日本をダメにしたホントの戦犯はすでに墓の下

私が「年金制度の破綻」について初めて耳にしたのは1988年のことでした。

大学の社会福祉課に学ぶ知人が講師から「将来、日本の年金は破綻する。今からしっかり備えておけ」と教えられたのがキッカケです。(ちなみにその講師は『オレは年金など払わない。貯金した方が確実だ』と豪語していたそうです)

最初にその話を聞いた時、「ホントなの?」と全く想像もつかなかったし、それって単なる未納の正当化とちゃうん・・とも思ってました。

でも、1990年代に病院勤務をして、高額医療や生活保障や見舞金や免税制度の実態を間近で見るうち、これは本当にマズイ、年金はおろか、国の財政破綻
も決して大袈裟ではないと痛感して、「とにかくお金だけは貯めよう」と計画的にやってました。

医療現場のみならず、自分と同年代の男女の言動や、私のお父さん・お母さん世代(戦後)、おっちゃん・おばちゃん世代(団塊)の行状を見ても、そう思いました。

周りの大人(団塊以上)に、「このままいったら、年金も社会保障も、取り返しのつかないところまで落ちるんちゃうの」と言っても、だーれも真剣に取り合わないし、危機感さえ抱かない。その頃、日本がイケイケで、多くの人が20年後30年後もこの繁栄が続くと、暢気に構えていた理由も大きいと思います。

また、今のようにネットもなくて、私と同じ論調も講演会やおっちゃん週刊誌でちょろっと目にするだけ。本当に先見の明のある人が何を訴えても、大衆がそれを右から左に流すような感じで、「誰の耳にも届かなかった」という印象があります。

*

最近、高齢者の貧困問題も深刻化し、「予想してたより年金がもらえない」で追い込まれる人がいるのも本当だろうと思います。

だって、あの頃、おっちゃん・おばちゃん世代(団塊)で、将来の年金にリアルな不安を抱いてた人など少数ですもん。

商売繁盛で、日本の繁栄に何の疑いもなく飲めや・食えやで「あんたも彼氏が五人ぐらいおるんやろ~」とか絡んでたおっさん連中に対し(この人たち、暢気やな。自分たちの老後がどうなるか思い描きもせんのやな)と、私も冷ややかに見てましたよ。

なんで?

その人たちは、そのもう一つ上の世代、戦前・戦中・戦直後のおじいさん・おばあさんが、手厚い看護と福祉制度で、けっこう悠々自適にやってる姿を間近に見ているからです。

もちろん、その頃から「痴呆」「寝たきり」「貧困」「特別養護老人ホームの待機」など、いろいろありました。(老人の痴呆をテーマにした『恍惚の人 (新潮文庫)』(有吉佐和子・作)がおすすめ)

それでも人手に余裕があったし(それを看てたのが団塊世代)、社会資源もそこまで切羽詰まってなかったし。

何より日本全体がイケイケで、三菱地所がロックフェラーセンターを買収したり、SONYがコロンビア映画を買収したり、安田火災海上がゴッホの名画「ひまわり」を購入したり、女子大生が円高差益で香港でブランド品を買いあさったり、今の中国・爆買いを彷彿とさせるような札びらシャワーのまっただ中でしたからね。

多くの人は、数十年先の崩壊など思い描きもしなかったのだと思いますよ。

戦前・戦中のおじいちゃん・おばあちゃん世代が浴するような社会サービスが自分たちの代も続く、とね。

しかし、80年代、90年代の世相を見ても、21世紀に入ってからの凋落を予感させる種はいっぱいありました。

私も中学・高校のクラスメートを見ながら、「こんなんでも大人になったら会社の部課長になり、母親になるんやな」と想像したら怖かったですよ。

今、若い世代に「バブル=無能」と蔑まれるのも当然の報いかと思います。

*

しかしね、元凶を作ったのは、今の若い人たちが「老害」と呼んでいる世代じゃなくて、もう一つ『上』なんですよ。

私が青春時代に「こんな欲深いジジィが日本の政財界を仕切ってるんか。さっさといってまえ」と思ってたジイサン達です。

文化も教育も医療福祉も、何もかもなおざりにして、カネ・カネ・カネで明け暮れてた。

その人たちは、結局、なにひとつ責任を取らずに、一番美味しい時代に、一番美味しい思いをして、この世を去って行きました。

腐敗の蔓だけ残してね。

だから、今の若い人たちが「老害、老害」と呼んでいるおじいさん達がこの世を去っても、世の中は少しも変わりません。

その人たちが去ったら、その人たちの二世、三世が、また同じ権利や地盤を受け継いで、同じ事を繰り返し、美味しい汁を独り占めするだけのこと。政治も、経済も、芸術も、みーんなそう。

