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7-5 自分が何ものかを思い出す 現実の中の自己肯定

2016年9月29日

全行程を終了し、ヴァルターとエイドリアンは浮上を始める。途中で警報が鳴り出すが、ヴァルターは落ち着いて対処し、フーリエとマードックも海上から力づけるように話しかける。

これまで自分を見失っていた彼も、今度のミッションで気力を取り戻し、たとえ辛い目に遭っても、何度でも挑戦せずにいない自身を悟る。

プラットフォームに戻った時、彼が目にしたのは、歓喜にわくスタッフの姿だった。
だが、今日の立役者は、30年かけて採鉱システムを構築したアル・マクダエルのものだ。
彼はスタッフの歓声を横に聞きながら、ブリッジへと急ぐ。

そんな彼を待っていたのはリズだった。
彼はリズに「約束のもの」を差し出す。
リズは心から礼を言い、「ミッションの成功、おめでとう」と彼をねぎらう。

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Product Notes

ニーチェの思想のどこに惹かれたかというと、生の怨念、いわゆる『ルサンチマン』に対して『自己肯定』という一つの答えを示したからです。

ルサンチマンを現代にたとえると、「あんなウソツキが専務に・・」「一生懸命に働いているのに、少しも給料が上がらない」「要領のいい奴ばかりが取り立てられてて、自分みたいな人間はカノジョもできず……」みたいな、理不尽で、納得いかない現実に対する怒りや恨みですね。

救いの一つの手立てとして、『宗教』があげられます。

神の教えを信じ、神の教えの通りに生きれば、いつかは天国に迎えられ、永遠に幸福ですよ。

といった話です。

それも一つの救いではあるけれど、時に、『神』に過剰に生の規範や価値観を求めることは、自己の喪失に繋がる。
いやいや、「生きる」というのは、もっと地についた、泥臭いものではないか……という疑問から出発して、最後に辿り着いた境地が『自己肯定』の考え方です。

そして、その究極の形が、「もう一度、この人生を生きてもいいと思えるほど、自分自身とこの生を悦ぶ」、すなわち、「これでOK」と思える気持ちです。

ここでも、一度は自分というものを捨て去るけども、やっぱり社会に無関心ではいられない。
たとえ嵐が来ようと、危険なミッションであろうと、全力で向かっていくし、それが「自分」という人間だと納得する場面なのですが、上手く伝わりましたでしょうか(^_^;

今はニーチェの漫画本などもたくさん出ていますが、私の一押しはコレです。
70年代風のサイケデリックなイラストと、ジョークのセンスがぴかいち。

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