ローエングリン

2-10 堤防決壊 夫の捜索と永遠の別れ

2016年9月4日

激しい雨が降り続く中、ヴァルターとアンヌは避難のシャトルバスに乗り込むが、グンターは作業着のまま、家族に別れを告げて、堤防に戻っていく。

「ずっと側に居てやれなくてすまない。だが僕は良心の声を聞いた。これが命の道だ。僕は生きる為に堤防に戻るんだ。大丈夫だ、心配するな。一夜過ぎれば、必ず水も収まる。明日の夜、カールスルーエで会おう。Je t’aime pour toujours(君を永遠に愛してる)」

必死の祈りも空しく、ついに締め切り堤防は決壊する。
フェールダムの干拓地は一夜で水の底に没し、周囲に甚大な被害を及ぼす。

「あの人は……あの人はどうなったの……」
 アンヌ=マリーは携帯電話を取り上げ、何度もダイヤルしたり、着信を確認するが、何の応答もない。カールスルーエの家にも電話を入れ、行き違いになってないか尋ねたが、やはり何の連絡もない。「いったい、どういうことなの、あの子は何所に居るの、なぜ一緒に避難しなかったの」と義母も半狂乱だ。
 さあっと全身の血が引き、治水管理局、消防署、警察署、病院、思いつく限りに電話をかけたが、どこも回線が混み合っているのか、なかなか繋がらず、やっと繋がっても「公式の発表を待て」とあしらわれ、個人の安否を確認できる状態ではない。
 次いで、グンターの友人やサッカークラブの関係者にも電話を入れたが、不通だったり、相手もパニックになっていたり、誰もがショックと混乱の只中にある。
 二日目が暮れようとした頃、ようやく治水局の同僚からメールを受け取ることができた。
 だが、それは再会の望みを完全に打ち砕くものだった。
 同僚の話では、最後まで締め切り堤防に残ったのは三十名。
 午後九時過ぎに全員待避の決定が下され、体調の悪い者や高齢者から順々に小型トラックで現場を離れたが、夫を含む七名が堤防に取り残され、迎えに行ったトラックの運転手とも全く連絡が取れないという。周囲の状況から小型トラックもろとも濁流に呑まれた可能性が高く、ついさっき、一人の作業員の遺体が湖岸で収容されたとの話だった。
 そうして三日経ち、四日経ち、五日目の朝を迎えると、再会の願いは、指一本、髪の毛一筋でもいいから取り戻したいというものに変わっていった。だが、あれから作業員の遺体が収容されたという話はなく、トラックさえ見つかっていない。
 六日目にはフェールダムの天候も回復し、水位も下がって、再び干拓地が姿を現したが、もはやそこに緑はなく、堤防に近い場所には一軒の建物も残っていない。
 毎日のように夫と散歩した海岸も、ベビーカーを押して歩いた締め切り堤防の遊歩道も、牛がのんびりと緑を食んでいた牧草地も、何もかも濁流に押し流され、辺り一面、大量の堆積物や建物の残骸で埋め尽くされている。

家族は茫然自失とし、ヴァルターも魂が抜けたようにライン川の畔に座り込んでいる。

人生の導き手を失って、これからどうやって生きていけばいいのか。

悲しみのどん底で、アンヌは故国に帰ることを決意する。

「生きるのよ。私たちは生きていくの」と励ましながら、一路、コート・ダジュールに向かう。

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