3-3 不安と疑念・父は無責任で甘やかし?

ラクロワ邸での暮らしは快適そのものだった。望んで手に入らないものはなく、身の回りのことも全て家政婦がしてくれる。
だが、運河沿いの小さな家で、質素堅実に育てられたヴァルターには、贅沢な暮らしは罪悪感でしかない。
だが、そんな疑問も、ジャン・ラクロワは否定する。

「何を躊躇うことがあるんだね。使用人はそれを生業としている。君がそれを肩代わりすることは、彼らから仕事を奪うことになるんだよ。使用人は奴隷じゃない。れっきとした職業だ。彼らは生きる為に君の服を荒い、コップを洗い、バスルームを掃除する。何もかも納得の上で労働契約しているんだ。躊躇うことは、かえって彼らに失礼だよ」
「道理のわからぬ者に理屈を言って聞かせようなどと思わぬことだ。彼らはやがて君を敵とみなすようになる。それより本音は胸の奥深くに押し隠し、実になる部分だけで付き合うんだよ。この世で賢人と言われる人はみなそうしている」
「世の中というのは、一部の利口な人間が、そうではない九割から金や時間を奪って儲ける場所だ。利用され、馬鹿を見るのが嫌なら、楽しむ側より楽しませる側に立てばよい」
「良いことも正しいことも、ほどほどにすることだ。のめり込めば、善行も毒になる」

父の教えはもっと温かく、優しかった。
父とラクロワ氏が子供を集めて話をすれば、子供はきっと父の話により耳を傾けるだろう。

二つの価値観が交錯する中、ヴァルターはラクロワ氏の口から思いがけない言葉を聞く。

「素直で明るい子なのよ。今も父親の死から立ち直れず、心が塞いでいるけれど、本当は太陽みたいに溌剌としているの。ただ、何かにつけて時間がかかるのよ。心を開くのも、新しい環境に慣れるのも。どうか長い目で見てあげて」
 だが、ジャン・ラクロワは納得いかぬようにワインをあおると、
「君の前の夫は、少々甘やかし過ぎたんじゃないかね」
と耳を疑うような事を口にした。
「そういう部分もあったかもしれない。でも、この子は幼い時から特別なの。誰かがいつも気に掛けて見てないと、心が閉じてしまうのよ。だから、あの人がいつも側に付いて、手取り足取り教えてきたの。自分の仕事も愉しみも後回しにして、根気よく支えて、ようやく他の子と同じように学校に通えるようになったのよ。誰にでも出来ることじゃないわ」
「だが、世間ではそういうのを『甘やかし』と言うんだよ。手取り足取り世話した結果がこれだ。いつまでも赤ん坊みたいに背を丸めて、ろくに話もしないし、自分から立ち直ろうともしない。何をするにも助けが要る子供と知っていて、どうして置いていったりしたんだ。父親として無責任じゃないか」

ヴァルターは激しく動揺し、いったい何が正しいのか、不安にさいなまれる――。

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Product Notes

「聖トマスの疑い(不信)」のエピソードを描いたカラバッジョの作品です。
弟子の中で、唯一、キリストの復活を目にしなかったトマスは、「主の傷口(ローマの兵士ロンギヌスに槍で突かれた所)に指を入れるまでは信じない」と主張して憚りませんでした。すると、処刑から八日目に復活したイエスが目の前に現れ、聖トマスは主を信じるようになる・・という話です。

このエピソードがいわんとするところは、たくさんあります。

人間の心の弱さ。
信仰と疑念。
「納得したい」という人の心理。

ネットでもいろんな見解がUPされてますので、検索してみると面白いですよ。

カラバッジョ 聖トマスの疑い

ウォールのPhoto : http://poresperantamormonaro.weebly.com

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