3-1 母の再婚と富豪と黄金の指輪

病に倒れたアンヌ=マリーは、いったんエクス=アン=プロヴァンスの古城に戻るが、そこで待ち受けていたのは、阿呆面の従兄と、肉親に何の情も示さぬ愚昧で冷淡な人々だった。
中庭でジャーマン・シェパードをけしかけられ、「キャベツ頭。。お前も父親みたいに犬に喰われたいか!」と詰られるが、ヴァルターの心には常に父の教えがある。

 彼は唖然としながら従兄の顔を見た。
 年は二十歳を少し過ぎたくらいか。
 顔はそこそこに整っているが、小学生みたいに呆けた口をして、とても真っ当な成人には見えない。おまけに『Merde』よりもっと下品な言葉を平気で口にする。
 同じ粗野でも、酒癖の悪いヤンの父親の方がまだ人間味があった。素面に戻ると素直に謝り、機嫌のよい時は彼にも山のようなビターバレン(小さな丸いコロッケ)やフリット(フライドポテト)をご馳走してくれた。
 だが、この従兄は違う。
 本気で犬をけしかけ、人が怯える様を嘲笑している。
 父がよく言っていた。
「この世には道理が全く通じない相手もいる。どう説得しても、心から語りかけても、耳を貸さない人たちだ。それどころか、君を馬鹿にし、痛めつけ、君が泣いたり苦しんだりする様を嘲笑うかもしれない。そういう相手に出会ったら黙然とやり過ごすことだ。むきになっても、何もいいことはない」
 父の教えは一言一句、聖典のように心に刻まれている。

彷徨する母子に手を貸してくれたのは、かつての婚約者で、指折りの実業家でもあるジャン・ラクロワだった。
ジャンは豪華クルーズで母子をもてなし、再婚しろと迫る。

「どのような生き方を選ぼうと私の人生です。自分の選んだ生き方に貴いも卑しいもありません」
「そして、愛する人の忘れ形見を港の倉庫番で終わらせたいのか」
 アンヌ=マリーははっと顔を上げた。
「どれほど地頭がよくても、高等教育を受けるチャンスに恵まれなければ、行き着く果てはみな同じだ。あの子もいずれ貧しさに打ちのめされ、人生を諦める」
「大事なことは私が教えます」
「もちろんだとも。君なら育ちの悪い番犬も皇帝付きの軍用犬に教練できる。あの子もみっちり仕込めば、雑貨屋の主人ぐらいにはなるだろう。だが現実を見たまえ。給仕に通わせられる学校などたかが知れている。同級生にドラッグを売るような連中と机を並べて、グランゼコール*1に進学できると思うのか。高校を出る頃には酒と煙草の味を覚えて、港でたむろするのが目に見えている。そのうち小遣い欲しさに麻薬や人身売買の手助けもするようになるさ。大学にも行かず、定職にも就かず、昼間から酒をくらって、港をうろつく野良犬の仲間入りだ」
「……」
「君が十代の頃より状況は悪くなっている。場所を間違えれば一生台無しだ。教育も幸運も金で買う時代だよ、アンヌ=マリー」 
「アンヌ。わたしは君を恨んだことは一度もない。相手の男もだ。あの頃、君はまるで赤ん坊だった。大学を出たばかりで、色恋も知らず、旅先で出会った土木技師を白馬の王子さまと見間違えても不思議はない。君の幸福を思えばこそ、わたしも黙っていた。だが、結果はどうだ。家も失い、頼れる人もなく、息子は心的外傷で顔付きまで違っているじゃないか。君はあの子があんな状態になっても、医者にも診せず、カウンセリングも受けさせず、愛と根性で治せると思っていたのかね。もう旅は終わったんだ。現実を見なさい。このままでは君もあの子も先が知れている」

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Product Notes

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「父(神)よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分が何をしているのか分かってないのです」は、磔刑に処せられたイエスの足下で、なおも辱め、嘲る人々に対していわれた言葉です。

詳しくは、新約聖書 共同訳全注 (講談社学術文庫) の『聖ルカ伝』をお読み下さい。

エクス=アン=プロヴァンスに「やんごとなき方々の古城がある」というのは完全にフィクションです。
フランスに限らず、欧州に行くと、こんなのがバンバン売りに出されています。

http://goo.gl/q5C8jg
古城

Photo : http://www.desktopexchange.net/movie-pictures/lord-rings-wallpapers/

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