性犯罪が少ないからといって、『性』が正しく理解されているとは限らない

『東京都青少年健全育成条例改正問題』について。

私の大好きな竹宮恵子先生も率先して東京都の方針に抗議されているので、私も興味深くニュースをチェックしています。(詳細は『「非実在青少年」アニメ・マンガ表現規制 と 竹宮恵子「風と木の詩」』)

この条例の主旨は、『18歳未満のキャラクターについて「非実在青少年」などとした部分は削除した上で、刑法に触れる性行為や近親間の性行為などを「不当に賛美しまたは誇張」した表現を条例の対象とし、内容によって「不健全図書」に指定して18歳未満への販売を規制することができるとしている』であり、これが実施されると「表現の自由が侵害される」として一部の出版社やクリエイターや弁護士等が反対しているわけだが、その反論によく登場するのが「日本の性犯罪率は低い」。

石原都知事らは、日本の過激なアニメやマンガが性犯罪や児童虐待を助長すると主張しているが、統計上、日本の性犯罪率は他の先進国に比べて低いのだから、「性描写」=「性犯罪の誘発」とはならない、というのが主張だ。

確かにそうかもしれない。

でも、この論議には、一番肝心なポイントが抜けている。

それは若い子たちに「性」をどう教え、どう育むか、という姿勢だ。

性犯罪で検挙される異常者の数が少ないからといって、日本の若い子たちが性を正しく理解しているとは限らない。

娼婦なみの欲情と好奇心まるだしで「気持ちイイこと」を追いかけ、大人に批判されれば「誰に迷惑かけるわけじゃなし」と開き直り、セックスさえよければ男の心を繋ぎ止められる、と思い込んでいる女の子のなんと多いこと。

もちろん、海外にも、セックスをテーマにした女性誌や男性誌はごまんとあふれているし、深夜になると一斉にはじまる民放のポルノCMの過激さも日本の比ではない。

でも、それらは、あくまで大人の世界のもの。

いい年したおっちゃんと、性を売り物にしている女性のビジネスライクなエンターテイメント。

「かわいい服が欲しいから」「AV女優みたいにイッてみたいから」「お口で奉仕すれば彼が悦ぶって聞いたから」で、自分の心と身体も顧みず、やすっぽく肉体を与えて、気持ちイイことを追いかける若い女の子とは本質的に違う。

「10才の女の子が性器や性交の描写を見ても訳が分からない」というけれど、10才の女の子にも性感はある。それが何を意味するのか分からなくても、「身体がジンジンするような感じ」は体験する。

現実、幼児でも自慰に耽る時期があるのだし、性感というのは非常に早い時期から身体の中で目覚め、その刺激は強烈だということを、大人はもっと理解した方がいい。

ちなみに、私が人生最初に体験した「性的な高揚感」というのは池田理代子の「ベルサイユのばら」がキッカケだった。

初めてコミックを手にしたのは10歳の時。「少女漫画誌初めてのベッドシーン」だったオスカルとアンドレの革命前夜の契りは、それはそれは少女心に強く響き、それこそ「何を意味するかは分からなかったけれど」、そこに漂う甘美なエロティシズムに酔いしれたものだ。

で、あまりの感動に、同じ病室にいた20代前半ぐらいのお姉さんにコミックを貸してあげたら(「ベルばら」は入院していた私への差し入れだった)、ちょっと険しい顔で突き返され、「あんた、意味わかってんの?」と言われたことが今も記憶に残る。

そして、私は、それすらも理解できないくらい無知だったけど、身体の奥で感じたものは明らかに性的な興奮だった。

だからなおさら思うのである。

10才の女の子でも手の届くようなところに常軌を逸したようなエッチなマンガが氾濫し、日常的に目に触れて、なおかつ彼らの性に影響がないなどと、どうして言い切れるのだろう、と。

私とセックス描写との出会いは、幸運にもあの名作だったし、今に語り継がれるほどロマンティックで美しい場面だったから、それをそのまま思春期に持ち越して、乙女ちっくな憧れの中で過ごすことができたけど、もし少女が日常的に目にするのが、SMで女性がヨダレ垂らして失神するような漫画だったら? セックスで男心を繋ぎ止めよと言わんばかりの指南だったら? 中学生で初体験は当たり前、高校生でも一晩4回はイケます、という話だったら? それでも何の影響も受けないだろうか?

少年の場合もそう。

AVに感化されてか、「女性はホントは犯されるのが好き」とか「激しくオッパイを揉んだら悦ぶ」とか、無意識にそう思い込んで、実際の場面で女性に嫌がられて、それが原因で心の面でも疎遠になったり、男として自信をなくしたり、最悪、生身の女性とかかわるのは面倒くさい、とか、とてもじゃないけどいい体験に恵まれているとは言えない。

「CGの女の子で満足」も『個人の自由』と言えばそうだけど、少子化だ、非婚化だ、若者のコミュニケーション・スキルの低下だ、と社会問題になっているこのご時世に、若い世代と真剣に膝をつき合わせて語り合うこともなく、『個人の自由』と言われたらそれでスゴスゴと口を引っ込める大人の側もどうなのだろう。そんなに物分かりのいいおじさん、おばさんになりたいのだろうか。若者文化に理解のあるカッコいい大人と思われたいのだろうか。