「政府の要職はてめェら大帰属だけで独り占めしやがって」というフランス革命の時代となんら変わりありません。

本当に世の中を変えたければ、世襲を叩き潰すしかない。

老害がこの世から消えても、世襲がある限り、あなた達が輝く時代など永遠に来ないのです。

*

多分、今あなたが感じている危機や崩壊の芽を周りの人に話しても、理解しない人の方が大半かもしれません。

なに言ってるの、そんなわけないでしょ、君に何が分かる、世の中はそんなものじゃない、etc。

でも、あなたが、いろんな本を読み、いろんな人の話を聞き、決して表に出てこない社会の暗部や現実を目の当たりにする中で、「これはおかしい」「やばい」と感じるなら、高い確率でその通りです。

破綻も崩壊も今日明日に突然起こるものじゃない。

噴火と同じで、必ずその「兆し」となるものが社会の到る所に見え隠れしている。周りの人の言動にもそれを感じるでしょう。

そして、その臭いを嗅ぎ取ったら、自分の勘を大事にすることですよ。

たとえ周りに理解されなくても、先々の足固めをして、十にも二十にも備えて、とにかく勉強してスキルを身に付ける。周りが遊べ、遊べで、暢気に構えていても、自分のペースでいろんな力を蓄えることです。友達でもいい。家族の絆でもいい。

貧乏人には知識と技術と人徳だけが資本ですからね。

そして、本当に元凶を作った人間は、すでに墓の下。

老害、老害と騒いで、世代間闘争しても、かえって個々の力を弱めるだけで、何の得にもならないと思います。

若い人も年寄り見てたら、ほんとに腹立つでしょ。

私もそうでした。

朝の五時から外来の順番取りで、何をするでもなくボーっと待合ソファに座って、薬、薬と、それだけが生き甲斐みたいにね。

「近所の町医者」で、電気あててもろて、腰もんでもろて、湿布薬もろて、次は目医者、次は耳鼻科、、、そんな事してるより、本気で筋トレに取り組んで、ありあまる時間を勉強や人助けに当てたらどうやねん、て思いますよ。

睡眠導入薬で心がラクになるわけじゃなし、それは愛と生き甲斐の問題であって、それこそ若い時代に学び、思索し、自らの力で勝ち取っていくもんじゃないか。

それを老人になってから「虚しい」とか「淋しい」とか言われても、あんたら若い時分に何やっとってん!

と、言いたくなりますよね。

私も、人間60歳を過ぎたら明鏡止水のような心境になるものと思い描いていましたが、そんな高齢者に出会ったのは数えるほど。

朝から晩まで診察室にタムロして「うちの嫁は……」「近頃の若い者は……」「政府は年寄りに何もしてくれない……」と悪口大会。

そんなのに社会保障費が湯水のように使われる現実を見て、ムカつく気持ちは私も同じでした。

多分、今の若い人は、もっともっとムカついてるでしょう。

でも、一方で、年寄りって、どうしょうもない部分もあるんです。

社会というのは、体力のある健常者向けに出来ている。階段の上り下りも、年を取れば本当にキツイです。とろとろ歩いてたら、後ろから若いのに「さっさと歩けや、ジジィ」とか舌打ちされて、年寄りに行き場などない、ただ迷惑がられるだけで夢も希望もない。今から生き直す体力もなければ時間もない。「オレの人生、こんなはずじゃなかった」の集大成が老後です。私もいろんなお年寄りを間近で見てきましたけど、本当に「人生に満足した幸福な老人」なんて昔から数えるほどでしたよ。

そういうムカつく気持ちと、人間としての最低限の愛情(社会的認識)に折り合いをつけて、老人に救いの手を差し伸べるのは、時に自分自身を非常に無力で無為なものに感じさせるけども、それでも、それでも、後者をとることが、最終的には自分自身を救うのではないかと思います(いろんな意味で)

いろいろ異論はあるけども、やはり自分が学んだこと、備えたこと、人に与えたこと、どこかで報われるようになっています。

↓ これのレビューを見ながら考えた。

Site Footer