3-14 解雇と放浪 ~運命よ、お前の好きにさせてやる

意匠の盗用を疑われて示談書にサインし、故郷の仲間からも不信と怒りをかったヴァルターは傷心のまま、カールスルーエの祖父を訪ねる。
だが、祖父もまた年老い、力になるどころか、介助を必要とする状況だった。

 一時間ほどして戻ってくると、居間は空っぽで、テレビのクリスマスショーが大音量で鳴っている。
 祖父は何処へ行ったのかと探し回ると、真っ暗な物置にぼーっと突っ立っている。足元には三ヶ月前に期限の切れた牛乳パックが転がり、それを何かでこじ開けようとした形跡があった。
 彼は再び祖父を居間に連れて行くと、キッチンのメッセージボードに大きく張り出された介護センターの連絡先に電話を入れた。担当者が言うには、ここ一ヶ月で急激に症状が悪化しており、年明けにもハンブルクの親族の了解を取って、緊急の対応を検討しているそうだ。
 できればずっと付き添いたいが、彼もプルザネに戻らねばならない。そして、プルザネに戻れば、また何週間、何ヶ月と船で過ごす生活が始まる。
 マルセイユに行けば海の見える快適なケアハウスがあり、母も喜んで力になるだろうが、ハンブルクやミュンヘンに行くことさえ頑固に拒み続けた祖父だ。それが最善とは思えない。

祖父のために福祉サービスに援助を依頼し、いったん海洋技術センターの職場に戻るが、そこで言い渡されたのは解雇だった。
彼はやむなくサインし、黙って職場を後にする。

「君の能力や人柄に問題があるわけじゃない。研究者も運航スタッフも君の働きぶりには大変満足しているし、事情が許すなら引き続きお願いしたいところだ。だがねぇ、潜航調査も年々依頼が減少して、自律型水中ロボットを使った無人探査に置き換わっているし、プロテウスの維持費も人件費も財政を圧迫する一方だ。優秀な君を切るのは忍びないが、四十代、五十代のベテランを解雇するより、若い君の方が立ち直りも早いだろう。まあ、これも時代の流れと思って諦めてくれ」

そこに追い打ちをかけるような祖父の死。
マルセイユの家に戻るよう促す母の願いも振り切って、雪の降る町を放浪する。

心の拠り所を無くしたヴァルターは、意思の舵から手を離し、「運命の好きにさせてやる」と、たまたま目の前に現れた空港行きのバスに乗る――。

「運命愛だよ、ヴァルター。己が人生を愛せ」という父の声がどこからともなく響いた。
 だが、この忌まわしい巡り合わせを、どうやって愛せというのか。
 運命にひれ伏し、その奴隷になれと?
 他人に洪水のことを話す時、一番不愉快なのが「運命だったんだよ」という言葉だ。
 父の命を奪い、全てを押し流した天災を、どうして「運命」などと割り切れるのか。
 運命が全てなら、父の意思は何だったのだ。
 人がどれほど善や正義を為そうと、すべては運の風向き次第というなら、人間の意思など何の意味も無いではないか。
 運命。
 姿もなく、形もなく、人間の頭上で気まぐれに人生を弄ぶ。
 運命の前では、人間の意思など櫂をなくした小舟だ。揉まれ、流され、その結果は常に人の望みを打ち砕く。
 それほどまでに人の努力を嘲笑い、意思のままにはさせぬというなら、運命よ。
 お前の好きにさせてやる。
 生かすも殺すも、お前の好きにすればいい。
 これまで、どれほど苦しい航海でも、決して舵から手を離したことはなかった。
 強い意志をもって、幾多の波を乗り切ってきた。
 だが、その根比べも終わりだ。
 人生の舵から手を離し、運命の好きにさせやる。 
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