表現する側は、「読む側が物語の主旨を理解すれば問題ない」と主張し、確かにその通りではあるけれど、その「読み取る力」そのものが落ちてきている今、表現の自由うんぬんとは別の次元で、若者の性に対する新しいフォローが必要だと私は思う。

たとえば、先に挙げたオスカルとアンドレのベッドシーン。

性の憧憬として心に焼き付ける子がいる一方、性的興奮を掻き立てられて、そっち方面に妄想たくましく進んで行く子も、私の子ども時代よりきっと多いと思う。そして、そういう情報が、もっと深く、多方面に、勢いよく広まっていく。だからといって、読んだすべての少女の性行動に影響するわけではないけれど、少女たちが「一夜の契り」に甘い溜め息をついた70年代とは時代も価値観も違うし、作品の読まれ方も変わっていくことを認識しないと、それこそ70年代読者と同じように「表現の自由」「読み手の理解」に任せていたら、やはり落とし穴にはまるのではないだろうか。

↓ イマドキの読者の興味
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この漫画やアニメの性表現をめぐる『東京都青少年保護育成条例改正案』に関する話題を目にする度、性描写にどうボカシを入れるか、というレベルに留まっていることが非常に残念でならない。

どこまで規制するか、何が悪影響なのか、そういう議論も大切だけど、やはりそこに「若者に性をどう教えるか、どう育むか」という哲学が見えてはじめて、賛成論も反対論も本当の意味で生きてくると思う。

私は竹宮恵子先生や、代表作「風と木の詩」は芸術と呼ぶにふさわしい名作であると讃えた上で言うのだけれど、やはりあれを読むと、「男の子はオチンチンを握られると、白目を剥くほど気持ちイイのか」「男同士でも肉体は結ばれる……って、お尻の穴に入れちゃうの??」と少女でも立ち止まって考えるし(知的・性的好奇心から)、あの世界名作文学顔負けの格調高いネームに酩酊し、ジルベールとセルジュの性行為に一つの愛の真実を見る読者は、多分、少数派だろうと思う(大人でも理解しがたい)。もし、あの作品を、イマドキのボーイズラブと同じ格付けにしている子が大多数としたら、ますます出版する側は「読ませ方」というのを考えなければならない。

結局のところ、売れればいい、あとは読者の皆さんのご想像におまかせします、だって表現の自由だから……というのであれば、それは、かえって原作者の地位や作品の品位をおとしめることになるのではなかろうか。

「性」は人間の幸福に直結する。

とりわけ、女性は、恋愛とか何とかいう前に、全生涯を通じて、このメカニズムと向き合っていかなければならない。

それでも女性の性をなぶるような作品を、表現の自由の名において放置しますか?

息子に読ませますか?

という話。

そう言うと、「家庭で教育すればいい」という話になるけれど、家庭で対処できるレベルを超えている部分があるから問題視されるのであって、反対派の皆さんも、じゃあ、自分の息子が、友達経由やインターネット経由でこういう作品を日常的に目にして、異様な性的興奮を覚えた時にどう対処するのか、それは本当に家庭レベル、個人レベルの問題なのかというところを、ひとつ、実体験として語って欲しいな、なんて思ったりもします。

そして、賛成派の皆さんは、どういう哲学のもとにボカシを入れようとしているのか、その点をまず明らかにして欲しい。

ボカシを入れたら健全な青少年が育つというわけでもなく、女の子を娼婦におとしめるようなセックス指南を売り物にする本は巷にあふれているのだから、まず大人が一つの性の理想を説いて見せないと、彼らは反発するだけで、何も学ばないと思うよ。

今の風潮って「性への欲求は人並み以上に強いけど、男の愛に満たされず(女性に魅力があっても、男が恋愛にどんどん消極的になってゆく)、精神的にも肉体的にも悶々としている女」と「興味はあるけれど、生身の女とかかわるのは面倒で、一人のパートナーと性を深める努力をするぐらいなら、AVや漫画相手に一人でオナニーしてる方が楽しい男」を大量生産しているような気がするのは私だけ?

それも個人の自由と言えばそれまでだけど、それで人生終わってホントに幸せなのかな、とオバチャンは切実に思うので、これを機会に性のあり方(もしくは教育の仕方)というのを大人も子どもも真剣に考えて頂けたら、と願っています。

§ イギリスのびっくり性教育

あくまで一つのサンプルですが・・

イギリスの真面目な科学番組で、「男の子の性教育」をテーマにしたものがありました。

第二次性徴の真っ只中にある12~15歳ぐらいの少年たちをスタジオに集め、彼らの前に、筋骨隆々、セクシーなイケメン成人男性十数人が全裸で登場するのです。

しかも、彼らの男性器をいくつかクローズアップして(公共の放送ですがボカシなしです)、「一人一人、オチンチンの色や形は違うんだよ」と説明する徹底ぶり。(もちろん、男性器と、その持ち主の男性である顔は一致させません。あくまで局所のクローズアップ)

すると、スタジオの男の子達が次々に発言。

「いままで自分のモノの形とか気にしてたけど、ちっとも異常じゃないことが分かってホっとした」

「いろんなオチンチンがあることが分かって、参考になった」

彼ら、今まで、一人で悩んでたんですね。そんなのまともに見比べる機会がないから。

私も「ここまでやるか??」と思って見てました。

でも、本当に、心と身体の発達に悩む男の子たちに救いの手を差し伸べたければ、こうまでする必要があるのかもしれません。

それで初めて少年達も、大人の言葉に納得するのだと思います。

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