「強さ」とは「受け入れる力」のこと

よく言われることですが、「気が強い」と「心が強い」は違いますし、「心が強いから、傷つかない」というものでもありません。

失敗して落ち込んだり、前向きになれない時、人はよく「もっと強くならなきゃダメだよ」と言いますし、本人も「もっと強くなりたい。強くなって、傷ついたり、動揺したり、苦しみのない人生を送りたい」と願ったりするものですが、人間の心における『強さ』とは、「Power」ではなく、「accept」や「take」に近いと思います。

皆さんは「強い人」というと、どんなキャラクターをイメージしますか?

嫌なことを言われても、ズバっと言い返せる人?

理不尽なことを要求されても、堂々とNoが言える人?

難しいことを請け負っても、弱音を吐かず、最後までやり遂げる人?

見るからに「負けない」「挫けない」「落ち込まない」、いつも堂々として、言いたいこともハッキリ口にするタイプの人は強そうでいいな、と思うでしょうね。

そして、実際、そういう人は「心が強い」のかもしれません。

でも、本当の「心の強さ」は、負けないことや落ち込まないことの対極にあるのではないです。

その本質は、自分にとって都合の悪いことも「受け入れる力」のことです。

自分自身はもちろん、周囲の人間、現在の立ち位置、恋愛、仕事、人間関係、全てにおけるイヤなこと、認めたくないこと、価値観の違うこと、モロモロのマイナス要因も人生の現実として受け入れ、噛み砕いてゆけるのが、本当の心の強さです。

たとえば、職場の人にイヤなことを言われて傷ついた。いつもビクビク、おどおどしている自分を変えたい。強くなりたい──。

そんな時、相手に「そんなこと言わないで!」と反論すれば、あなたは強い人間になれるでしょうか。

相手より仕事で抜き出て、周囲にも称賛されるような人間になれば、望む強さを手に入れられるでしょうか。

恐らく「強くなったような気がする」だけで、本質的なものは変わらないと思います。

たとえ相手を言い負かし、皆が仰ぎ見るような地位を手に入れたところで、あなたは自分の脆さや繊細さを恐れ続け、むしろそれを認めまいとして、ますます根っこのグラグラした人間になってしまうのではないでしょうか。

それよりも、人の言葉に過敏に反応してしまう自分自身を受け入れましょう。

「こんなことでビクビクするようではいけない。もっと堂々とした強い人間になるべきだ」という思い込みを捨てましょう。

ビクビクするからダメ、ではなく、「私にはこういう事でビクビクする部分がある。そして、こういう性質は、多分、一生変わらない。だったら、私のビクビクと仲良く付き合おう。どうしてこういう事でビクビクするのか、ちょっと考えてみよう」と、自分の弱い部分とタッグを組むわけですね。

ビクビクするのはダメと思い込んでいると、ビクビクする度に自分が嫌いになり、それを攻撃する人間を憎み、世の中みんなが自分のビクビクを嘲笑っているような気分になるでしょう。

でも、ビクビクする部分も自分という人間の一部分なんだ、ビクビクすることが悪いんじゃなくて、それを否定する気持ちが間違いなんだ、と考えれば、ちょっと違ってきます。

ビクビクちゃんにはビクビクちゃんの生き方があり、幸せがある。

ビクビクちゃんにはビクビクちゃんに適った人がいて、そういう相手を探せばいい。

と、気持ちを切り替えれば、たとえ相手に対して強い態度に出られなくても、自分自身に対して気持ちがラクになるのではないかと思います。

「ビクビクするのはダメだ、ビクビクする自分に気付かれたくない、知られたらもっとイジメられる」と思い込んでいると、かえって周囲に対して攻撃的になったり、過剰なガンバリズムに走ることがあります。

そして、世間では、それを「気の強い人」と言います。

「気の強い人」は自分が負かされる前に相手を負かそうとするので、自分も周囲も疲れてしまうのです。

人が「強くなりたい」と願う時、自分を傷つけたり、苦しめたりするものから心を防御し、相手よりパワーで優位に立ちたいと思い描いていることが少なくありません。

でも、本当の強さは、自分を傷つけるものにさえ寛容で、自分自身を恐れないものです。

イヤなことでも、認めたくないことでも、受け入れられる器が大きいほど、心の安定感は確かなものになってゆくのです。

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