に触れられたぐらいで、金魚みたいにぷるぷる震え出す女の子がいたとは驚きだ。先カンブリア時代に絶滅した古代魚の一種か、はたまた水深八〇〇〇メートルに棲息する未知の深海生物か。今までどこの珊瑚礁に潜んでいたのか知らないが、未だにあんな珍種が存在するとは、さすが未知の海(アステリア)だ。もう一度、近くでじっくり見てみたい気もするが、あれは『アル・マクダエルの娘』だ。関わっても、どうせろくなことはない。

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